【第八羽】三、助けて

 リヴは、オンバの家の軒先に座り、レインを待っていた。足元には、レオンがリヴを守るように寄り添い伏せている。レオンは、火山から不穏な気配を感じ取っていたが、それが何であるかまでは分からない。主人であるリヴがその場を動かないので、離れないでいる。目の見えないリヴにもそれは同じで、ただレインが戻ってくると信じて待つだけだ。

 先程まで空から降っていた砂や石がぴたりと止んだと思ったら、ほっとする間もなく、今度は何かが焦げたような匂いが鼻を突く。レオンが不安げに鳴いた。


(探しにいこう)


 これ程まで待っても帰ってこないのは、レインの身に何かが起きているのではないか。レオンなら、レインの匂いを辿ることができる。これまでもそうだった。


「待ってるだけなんて、私らしくないわね」


 言葉にすると、不思議と勇気が湧いてきた。何故早く思いつかなかったのだろう。リヴは、いつの間にか自分がレインを頼りにしていたことに気が付き、驚いた。一人で生きて行けるよう誰にも頼らず、強く生きてきたつもりだった。それなのに、こんな自分がいることを初めて知った。それだけレインの存在がリヴの中で大きくなっているのだ。彼には、身体も心も助けてもらった。そして、今度は、自分がレインを助ける番だと思った。


「お願いレオン、レインを探すのを手伝って」


 レオンが待ってましたとばかりに立ち上がって吠えた。


 レオンについてしばらく歩いて行くと、変わり果てた村の様子にリヴは狼狽した。一歩歩く度に石や瓦礫にぶつかって、思うように前に進めない。いつもなら子供たちの声で煩いくらいなのに、今はどこの通りもしんと静まり返っている。その異様な静けさにリヴは身震いした。皆、無事に避難できたのだろうか。ディルクは、オンバは、村長は……心配すればキリがない。自分で選んだとはいえ、まるで世界にたった一人だけ取り残されたような心細さを感じていた。


 突然、レオンの耳が何かを捉えた。吠えてリヴに行き先を伝えると、どこかへ向かって歩き出す。レインを見つけたのだろうか、と逸る気持ちを抑えてリヴが従うと、向かう先の方から子供の泣き声が聞こえてきた。どうやら取り残されたらしい。

 レオンと一緒に泣き声のする場所を探した。それは、瓦礫に埋まった壁の向こう側から聞こえてくる。リヴが声をかけたが、泣いているばかりで、怪我をしているのか大丈夫なのか、一向に様子がわからない。


「大丈夫よ、大丈夫。私がついているわ。一緒にお母さんのところへ行きましょう」


 まずは落ち着かせようと励ましの声を掛け続けながら、瓦礫を手探りで掘り起こす。中の様子が分からないのと、瓦礫の全貌が見えないので、瓦礫が崩れて子供ごと押しつぶしてしまっては大変だ。慎重に石を一つ一つ持ち上げては、子供の無事を確認するために声を掛ける。目の前に自分の助けを必要とする人がいることが、リヴの心を強くしていた。


 結局のところ自分は、誰かのために動いている時が一番楽なのだ、とリヴは改めて思った。自分の不幸や悲しみを考えなくて済むからだ。端から見れば、自己犠牲の献身だとか、偽善だとか思われるかもしれない。でもそれは、単にリヴが人から嫌われたくない、という臆病な気持ちから生まれている。ただでさえ目が見えない自分は、周りの人たちの助けがなくては生きていけない。リヴにはレオンがいたが、それでもやっぱり、生活に不自由を感じないわけではなかった。誰の迷惑にもなりたくない、と思いながらも、誰かに助けを求めている。そんな矛盾だらけの自分が嫌で、一人でも強く生きたいと思っていた。レインと出会うまでは。


 瓦礫を掘り起こすリヴの手が血で濡れている。それには構うことなく、リヴは石を掘り起こし続けた。先程から子供の泣き声が小さくなっている。早くしなければ助からないかもしれない。小さな命が目の前で消えゆこうとしているのに、自分の身体のことなどどうでも良かった。誰かを助けることで、誰かの支えになることで、リヴは、自分の生きる意味を見つけようとしていた。


