【終幕】二、物語の続き

 唐突に放たれた旅人からの質問に、老婆が目を開けた。何故そんなことを聞くのか、と不思議そうな目で旅人を見つめる。


「ここにいる子供たちは、あなたのお孫さんですか」


 孫にしては数が多い気はするが、兄弟が多ければ、これくらいの人数にはなるかもしれない、と思い尋ねたのだった。しかし、老婆は旅人のその質問が意外だったようで、目をまるくして答えた。


「そうよ、みんな私の孫……と、答えられたら良いのだけれど。残念ながら私は独り身なの。この子供たちは、村の子供たち。たまにこうして家で預かっているのよ。

でも、私は家族だと思っているわ」


 そう言って、眠っている子供たちの顔を満ち足りた表情で見回した。一人一人、顔も性格も違う筈なのに、眠っている顔は、兄弟のようにそっくりだ。この光景を見て、幸せではない、とは誰も思わないだろう。だからこそ、老婆は、旅人が先程した質問が意外に思えたのだ。


「まるで、先程あなたが話してくれたリヴのようですね」


 旅人の一言が、老婆の表情に僅かだが動揺の色を与えた。村の子供たちの面倒をいつも見ていたというリヴ。その少女が大人になり、歳をとったら、今の老婆のような存在になっていたのかもしれない。

 旅人がじっと老婆を見つめる。まるで何かを見抜こうとするかのように。


「彼女は、その天使を恨んだでしょうね」


 ずっと傍にいると約束をしたのに、突然姿を消し、更にはリヴと村の人たちから自分の記憶を消したレイン。だが、リヴが彼を忘れなかったというのなら、きっと裏切られたと感じただろう。

 ふぅ、と老婆は溜め息を吐き、少し逡巡の後、口を開いた。


「……そうね、恨みに思った時もあったかもしれないわね。

 彼女は、ずっと待った。彼が約束を守って、自分の前に再び現れてくれることを。

 でも、彼は現れなかった。何故、どうして、とずっと彼女は悩んでいた。

 きっと何か理由があったのだと、自分を無理やり納得させようともした。それか、あの奇跡を起こしてくれた所為で彼の身に何かが起こったのではないか、と心配もした。

 やけになって彼のことを忘れてしまおうとした時もあった」


 でも、と老婆は窓の外に振り続ける雨を見やって続けた。


「雨がね、忘れさせてくれないの。この村に雨が降る度、彼を思い出す」


 いつしか老婆は、自分が一人称になっていることに気付かず話していた。旅人は、じっと老婆の言葉に耳を傾けている。


「今でもこうして目を閉じて、雨音を聞いていると、まるで彼がすぐ傍にいるかのように感じるわ」


 不思議よね、と言って老婆は力なく笑った。こんなに遅い時間まで話続けて疲れたのかもしれない。その様子に気付いているのかいないのか、旅人は続けた。


「今でも、その天使に会いたいと思いますか」


 まるで老婆を試すような口ぶりだ。老婆が不思議そうに旅人を見た。初めて会うと思っていたが、よく見ると、どこか懐かしい気配を感じる気もした。あまり気にしてはいなかったが、この家へ入ってきてからずっと頭に被ったフードを脱がないでいることが今更ながらに気になった。部屋の中で唯一の光源である暖炉の灯では、フードの下にある男の顔まではっきりと見えない。まるで自分の顔を見られたくないかのようだ。

 老婆は、戸惑いながらも旅人の質問に答えた。


「もし、彼に会えるなら、私は何だってするわ。この命が今すぐ果ててしまったとしても構わない。悪魔に魂を売るつもりはないけれど、彼になら、私の命をあげられる」


 でも、くるべき時が来たら、天国で彼に会えるのかしらね、と言って老婆は笑った。

 旅人のフードの下から見える口角が上がる。


「その話の続き、私に話させてもらってもいいでしょうか」


 旅人は語り始めた。老婆さえも知らない、物語の続きを――。



  †††



 天使たちが住まう天界の都〈ラルク=ウォーレン〉は、いつも穏やかで光の絶えない美しい都だ。芸術を司る神々によって数々の意匠を凝らした建造物が幾つも立ち並び、中心部にある憩いの広場では、清らかな噴水と瑞々しい木々の中、天使たちの寛ぐ姿が日常に見られる。しかし、その日、一つの恐ろしい事実が〈ラルク=ウォーレン〉に陰を落としていた。


