中
七色に光る台が煌めき、轟音を立てて銀の玉を吐き出す。
汚れた寝袋を抱えた男ふたりが走っていても気にする奴はいない。客は皆暗い目で一瞬視線を動かすだけだ。
「カザマさん、バイトの女の子いる! 走って!」
ゴウナに言われて俺は脚を早めた。電子タバコを吸う老人の頭を寝袋の先で小突いてしまう。
中の死体がぐにゃりと曲がった感触が伝わって不快だった。
俺とゴウナは花火のような光を撒き散らすパチンコ台の間を駆け抜ける。店員の女と目が合った。
「ゴウナ、早く開けろ!」
ゴウナは脚を早めて、自動ドアの開閉ボタンを押した。
空気自体が霜を纏ったような壮絶な冷気が溢れた。
「うわ、寒!」
ゴウナが顎でダウンジャケットの襟を掻き寄せる。
暗闇を埋め尽くすほど真っ白な霜が広がっていた。左右に氷の塊がぶら下がって視界を塞ぐ。精肉かマグロを保存する冷凍室だ。
俺は白い息を吐く。
「ここなら死体が腐らないんじゃないか」
「駄目駄目、海見えないし、クソ寒い。こんなところいたらもう一回死ぬよ!」
ゴウナは歯をガチガチ言わせて首を振った。
氷塊のような肉のカーテンに阻まれながら進み、ゴウナが鉄の扉を肩で押す。
打って変わって、温い空気が流れてきた。
どこかのクラブの待機室なのか、仄かな紫の光が満ちている。黒い革張りのソファと観葉植物。ゴウナはガラステーブルの上の煙草とライターと三百円を器用にくすねていった。
扉を開け、コンビニエンスストアの商品棚に隠れて進み、年寄りの寝息がこだまする老人ホームを横切り、床の木板を軋ませないよう日本家屋の廊下を歩いた。
桜模様の障子を開くと、真っ暗闇の中に極彩色の赤や黄色の柱が現れた。
飛行機を模した滑り台とネットで仕切られたボールプール。デパートの隅にある子ども用のプレイランドらしい。
腕が疲れてきたと思ったら、ちょうどゴウナが息をついた。
「疲れたね、休憩するか!」
子どもの遊び場に死体入りの寝袋を置いて、ゴウナは大きく腕を回す。
俺はウレタン製の青い椅子に座った。
冷静になると現実に引き戻される。自分が何をしているのか、防犯カメラに写っていないか、今いるのはどこのデパートで帰るまでどれくらいかかるか。
考えないように上を向いた。
天井に描かれた星の絵が薄く光っている。ゴウナは本物の夜空を何年見ていないのだろうか。
奴は盗んだばかりの小銭で、紙コップのコーラを二杯と、カラフルなひまわりチョコレートを一袋買ってきた。
ゴウナは俺の隣の黄色い椅子に座り、紙コップの片方を押し付ける。
「手伝ってもらったからさ」
俺は受け取って、心なしか炭酸が弱く感じるコーラを煽った。
「カザマさんは何で手伝ってくれてんの?」
「別に。帰って仕事するよりマシだと思っただけだ」
「現実逃避ってやつ?」
「かもな」
「そうだよね。普通は非現実だよね。こんなのが現実になってんのがおかしいんだよな」
ゴウナは盗んだ煙草を取り出して火をつけた。子どもの玩具箱のようなプレイルームに濃厚な煙の匂いが広がっていく。
「ゴウナ、お前いつからこうなったんだ。生まれたときからじゃないだろ」
「十四、五歳とかかな」
「長いな。きっかけに心当たりはないのか?」
「……あるよ」
ゴウナは湿った紙コップに灰を落とした。
「おれのお袋と親父……って言っても親父の方は血繋がってないんだけど、ろくでもない奴でさ。おれのことぶん殴って放置するのは当たり前」
「クズだな」
「でも、こっちもデカくなったから反撃するじゃん。そうしたら、ボコボコにされて。家のドアに外側からガムテープ貼って出て行きやがったんだよね。マンションの五階だったから窓から飛び降りる訳にもいかないし。で、死んでたまるかよと思って、無理矢理ドア開けたらこうなってた」
俺はなびく紫煙を眺めてしばらく考えてから言った。
「それ、お前は何も悪くないだろ」
「ありがとう。まあ、お陰で生きて部屋から出られた訳だし。今だってそこそこ楽しんでるしね」
「本当かよ」
「でも、他人と喋れないのは寂しいかな。だから、相棒ができてすげえ楽しかった。あいつが死んでから、他人と喋ったのカザマさんが初めてだよ」
ゴウナは笑って紙コップに煙草を放り込んだ。コーラの匂いの煙が上がった。
俺はゴウナが寝袋を再び持ち上げるのを見て、ふと髪に青いプラスティック片がついているのに気づいた。
「何だそれ」
「これ? パンの袋留めるやつ。ヘアゴムが切れてから拾えなくってさ」
「他にもっとあるだろ」
ゴウナは肩を竦め、パンの袋を留めるやつで結んだ髪を揺らしながら、扉を開けた。
ホテルの一室、廃病院、ガソリンスタンド、朽ち果てた木造家屋、聞いたこともない店名のコンビニ、無人の子ども部屋、ゲームセンター。
扉を開けながら、俺はゴウナと話をする。
今までで一番楽しかった場所はどこか。ギリシャ彫刻の並ぶ温泉で丸一日相棒と過ごした話を聞いた。
今までで一番危なかった経験は何か。反社会勢力の事務所のど真ん中に飛び出して、出刃包丁を投げつけられたときは、額を掠めた傷が一週間消えなかったらしい。
ゴウナは会話に飢えていたのか、死体を運び続ける疲れも感じさせずに喋りまくった。呪いがなくなって、外に出られるようになったらどうしたいかは聞かなかった。
数えきれないほどの扉を開けて、両腕の疲れが痛みに変わり始めたとき、朝焼けの光が目を刺した。
繋がったのは、鉄筋の柱が錆びてささくれた巨大な廃墟だった。
壁も床もほとんどなく、ジャングルジムのように折り重なった鉄骨しか残っていない。無遠慮な朝日が骨組みと上階から垂れる雫を輝かせる。枯れた蔦が
細い風に揺れた。
強烈な光に目を瞬かせると、ようやく鉄骨の向こうの光景が見えてきた。
水色と桃色と黄色が薄い層になった空を写した水が波打っている。
「海だ……」
ゴウナは巡礼を終えて聖地に辿り着いた聖者のように呟いた。
少し歩いたところに、元はプールだったのか、二十五メートルほどの穴が広がっていた。
俺とゴウナはそっと寝袋を下ろす。枯れ葉だらけのプールが棺桶だ。
ゴウナは目を閉じ、手を合わせて祈った。俺が知らない相棒のために。
ゴウナは虚脱したような表情を浮かべていた。
これからこいつはどうするんだろう。また、独りで無数の部屋を渡り歩く生活に戻るのか。
「ゴウナ、外に出ないか」
奴は目を丸くした。
「外って?」
「海がある」
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