第27話 まぼろし
スミレと別れてから携帯を確認すると、メールが届いていた。秋平さんからだった。彼とは次の休みにも会う約束をしていた。
『一人、知り合いを連れて行ってもいいですか? あなたを見せびらかしたいようで馬鹿みたいですけど、どうかお願いします』
わたしは秋平さんにすべてを話す覚悟を決めていたが、二人きりでなければ避けたい。別の機会を待つべきか。時間がたつほどに、後ろめたさは増していくのだけれど。
『もちろんいいですよ。でも心の準備があるのでどういう人なのか教えておいてもらえますか』
『前の彼女の妹です。昔はよく三人で会っていて、今でも僕を心配してくれています』
女性と聞くと、ちくりと嫉妬の気持ちが湧いてくる。そうそう、恋愛ってこういうものだった。
『その方はおいくつなんですか? 郡山に住んでいるの?』
『あ、説明が足りないですよね。すみません。彼女は高校生です。会津に住んでいます』
『そうなんですね。こちらこそなんだかごめんなさい』
画面の文字を通じてでも、わたしのほっとした気持ちはきっと伝わっただろう。
三人で次の休みに会った。会津若松にわたしと秋平さんが出向いて、おそばを食べたり、お城に登ったりした。
わたしの弟がすぐ近くで暮らしているのだが、まだ秋平さんを紹介するのはちょっと恥ずかしいので、今日は顔を見ずに帰ることにする。
秋平さんの元カノの妹さん。
明るい子だった。秋平さんによく懐いていた。
お城の頂上で街並みを眺めながら、彼女は秋平さんの隣で笑っていた。連絡はたまに取っていても会うのは久々のようで、近況や思い出話に花を咲かせていた。わたしと出会う前のいろんな話を聞けた。また一つ彼を知ることができたと感じた。
「わたし邪魔でしょ。朔さんごめんなさい、ついてきちゃって」
「いいよ。わたしもあなたに会えて良かった」
「わたしこそです。秋ちゃんとはもう半分家族みたいになっちゃってたから、姉が亡くなってからずっと気になっていました。やっと新しい彼女ができたと聞いて、これは見届けなくてはと思って無理にお願いしたの。わたしの中でもけじめをつけるために」
「ありがとよ」
秋平さんが頭をポンと撫でると、彼女はくすぐったそうに笑った。
彼女の名前は時子といった。
「あの、朔さん。もし良かったら連絡先を教えて戴いていいですか」
「あ、いいよ」
わたしもこれっきりにするつもりはなかったので、気軽にアドレスを交換した。
「わたしは生まれてからずっと若松なので、郡山ってあこがれがあるんです。都会ですよね」
「猪苗代生まれのわたしからしたら、若松も十分都会なんだけどね。子供のころ十日市に連れてきてもらうのが楽しみだった」
「来年の十日市は秋ちゃんときっと来てくださいね」
「うん、きっとね。時子ちゃん、郡山にも来なよ。また遊ぼう」
「住んでいるのはどのへんなんですか?」
「えっとね」
時子ちゃんはわたしともすっかり打ち解けてくれた。ショートカットが良く似合っていて、くるくる動くつぶらな瞳がリスみたいな女の子だった。
車で彼女を自宅に送ったあと、郡山に戻るために高速道路に乗った。
「十日市って毎年一月十日にやる初市のことだっけ」
「そ、起き上がり小法師とか縁起物をその日に買い揃えるのが会津の人々の風習でね。特に夜が盛り上がるの。屋台の明かりが綺麗で凄い人なのよ。その日は必ず大雪になると昔から言われててさ」
「へえ、俺も見たいな」
「必ず行こうね」
「うん」
車の中で二人きり。わたしには彼にしなければならない話があった。でもどう切り出せばいいのかが分からなかった。この柔らかい空気を壊すことが怖くて仕方がなかった。
彼がわたしの名を呼んだ。
「朔」
「はい」
「時子を君に逢わすことになったのは、あいつが望んだからだったけど、俺もその必要があるとは思っていた。口で説明するだけでなく、実際にあの子にも会ってもらって、俺に昔ああいう現実があったんだということを実感として知ってもらいたかった。俺もすっきりしたよ。もう何も迷いはない。だから朔、俺と結婚してください」
答えることができなかった。幸せになりたくて懸命に空に向かって手を伸ばす秋平さん。彼はかつて愛する人を失った。予想しない形で、あっというまに。同じ目にあわすことになると思うと、どうしても言うべき言葉が出て来なかった。でもそんなの言い訳だ。
