【終幕】四、旅人の正体
座天使の長であるラジエルが、手元にある分厚い書物をパラパラと捲った。この〈ラジエルの書〉には、この世界の理から神々の秘密までありとあらゆることが記されている。ラジエルが該当する箇所を見つけたようで、ずれ落ちた眼鏡を押し上げ、咳払いをした。
「――えー……つまり、彼女に下った神罰とは、助けた赤子が本来見ることの叶わなかった世界を覆い隠してしまうことで、回り回って、天使に自身の行いを悔い改めさせるために下されたと、そういうことのようですな」
レインは、ラジエルを睨みつけた。文句の一つでも言ってやりたいところだが、ラジエルは、ただ書に記されている内容を伝えただけで、彼が神罰を下したわけではないことを理解できるくらいには、レインも冷静だった。
「それが神罰だ。我々天使には、到底理解できない神々の領域なのだ。
理解しようとすべきではない。受け入れるのだ。それが天使としての宿命でもある」
淡々と述べるミカエルの表情は変わらなかったが、その瞳はどこか寂しそうでもある。
「全ての要因は、俺の身勝手さが招いたこと。でも、こんな俺を生み出したのは、神だ。親が子の責任を負うように、神もまた、その責任を負う義務があるんじゃないのか」
その場にいた誰もが青ざめた顔をして、信じられないものを見るような目つきでレインを見た。己を生み出した神を否定することは、自分の存在をも否定することだ。
レインは、天井を睨み上げた。アマトの目は、レインの言葉をどう受け止めるだろう。
「神罰だろうが何だろうが、受けてやるよ。俺は、自分のしたことを後悔していない。
でも、リヴにはもう手を出さないでくれ。彼女には、幸せになる権利がある。神が本当に人間たちを愛しているというのなら、彼らを信じて、受け入れるべきなんだ。彼らの弱さも、強さも……全て、それが神の愛したという、自然の姿なんじゃないのか」
かつて人間に裏切られて以来、神々は、人間たちに罰を与え、天使という壁を作って彼らを遠ざけた。その真意は推察するしかないが、それが嫌悪であれ愛であれ、無関心ということはない筈だ。でなければ、天使という存在を創る必要がない。
「それでも、リヴに神罰を与えるのが正しいというのなら……」
九人の天使たちが固唾を飲んで見守る中、レインは、怯むことなく真正面からアマトの目に対峙する。
「……神罰なんて、くそっくらえだ」
不敬な、不届きものめ、恥を知れ、と戦慄く最高天使たちをミカエルが鎮めた。常に冷静沈着で滅多に怒ることのないミカエルでさえ、レインの言動に衝撃を受けている様子であったが、そこに好意が含まれていないことは、レインに向けた視線から明らかだった。
「……良いだろう。そこまで言うのなら、そなたの判決は、神罰に委ねることとしよう。それが下されるまで、〈雨の天使〉レインの身柄は、第二天でラグエルの監視下に置くこととする」
今すぐ極刑に、との声も上がったが、ミカエルがそれを許さなかった。ここまで神を冒涜した天使は、神罰によってこそ裁かれるべきだと判断したからだ。7人の最高天使たちの中で最も神に愛され、天使たちからの人望も厚いミカエルには、他の最高天使たちも逆らえず、レインは第二天へと身柄を移されることとなった。そこは、罪を犯した天使たちの監獄であり、フォーレとサニアも、そこを訪れることはできない。
やがて、第二天からレインの消失が知らされ、その事実は天界中に知れ渡った。かくして神罰は、レインの身の上にのみ下されたのだ。
フォーレが最後に見たレインの姿は、神々そのものでもあるアマトの目と、七人の最高天使たちを前にしても決して怯むことなく、愛する者のため果敢に諫言する勇ましい天使の姿であった。
†††
旅人が全てを語り終えると、老婆は、目を閉じたまま、今聞いた話をじっと反芻しているようだった。やがて大きく深呼吸をすると、これで合点がいったというように頷く。
「……そう。彼がそうだったのね。赤子だった私を救ってくれて、海に飛び込んだ私をも救ってくれた。そして、村に起こった災害からも……全て彼が……」
老婆は、目頭を押さえて嗚咽を耐えた。そして、目尻から零れた涙を拭うと、今度は笑って言った。
「ばかね、神様に盾突くなんて、天使のやることじゃないわ。本当、あの人らしい」
最後に旅人は言った。
「私は、あなたに彼からの伝言を頼まれました」
老婆が顔を上げた。涙に塗れた青い瞳が旅人を見つめる。
レインが天界審問を受ける前に、約束をしたのだという。
『もし、時が来て、彼女が逝くべきところへ逝けなくなったら、その時は、君に彼女の元へ行って欲しいんだ。そして、彼女に伝えてくれ』
その時、既に彼は自分の運命を受け入れていた。
『俺は、姿は見えなくても、ずっと君の傍にいる。君になら解るだろう。
だって俺は、君の目には見えなくても、ずっと君の傍にいたんだから』
老婆の瞳から一筋の涙が零れ落ちた。
そうだ。レインは、いつも目の見えない自分の傍にいてくれた。
彼は、ここにいるのだ。この村を覆う優しい雨と共に――。
「あなたの名前を聞いてもいいかしら」
「私は、フォレスト。レインは、私のことをフォーレと呼んでいました」
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