【序幕】三、老婆の語る物語

 老婆の話は続く。子供達は、それぞれが真剣に天使と出逢った時の事を想像して、老婆の話に耳を傾けていた。


「まずは、一つ目。彼らが姿を現す時は、大抵自分が天使だってことを口にするけど、極たまに正体を隠して現れる天使もいるの。でも、それが天使だと気付いても決して口にししないこと」


 老婆が人差し指を一本立てて口に当てた。


「自分の正体がばれたと気付いたら、あっという間に姿を消してしまうからね。彼らは、意外と照れ屋なのよ」


 子供達の間に笑みが広がる。


「でも、どうやって天使だってわかるの」

「ばかだな。背中に羽根があれば天使だろ。すぐにばれるよ」

「あら、天使は自分の姿を消すことが出来るのよ。羽根くらい簡単に消せるんじゃないかしら」

「リムの言う通りだ。第一、正体を隠してるのに、そんな目立つ羽根を天使が隠さないわけないよ」


 子供達が解答を求めて老婆を見つめると、彼女は楽しそうに頷いて見せた。


「そうね。羽根は隠しているのよ。だから問題は、どうやって天使だと見分けるか、だけど……」


 子供達が期待に満ちた顔を向ける。


「天使というのはね、身体の中に証を持っているの。それは、どんなに天使が隠そうとしても無理。だから、誰だって見ればすぐにそれと解るわ」

「あかしってなに。それ、甘いもの」

「ばかだなぁ。証拠のことだよ。お菓子じゃないんだぜ」

「でも、それじゃわからないわ。一体、どんな証なの」


 子供達が好奇心と期待の眼差しで老婆を見つめる。


「エレナ、あなたは、弟のクィンをどうやって見分けているの」

「そんなの当たり前じゃない。クィンは、私の弟で、私は、クィンの姉さんなんだもの。判らないはずないじゃない」


 自分が話題にされた事に気づき、一人の少年が不思議そうな顔をして姉を見た。彼の右隣には、彼とそっくり同じ顔をした少年が老婆を見つめている。


「それと同じ。天使の証も、判る人には判るのよ」


 老婆の言葉を聞いて、子供達のうちの何人かが頷く。が、それでもまだ判らないという顔をしている子もいる。

 しかし、それには構わず、老婆は続けた。


「そして、二つ目。天使に恋をしてはダメ」


 ぽかんとした顔の男の子達とは対照的に、女の子達の目が輝く。中でも一番おしゃまなエミリアが真っ先に口を開いた。


「どうして。天使と恋をするなんて、素敵だわ。とってもロマンチック」

「天使は、いつまでも目に見える姿でいてくれるわけじゃないの。いつかは消えて見えなくなってしまう。だから、恋をすると辛い想いをすると思うわ」


 それに、と老婆は続けた。


「村の外へ出てはダメ、と言われるでしょう。それと同じ、危険なことだから」


 どういうこと、と首を傾げる子供たちに、老婆は肩をすくめてみせた。


「私にも詳しいことは解らないの。だって、私は天使ではないんだもの」

「三つ目は」


 子供達が皆、口を閉じて老婆を見る。しんと静まり返った部屋に、老婆が口を開きかけた時だった。

 ほとほと、と扉を叩く音がする。

 一番扉に近い場所に座っていたロウが驚いて声を上げた。


「何、どうしたの」

「しっ、何か聞こえるわ」


 その言葉に、誰もが口を閉ざし、好奇心に耳を澄ませる。


「何も聞こえないよ」

「しっ」


 すると、雨音に紛れて扉を叩く音がした。


「誰か来た」

「誰だろう」

「きっと狼よ」

「いやっ、大お婆ちゃん、開けちゃダメ」

「大丈夫よ、きっとアンジェリカが様子を見に来たんでしょ。

 あなたたちが悪戯をしていないかって」


 子供たちの黄色い声が上がる。


「それか何かおやつでも持ってきてくれたんじゃないか」

「ロビン、悪いけど扉を開けに行ってくれないかしら」


 老婆のすぐ傍にいた、一番背の低い男の子が頷いて立ち上がった。

 小さな村なので、誰もが顔見知りだ。ロビンは、鍵のかかっていない扉を何の疑いもなしに開けた。

 その時、ちょうど落雷が空を明るく照らし、男の黒いシルエットを浮かび上がらせた。子供たちの叫び声は、雷鳴にかき消され、男はじっと黙ったまま立っていた。

 外は、雨足が強くなっているようで、男の雨衣は黒く濡れている。


「あなたは」


 老婆が尋ねると、男は頭巾を被ったまま答えた。


「私は、ただの旅人です」


 老婆は何かを思い出すかのように押し黙ったが、すぐに穏やかな笑顔で、そう、とだけ呟いた。


「こんな天気の中、大変だったでしょう。さ、中へ入って」


 老婆が暖炉の火に当たるよう勧めると、男は扉を閉めて中へと入ってきた。暖炉の灯りに照らされた男の雨衣は黒などではなく、よく見ると深緑色に見えた。

 最初は、怖々と遠回しに旅人を見ていた子供達だったが、やがて好奇心に負けて矢継ぎ早に質問を始めた。この村に訪れる漂流人を見るのは皆初めてだった。


「どこから来たの」「あの森を抜けてきたの」「どうしてここに来たの」

「ああ、遠い遠い場所からやってきたんだ」


 男は何か考える仕草をして、口を開いた。


「先程、あなた方が話している内容が聞こえました。

 失礼ですが、あなたは、何故そんな話を知っているのですか。

 天使は本当にいるのでしょうか。いるとしたら今どこに……」


 老婆がふっと微笑む。


「それは、長い長い話になるわね」


 老婆が目を閉じた。そして、そっと雨の音に耳を澄ませる。今でもこうして雨の音を聞いていると思い出す。

 雨だけが知っている記憶。

 それは、一人の悲しい天使の物語。

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