少しだけ考える時間が欲しいと秋平さんに告げた。
結婚相談所で定める期間までにはまだ日があった。できの良くない小学生のように宿題を夏休みの終わる前日まで手つかずにするのはいやだったが、覚悟を決める時間が欲しかった。
「俺、明日から十日ほど中国に出張です。その間は連絡が取れないと思う。帰ってくる頃には返事をもらえるとうれしい」
「はい」
翌日、仕事の帰りに最寄りのコンビニで買い物を済ませて、店の自動ドアから出ていくときに知っている顔とすれ違った。まずい、と思った。
前にお見合いをして、ゲームセンターでデートをして、いやーな別れ方をした、黒い指輪のあの人。逃げようがなかった。真正面から目が合ってしまった。まずい。
しかし意外なことに、彼はにこやかに話しかけてきた。
「や、元気にしてましたか?」
こんなものなのかもしれない。古い友人に会えたかのように、立ち話をして別れた。少しでも縁があった人なのだから、良い終わり方ができればそれに越したことはない。
彼がさりげなく呟いた。
「お住まい、この辺なんですね」
「ええ、そうです」
わたしは悩み続けた。働いているときも、お風呂に入っているときも、常に心の片隅に秋平さんのことがあった。でも彼だってきっと同じような状態で、同じ時間の中を過ごしているのだ。
秋平さんがわたしのことを考え続けている。こんな幸せなことがあるだろうか。
悩むことから逃げてはいけないと思った。
うねめ通りを愛車で走っているときに、前に見覚えのある赤い車を見つけた。秋平さんと同じ車だった。とにかく狭いこの町は、簡単に知人に出くわしすぎる。
車間を詰めて一応確認したが、運転しているのは違う人だった。
わたしは赤い車の後姿を眺めて追走しながら、想像をした。
その車を運転しているのは秋平さん。
後部座席に座っているのはわたし。
助手席でないのは理由がある。
だってわたしの隣にはチャイルドシートがある。
そこには秋平さんとわたしの赤ちゃん。
男の子だろうか。女の子だろうか。
今日は親子で仲よくお出かけだ。
どこにいくのだろう。
買い物だろうか。
それとも湖だろうか。山だろうか。
わたしたちには、この子に見せてあげたいものがたくさんある。
綺麗なものをいっぱい見せてあげたい。
それほどきれいとは言えないけれど、わたしの笑顔をいっぱい見せてあげたい。
そして、言葉では上手く伝えられない幸せになる方法を、時間をかけて見つけてほしい。
秋平さんがバックミラー越しに後部座席のわたしを見て何か言った。そして微笑んだ。
きっとわたしが何かバカなことをいったのだろう。
目が涙であふれた。いつまでも前を走る赤い車を追いかけ続けて、幸せな想像に浸っていたかった。
けれど赤い車は信号を右に曲がって行ってしまった。
わたしたち親子は静かに遠ざかって行った。
アパートに帰り、郵便受けを確認したとき、あれっと思った。
誰かが漁った形跡がある。漁って、もとに戻したつもりのようだが、整いすぎていて逆に分かる。
わたしがこんなことをされるのは初めてだったが、周りの人に聞くとアパート暮らしは一度や二度やられるとも聞く。嫌だけれどこういうこともあるのだと、意識的に気に留めないようにした。
夜、時子ちゃんから電話があった。
「あの後、秋ちゃんとも電話しました。少し変でした。元気がないわけではないんですけど、どこかふわふわしていて。何かあったのかな?」
そりゃプロポーズの後だもの。
「朔さんと秋ちゃんは結婚するんですか」
「ああ、うん。するかもね。まだ分からないけど」
「どうして分からないんですか。朔さんは迷っているの?」
「あはは。そりゃ迷うよ。だって結婚だよ」
「わたし秋ちゃんには幸せになって欲しいんです。姉を失ったときの秋ちゃんは本当にかわいそうだった。見ていてつらかった。できるならわたしが秋ちゃんを幸せにしてあげたいのですが、どうもそうはいかないようなので」
「うん」
わたしとて、多少は物事を察するということができる。時子ちゃんの秋平さんに対する気持ちは分かっていた。
