第3話

「うわぁ、相変わらず埃っぽぉ」


 体育倉庫に着くなり、陽花ひばながうへーと口を曲げながら左手を顔の前で左右に振る。


「わざわざ陽花まで来る事ないのに」


 陽花は昼休みになると毎日ここを訪れる。教室で一緒に食べる友人もたくさんいるだろうに、物好きもいたものだ。


 こんな薄暗くて狭い部屋、一人でも十分満員だというのに。


 そんな事気にも止めていない様子の陽花がロールケーキの様に巻かれた運動マットにいそいそと腰をかける。いつもの定位置だった。


「それで今日芽衣ちゃんに現国の教科書を貸したつもりが実は歴史の教科書でね」

「それは早くその芽衣ちゃんに謝った方がいいと思う」


  益体のない会話が狭い空間を満たす。でも、この中身の薄さは嫌いではなかった。


「もう謝ったからいーの」と笑う陽花の表情は、互いの顔もよく見えない程小暗い庫内でも明確に感じる気がした。それだけハッキリとした表情なのだろう。顔も、声も、口調も。


「おっ、ピーちゃん!今日はこんなとこにいたのかぁ」


 何かを見つけたらしい陽花がピョンピョンと跳ねて倉庫の隅へ移動する。


 ロールケーキからこぼれた埃が微かに差す光に輝いていた。


 こんな薄暗い部屋の中でいったい何を見つけたというのか。


「ピーちゃん?なにそれ」


 少なくとも、こんな場所に愛称を付けて呼ぶような物は何もない筈だ。


 まさか野生のネズミかなにかじゃあるまいなと目を凝らして陽花の手元に注目する。も、ここからじゃよく見えない。


 すっかりかがんでこちらからは陽花の背中しか見えない物だから、僕の方がわざわざ立ち上がって回り込まなきゃいけない。


「よっこいせ」


 よっこいせって……。


 小恥ずかしい掛け声をこぼしながらのそのそと移動する。闇と埃に覆われたこの室内を飛び跳ねていた陽花の姿を思い返し、微かに戦慄する。目先のはっきりしない環境で大胆に動くなど、とても僕には真似できない。


 えっちらえっちら陽花の手元が見える位置まで辿り着き、そのピーちゃんとやらを覗き込む。


「……ピンポン玉じゃん」


 ピンポン玉だった。オレンジ色で目立っていたお陰ですぐに特定することができた。


「そうだよ!ピンポン玉のピーちゃん」


 へへっと小さな笑いをこぼしながら、球を手のひらで弾いてバウンドさせて遊んでいる。


 そうやって遊ぶのなら、すぐそこにバスケットボールがあるだろうに。


「小さいし、暗いし、すぐどっか行っちゃうから、たまにしか見つけられないんだ。だから今日はラッキー」

「ピンポン球を見つけてラッキーねぇ」


 ただの偶然と何が違うのか。


「ピーちゃんと会えたのが、この体育倉庫に来るようになって一番のラッキー」

「へぇ」

「あ!もちろん雪月ゆづきに会えたのもね!」


 忘れてないよ。冗談冗談。と、陽花がニヤニヤ笑う。わかっとるわ。


「陽花はなんでも楽しそうだからいいよね」


「楽しいよ」と、満面の笑みで陽花が答える。

 ピンポン玉一つで楽しめる人生。それもまたよきかな。


 目の前の笑顔をみて、口の中でつぶやく。


 本当にそう思っているかは別として。


「そういえば陽花は何か食べないの?」


 僕は昼休み前に購買で買ってきたパンを既に食べ終えていた。授業中でも堂々と早弁できるのはサボり魔の特権だ。しかし、4時間目の授業を抜け出してそのままの彼女は、当然弁当箱など持ってはいなかった。


「美味しいメロンパンでも食べれたら、もっと楽しくなるかも」


 陽花が遠回しに昼食の催促をしてくる。


「……買って来れば?」


 返答など予想できていたけれど、一応、口を動かしてみる。


「優しい雪月が買ってきてくれると……」

「もっともっと楽しくなるわけね。」


 パシリに使われる僕は楽しいどころか屈辱なのだけれど。


「一口あげるからさ」と最大限の還元を約束する陽花の顔には、人をパシる罪悪感は微塵も感じなかった。


 彼女がピンポン球一つで楽しくなれるというのは考え違いだったのかもしれない。


 まぁ、いいけどね。


「メロンパンでいいんだっけ?」


 一つ確認を取り、暗に了解の意を示す。


「ありがとう!えっとじゃあね、メロンパンと、チョココロネと、たまご蒸しパンと……」


 メロンパンだけじゃないのか……


 砂糖の効いたラインナップを頭に詰め込みながら、硬い引き戸を開ける。


 ええと……メロンパンと……なんだっけ?


 戸を閉めた頃には、もう陽花のオーダーを半分も覚えていなかった。


「まぁ、暑いしな」


 全部陽光のせいに出来てしまえば、大分楽になるのだな。夏も悪くないかもしれない。

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