【第五羽】三、闇の中で
フォーレに問われるまでもなく、自身がその答えを見付けられずにいる。
初めは好奇心からだった。仕事以外で関わることのない人間の生活というものを色眼鏡なしで見てみたくなったのだ。ほんの気まぐれに。
しかし、次第に恐怖が増していった。知れば知るほど人間というものがわからなくなる。今まで自分が出会って来た人間たちは、皆一様に心に弱さと闇を抱えて生きていた。その心を支え、闇を光で照らすのが天使としての役目だ。
しかし、この村に生きている人々には、それを感じない。皆、貧しいながらに明るく前を向いて生きている。それだけでも、人間とは弱い生き物だと思ってきたレインにとって、天地がひっくり返るほどの衝撃だった。
この村に、天使としての自分は必要ない。天使の存在意義とは、弱き者がいてこそ成り立つのだと気付いてしまった。
(ここでは、俺は無力だ。いつまでも、ここに居ても……)
そんなことを考えながら眼下の暗闇を見つめていると、次第に目が慣れてきて、家々の輪郭が朧に浮かび上がってきた。その静しかないと思われた世界に、つと動く何かが目にとまった。人だ。誰かが灯りも持たずに歩いている。
リヴだ、とレインにはすぐわかった。よく見ると、その少し前を毛虫のようなものが這っている。おそらくレオンだろう。村の北側へと向かっているようだ。レインの中に、むくむくと好奇心が顔を出す。気付かれないようそっと後を付けることにした。
村の北側には、炭鉱がある。しかし、リヴは、炭鉱の入り口を横切り、少し離れた場所にある壁の中へと姿を消した。慌てて近づいてみると、大人が一人入れるほどの小さな穴がある。レインの身長では少し頭を屈めないとぶつけてしまいそうなほど低い。穴からは、白い湯気が出ている。
(温泉があるのか)
臭いですぐにそれと気付いた。入ったことはないが、雨の天使として、水に関わる知識は持っている。穴の中を覗いて見るが、真っ暗で何も見えない。レインは、思い切って一歩中へと足を踏み入れた。
リヴは、着ていた服をするすると脱ぎ始めると、一糸纏わぬ姿となり、湯に浸かった。そんな彼女を守るように、少し離れた湯の当たらない場所にレオンは身を伏せた。彼は、お風呂があまり好きではない。
ここ最近は色々と忙しかったので、ここへ湯に浸かりに来るのは久しぶりだ。普段は、家で桶に沸かした湯を入れて使い、布で身体を拭いてはいるが、やはり身体ごと湯に浸かると疲れがとれる気がする。
(本当は、レインにも教えてあげたいのだけれど)
リヴは、自分一人だけでここへ来ていることに後ろめたさを感じていた。本当ならレインを連れて来てあげたかったが、村の皆が共有して使う湯場に自分は夜遅い時間にしか来られない。特に誰かに言われてそうしているわけではないが、自分に好意的な人たちばかりではないことをリヴ自身が一番よく判っている。祭りの時は、村長やディルクも居て目を光らせてくれているし、村人全員が参加しなければいけない行事に参加しないと逆に攻撃の的となってしまう。
リヴは、湯に浸かりながら、雨の匂いをさせる不思議な旅人のことを思った。彼がただの人ではないことは、最初に出会った時から気付いている。彼が隠していることが何なのかは分からないが、彼が何かに怯え苦しんでいることは確かだ。彼のために自分にできることは何だろうとずっと考えていた。
(あの人は、私を普通の一人の人間として扱ってくれる)
たったそれだけの事が、こんなにも嬉しい事なのだと初めて知った。父も村長もディルクも、他の村の人たち、子供たち……私に優しくしてくれる人はたくさんいる。でもそれは、私の目が見えない事を気遣ってくれているからなのだ、とリヴは思っている。本当の意味で自分を一人の人間として扱ってくれたのは、レインが初めてだった。
あの人のために、私にできることは何だろう。
そんなことを考えていると、突然、レオンが吠えた。
「誰かいるの」
リヴがはっと身を固くする。村の男の人だろうか。だから、ここへ来るのは深夜遅く誰もいない時間にしているのだ。
「……俺だ。悪い、覗くつもりじゃなかったんだ。
ただ、こんな夜更けにどこへ行くんだろうって気になって……」
レインだった。ちょうど彼のことを考えていたので驚いたが、村の人でないことにほっとした。リヴは、湯の中に顎まで浸かると言った。
「よかったら、あなたも入りますか」
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