「秋ちゃんにわたしができることは、自分に許される範囲で彼を守ってあげることだけです。朔さん、わたしって結構間抜けなんですよ。見た目どおりなのか、意外になのかはよく分かりませんけど、ちょくちょく怪我をすることがあります。二か月ほど前にも腕を骨折しました。秋ちゃんのところへ遊びに郡山へ行ってたんですけど、秋ちゃんの自転車を借りて近くのコンビニに行こうとしたら、自転車がわたしには大きかったせいか派手に転んじゃって」
「え、それは大変だったね」
「病院直行です。秋ちゃんに車で送ってもらいました。わたしの実家に電話して、怪我をさせてしまって申し訳ないと謝ってくれました。怪我した腕よりも胸が痛みました。彼はなにも悪くないのに、わたしのために。病院で電話をしたり、手続きをしたりで秋ちゃんが動き回っている間、わたしは固めたてのギブスを情けない気持ちで見つめながら待合室の椅子に座っていました。手続きは少し時間がかかっていました。その間あたりの人たちの様子を眺めたり、話声に聴き耳を立てたりしていました。若松と郡山って、大して離れていないのに言葉が全然違くて面白いですよね」
「ああ。同じ県っていわれてもぴんとこないくらい違うよね」
わたしは時子ちゃんの話のトーンが少し険しくなったことを不思議に思いながらも答えた。
「でも郡山にはとんでもない人がいますね。若松の田舎ではちょっとお目にかかったことがないくらいひどい話をしている人がいました」
「へえ。……どんな話?」
「詐欺ですよ、朔さん。人の気持ちをもてあそぶ仕事です。幸せになりたくて、勇気を絞ってやってくる人たちからお金を巻き上げて陰で笑うお仕事です。そういう人に限って、わたしだって辛いのよ。本当はこんなことしたくないのよと被害者ぶる。わたし聞いていて吐き気がしました。耳をふさいでその場を立ち去りたいくらいでしたが、あいにくギブスで固められた手ではふさぐのにも不便ですし、顔を見ておくべきだと思って覗きこんでおきました。だって自分の大事な人がそんな最低の人間に引っかかったりしたら大変じゃないですか。見ておいてよかった。朔さん、あなたはずいぶんと清らかなお顔で自分の所業を語っていましたね」
あーあ。
笑ってしまうところだった。
また見られちゃった。中学の時と何にも変わらない。
言い訳をすべきだったのだろうか、このときに。
「それは違う」とでも。
自分なりに正しくあろうと生きてきた結果がこれであることを、時子に理解してもらうよう努めるべきだったのかもしれない。
でもわたしは何も言わなかった。ただほっとしていた。世界で一番正直でありたい秋平さんの前で、言葉をこね回して自分を僅かにでも正当化するような愚を犯さずに済んだことに安堵を覚えていた。
「この前会ったとき、わたしすぐにあなたが分かりました。でもさすがですね。あなたはちゃんと秋ちゃんに恋しているように見えましたよ。時期を見て彼を捨てるつもりのくせに。自分の耳で聞いていなければわたしだって信じられなかったでしょう」
「時子ちゃん、このこともう秋平さんには話したの?」
「秋ちゃんは純粋な人です。すっかりあなたに騙されてしまっています。だからわたしがなんとかするしかない。わたしは考えました。あなたを憎んでいる人間が必ずいるはずだと思いました。わたし以外にもね。案の定見つかりましたよ。手段は色々とあるもんです。朔さん、あなた結構前から男の人につけられていたみたいですよ。怖い怖い」
「そっか」
こんな状況にも関わらず、心が安らいだ。
「あなたはもう秋平さんに全部話したんでしょう? 話しても秋平さんはわたしを信じてくれた。あなたよりも。嬉しいわ」
「なんですかその言いぐさは、あなたがすべきことは自分の行いを恥じてわたしに許しを請うことでしょう?」
「少なくともあなたに謝るつもりなどない。子供は引っ込んでなさい」
「戦うつもりなのね。分かりました。あなたを失ったら、秋ちゃんはまた絶望の底に落ちてしまうでしょう。でも大丈夫、彼の側にはわたしがいます。わたしが彼を愛している限り、あの人はひとりぼっちじゃないのです」
「でも君はひとりだよ。人ってね、そばに誰もいなくとも孤独とは限らないの。けれども反対にね、誰かのそばにいれたとしても、その人が大好きだったとしても、それゆえにひとりになってしまうことがあるのよ」
「意味が分かりません」
「いつか分かる」
電話が切れた。
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