第1章 形なくともいずれ
第1話
『形あるものはいつか必ず壊れる』
そんな話を聞いたことがある。それは確かにそのようだと、目の前の光景を見て一人頷く。古びた体育倉庫の中には、革のボロボロになったサッカーボールやら、鉄錆びだらけで元の色が分からなくなっているポールやら、何に使うのかもよくわからない大きなタイヤやら、とにかくオンボロ体育用具が山積みになっていた。
もう不要だとばかりに投げ込まれたそれらは、仲間意識でも持っているのか、寄り添うように積み上げられている。こうしていると、僕もその仲間みたいだ。
光も薄い倉庫の隅に座り込み、お尻が埃まみれになっているのを感じてふふっと苦笑する。
いつかこの埃も、お尻だけでは済まなくなるかもしれない。
体育座りを支える両腕に少し力が入った。
教室では、そろそろ四時間目の授業が始まっている頃だろうか。高校生になって数ヶ月、数日に一度この倉庫で授業をサボっている。早々にサボり魔の不良としてクラスでも定着してしまっていた。毎日ちゃんと授業を受けている人から見たら、サボりの頻度などどうでもよく、僕は不良なのだ。
でも、三時間目までは真面目に授業を受けていたのだから、少しくらい問題はないだろう。僕がいなくとも授業が滞る事はないのだし。
詭弁にもならない屁理屈を胸の内で捏ね回しながら暗い天井を仰ぐ。
軽く目を瞑ると、遠くのグラウンドで体育の授業が行われているような音がした。やっぱり授業はもう始まっていたようだ。七月、夏休みの始まりまで一ヶ月を切ったこの暑い時期に体育とは殊勝なこどだ。
うっすら聞こえてくる生徒同士の会話の内容を鑑みておそらく三年生、ダイガク……モシ……進路の話だろうか、三年生になると体育の授業中にも進路のことを考えるのか、きっと乾いたのりのように常に頭に張り付いて離れないのだろう、そうはなりたくないなぁと瞼の闇の中で思う。
二年後には僕とて嫌でも進路を考えなくてはいけなくなる。どんなに展望がなくとも、決して逃れることのできない未来として、僕を待ち構えているのだ。
大きな口を構えて待ち伏せる怪物を想像して身震いする。
「二年後か……」
二年後の僕は何をやっているだろう。
変わらずにここで授業をサボっているのだろうか。
毎日真面目に授業を受けるように変わっているのだろうか。
変わることなど、あるのだろうか。
何をもって変わったと言えるのだろうか。
変わった先に何があるのだろうか。
明かりの少ない灰色の世界をぼんやり瞳に映しながら思考に浸る。こういうのは考えだしたらきりがない。ただ……。
「いたた……」
肩が凝る。考え事をするといつもこうだ。特にこれからの事に関してだと殊更。苛立ちのような、焦燥感のようなものが僕の肩を窄めさせる。実際に肩が縮小しているわけがないので、これが幻痛というやつなのだろう。いやにリアルだけど。
カチカチと左腕から空気の読めない秒針の音が進む。体育の掛け声も止むことはない。体育倉庫の景色は変わらず灰色を演出しても、時間は無常に過ぎていくのだ。座って閉じこもっているだけでも、僕の日々は時間の一部として飲まれ、消えていく。時の津波だ。流された跡には、何も残らない。
ははっと小さな音混じりの吐息が漏れるのを感じる。自嘲のこもった苦笑は僕の癖なのかもしれない。
苦笑ついでに頭を後ろに傾け、天井を仰ぐ。
闇に覆われた頭上は、どこまでも果てしなく伸びているようにも、すぐそこで行き止まりの壁を作っているようにも見えた。こんなに暗くちゃ、近くのものを見るのに精一杯だ。
低い位置に取りつけられた唯一の窓は、折りたたまれた卓球台に隠され、陽光はほどんど遮断されている。その卓球台も随分とボロボロだ。この倉庫には本当に壊れたものしかない。
いつかこの体育倉庫も壊れてなくなるのだろうか。なくなったら、僕は授業を受けるようになるのだろうか。
「形あるものは……」
形がなければ壊れないというものでもないと思うのだけれど。
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