 子供の泣き声が止んだ。リヴは、自分が泣いていることにも気づかずに、瓦礫を掘り続けた。心の中で、神様を呪った。運命を恨んだ。そして、無力な自分を一番憎んだ。


「助けて……レイン」


 リヴの心から搾り出た声に答えるように、空から声が降ってきた。


「よく吠える犬だなぁ。あれ、あんたの犬か」


 つい最近、どこかで聞いた言葉だ。リヴは、その時になってやっとレオンの吠える声が遠くから聞こえることに気が付いた。どうやらレオンがレインを見つけて連れて戻ってきてくれたらしい。顔を上げてレインを見る。見えないけれど、そこにレインがいるという安心感で胸がいっぱいになった。


「どこに行ってたのよぉ……探した、んだからぁ」


 リヴが嗚咽を堪えながら怒った声で言った。悪い悪い、と全く悪びれない口調でレインは、リヴの涙を拭ってやる。愛しくて仕方がない、という表情でリヴを見る。


「子供が、瓦礫に埋まってるの。さっきまで泣き声が聞こえてて……」


 そう言うと、再び瓦礫に伸ばしかけたリヴの血だらけの手をレインが優しく止めた。


「大丈夫、一人で頑張る必要はないんだ」


 どういう意味かとリヴが尋ねる前に、すぐ傍で人の気配がした。


「おい、何をしているんだ。早くそこをどけ」


 ディルクだった。他にも数人聞き覚えのある声がする。状況が理解できないでいるリヴをレインが抱き上げた。数人がかりで瓦礫をどかし、中から子供を救出する。


「…………大丈夫だ、息はある。気を失っているだけだ」


 その言葉を聞いて、リヴはレインの胸に顔を埋めた。泣き顔を見られたくないというのもあったが、それよりも、嬉しくて嬉しくて胸が張り裂けそうだったからだ。


 ディルクが、とレインはリヴにだけ聞こえる声で言った。


「君を心配して探しに来ていたんだ。そこに俺が鉢合わせたってわけ」


 リヴのおかげだ、と言うレインに、リヴは首を横に振る。私は何もできなかった、というリヴをレインが笑う。


「リヴがここに居なかったら、この子も見つけられなかった。

 ディルクが探していたのは、君だったんだから」


 その時、誰かがリヴの名を呼んだ。いつだったか、リヴを悪魔憑きだと言った赤毛の青年だった。腕に今しがた助けた女の子を抱きかかえている。


「ありがとう。お前のおかげで、妹を見つけることができた。

 今まで色々言って…………悪かった」


 そう言って頭を下げる青年に、リヴは何と答えて良いのかわからず戸惑っている。


「おい、時間がない、急げ」


 ディルクの言葉に皆がはっと現実に返った。赤い液体は、既に村へと到達し、家屋を飲み込みながらこちらへと迫ってきている。一同が来た道を戻り駆けていく。それを見送って自分も駆けだそうとしたディルクをレインが止めた。


「リヴを頼む」


 そう言って、有無を言わさずディルクにリヴを渡す。どこへ行くんだ、と聞くディルクに、レインは空を指さした。


 リヴが不安げにレインの名を呼ぶ。


「大丈夫だ、リヴ。俺が君を……君たちを必ず守るから。

 だから安心して、早く皆と逃げるんだ」


 戸惑う二人にレインは大きな声で叫んだ。行け、と。

 その声に弾かれたようにディルクが駆け出す。腕の中でリヴが抵抗して戻ろうとするのを力の限り抑えた。ディルクには、レインの覚悟が伝わっていた。何をどうする気なのかはわからない。それでも、自分は託されたリヴを最後まで守り抜こうと、それだけを考えていた。


「だめ、戻ってディルク。……レイン、レイン……行ってはだめ」


 最後は涙声になりながらリヴが叫ぶ。もう二度とレインには会えないような気がした。

 

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