【終幕】三、天界審問
この天界裁判所では、誰も嘘をつけない。天井に大きく描かれた、真実の女神アマトの目が光っているからだ。神々は、眠りにつく前に、天界のあらゆる場所にアマトの目を描いた。それはただの壁画ではなく、神の力を宿し、常に天界を監視している。発した言葉に嘘偽りがあれば、即座に神罰が下る。レインは覚悟を決めて、ミカエルを見据えた。
「はい。確かに火山の噴火を引き起こしたのは、サニアです。
ですが、彼女がそうするに至った原因は、俺にあります。
彼女は、俺のことを心配して天界へ戻るよう迎えに来てくれた。それなのに俺は、拒絶した挙句、彼女を傷つけた……彼女は悪くない。
罰を受けるべきなのは、彼女を追い詰めた俺です」
「何を言ってるの、やったのは私っ。自分の感情を制御できなかった……。
ミカエル様、サリエル様、どうか公平なご判決を。
レイン一人に課せられるというのは、あまりに重く……あまりに不公平です」
サニアが深々を頭を下げている。天使の中でも一際美しく、強いサニアを慕う天使は多い。誰に対しても卑屈になることなく、常に顔を上げて相手と対等でいようとするサニアのそんな姿は見たくない。レインが反論しようと口を開くのを、ミカエルが手を上げて制した。両目の覆いを外しかけたサリエルがそれを見て、手を止める。
「両者の言い分は解った。だが、公平な、というのは心外だな。
もちろん、私は常に公平さを心掛けて審議に挑んでいる。不公平があるのであれば、それは、まだ真相を話してくれないお前にあるのではないか」
レイン、とミカエルが低い声で問い掛ける。
「お前が話すことで、救われる命もあるだろう」
レインの表情が固まる。それは、言外に話さなければ、このままサニアも同罪になるということだ。レインは、目を閉じた。瞼の裏に浮かぶのは、たった一人の人間の少女だ。彼女を守るため、この審問会が終わるまで無言を貫こうと心に決めていた。だが、サニアまで巻き込むことは出来ない。
俺は、とレインが口を開く。緊張からか、唇がやけに渇いている。
「俺が、リヴを――一人の人間の女性を愛しているからです」
レインの声は、しんと静まり返った部屋の中で、やけに響いて聞こえた。
サニアは両目を大きく見開き、フォーレは、口を手で押さえて驚きの声を隠そうとした。七人の最高天使たちの反応はそれぞれで、汚いものでも見るような目つきをする者もいれば、憐れむような視線を送る者、疑いの目を向ける者と様々だったが、誰一人として、快い表情をする者はいない。憐れみ深いと言われるミカエルでさえ、冷たい視線をレインに送った。
「天使が人間と契りを交わすことは許されない。それは知っているな」
はい、とレインが答えた。
「愛する故に、数々の禁忌を犯したと、そう言うことだな」
目を細めて念を押すミカエルに、それは違う、とレインが首を横に振った。
「最初に人間界へ降りたのは、ほんの気まぐれでした。俺は、自分が世界を……人間たちを一掃するために生みだされた大洪水の化身だと知って、自分のやっていることが急に馬鹿らしく思えた。これまで自分が人間を救おうとしてきたこと、思い悩んでいたことは何だったのかと。こんな俺を生み出して、救いの天使とした神に怒りすら覚えた。
でも、そこで出会ったんだ。己の不幸を嘆き悲しむだけでなく、前を向いて強く生きようとする
いつの間にかレインは、敬語を使うことすら忘れ、これまで心に溜めていた想いを吐き出していた。
「それまで人間は、己の不幸を嘆き、誰かの所為にする、救いを求めるばかりで、自分では何も努力しようとしない、弱くて愚かな生き物だと思っていた。
でも、人間には、弱い心と強い心の両面があるのだと知った。大切なもののためならば、人間は誰よりも強くなれる。そう、彼女が教えてくれた」
自然界における純粋なエネルギーから生まれた天使は、善と悪、光と闇の両面を持つことは絶対にない。それ故、人間の持つ多面性というのが理解できない。七人の最高天使たちも、サニアもフォーレも、レインの言おうとしていることが理解できなかった。
「俺は、ただ……彼女を、彼女が生きていく村を守りたかった。それだけだ。
天界へ戻らなかったのも、俺が、彼女の傍にいたかったから。
その所為でサニアを傷つけてしまったことは、本当に悪かったと思っている」
レインはサニアを見た。サニアは、とても傷ついたような表情でレインを見ていた。彼女もまた、自分の大事なもののために我が身を賭す覚悟であったのだ。だが、彼女の本当の心にレインが気付くことはない。
「死ぬ筈だった赤子を助けたのも、火山の噴火から村を守ったのも、大洪水を引き起こす力を使ったことも、全て、俺の勝手だ。例えこの身がどうなろうとも、構わない。そう思える大事なものに、やっと出会えたんだ」
自分が罰を受けることは覚悟の上で行ったことだ。だが、レインには、どうしても納得のいかないことが一つだけある。
「何故、彼女が神罰を受ける必要があったんだ。神罰を受けるなら、直接俺に下すべきだ」
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