 ある一人の天使が天界審問を受けるという。天界審問とは、〈ラルク=ウォーレン〉にある天界裁判所にて、神々との契約を破った者、又は何らかの問題を起こした者に対して審問を行い、その罪の重さによって罰を下す。しかし、先の大戦で神々は眠りについているため、代行者として七人の最高天使たちによって判決が下される。これまで天界審問を受けて無事に戻ってきた天使は、いない。それ程までに重い罪を犯した者だけが課せられる、それが天界審問である。天使にとって最も重い罰とは、力の源である翼を奪われること。それは、天使にとっての〈死〉を意味する。それ故、天界審問が開かれるということ自体が、純真な天使たちの心に恐怖の種を植え付けた。


 天界裁判所では、既に審問が開始されていた。罪人は、〈雨の天使〉レイン。罪状は、大天使の許しを得ず、勝手に人間界へ降り、人間たちと数々の接触をした上、休火山であったヴェスヴィアス火山を噴火させた挙句、緊急事態にのみ使うことのできる救援要請を発し、人間たちを助けた。更に、溶岩から村を守るため天使の力を行使し、世界に大洪水を起こし兼ねない大雨を降らせたこと。


「この事実に相違はないか」


 議長を務める大天使サリエルが尋ねた。一瞥で相手を思うままに操るとされる邪眼の持ち主で、平時は弊害のないよう黒い布によって両目を覆っている。部屋の中央には、翼と両手を鎖で縛られた罪人レインが立ち、サリエルの言葉に無言で肯定の意を示した。


「……して、一番の問題はだ、何故このように身勝手な暴挙を起こすに至ったのか、ということである。如何せん、これほどの事態を引き起こしたのであるからして、その責は問わねばならぬが、理由について、何か申し立てることがあれば、申してみよ」


 流暢な言い回しで定型句を述べるサリエルに、レインは無言のまま答えようとしない。全ては事前に打ち合わせされ、決められた流れで審問は進む。天界審問とは名ばかりの、ただの茶番だ、とレインは思っていた。


「話によると、人間の女に奇跡をもたらした、と。その真偽はどうだ」

「目が見えるようにしてやったとか。

 それも、神罰によって失ったものだそうではないか。それが確かなら、神への反逆罪として最も重い罪を課すべきであろう」

「目が見えない者を哀れに思う気持ちは、理解できます。でも、不幸な者は他にもたくさんいるのです。あなたがすべきことは、一人でも多くの不幸な人間を正しい道へと導くこと。その領分を超える行いは、美徳ではなく、ただの偽善ですよ」

「まぁまぁ、何か理由があってのことかもしれない。まずは、彼の言い分を聞こうではないですか」

「…………沈黙は美徳なり。だが、これが最期の機会となること、重々理解するのだな」


 七人の最高天使たちが見つめる中、レインは無言を貫いた。


「では、判決を下す。〈雨の天使〉レイン、神への反逆罪により……」


 サリエルは、最後まで話すことが出来なかった。突然、待ってください、と扉を開けて入ってくる者がいる。炎のように赤い髪を振り乱しながら、身体じゅうに焦げた緑の蔦の跡が残っている。レインはそれを見て、フォーレがサニアを静止するのに失敗したことを知った。


「何と、無礼な。審問の最中であるぞ。ここへは許可なき者が足を踏み入れては……」


 それまで黙って成り行きを見守っていたミカエルが手を上げてサリエルを制した。


「〈太陽の天使〉サニアだな。それは、今でなければならない重要な事由であろうな」


 天界至上で最も美しく、恐ろしいと噂されるミカエルの有無を言わさぬ眼力に、いつも誰に対しても勝気なサニアが気圧されている。しかし、サニアは、それにぐっと堪えると、床に膝を着いて胸に手当てる、敬意の礼をとった。


「はい、ミカエル様。大変ご無礼なこととは存じ上げておりますが、どうかこれだけはお聞き届けくださいませ」


 やめろ、とレインが叫んだ。サニアは、レインを一瞥すると、赤く泣き腫らした目を伏せて言った。


「ヴェスヴィアス火山を噴火させたのは、私です。レインに咎はありません。

 その事で彼を裁くというのなら、どうぞ私を裁いてください」


 サニアが開け放ったままの扉から、青い顔をしたフォーレが姿を現した。レインと視線が合うと、泣きそうな顔で視線を伏せる。全く、泣きたいのはこっちだよ、とレインは心の中で笑った。二人とも本当に愚かだ、と内心悪態をつきつつも、レインの胸中に暖かいものが溢れてくる。


「今の言は真実か」


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