第23話 綿貫さんと
スミレに『ルールの確認』をした。
「お見合いの予定を数件入れていたとする。あ、常識の範囲内でね。そのとき途中でうまくいったら、残りの約束は当人にとってはいらないことになるよね」
「いらないけど、その場合は『本命には態度保留の状態で残りをこなして、最後に返答』というかたちを取る」
「それだと相手をじらせちゃって、気持ちが変わる危険がない?」
「待たせるような駆け引きっていい方向に働く場合もあるから」
「で、わたしの場合はどうなるの? 綿貫さんに返事しても良かったんだよね?」
「うん、いいよ。ただお見合いはお見合いでやってもらいたい」
わたしはスミレのことをじっと見つめた。涼しい表情の奥を覗き込もうとした。
「いや、だからそのことを聞いているのよ。綿貫さんと会う前後で別の人とお見合いを普通じゃないペースで何件もするなんて、わたしいやだよ」
「わかるけどわたしだって困る。これから二週間で二十件も予定を組んでしまっているんだ。譲歩してもらえないだろうか。わたしだってあなたに貢献できているでしょう?」
その後の二週間はスミレの言うとおりにお見合いをこなした。食事の約束を控えた綿貫さんのことは少し気にかけたり、かと思えば忙しくてすっぽり忘れていたりを繰り返した。
スミレからはもう一つ言われたことがある。
「間違っても、わたしたちがやっていることを綿貫さんにはばらさないでね」
「言う訳がないでしょ」
そこは任せてほしい。わたしは嘘つきなのだ。
「頼むよ」
スミレからは何度も念を押された。
太郎くんを怪我させた件については、園長先生から厳重注意を受けた。子供の触れかたは保育士としての基本であって、それがおろそかになるということは、知らず知らずのうちに仕事に対して悪い方向に慣れてしまっているのだと諭された。太郎くんの母親からはいろいろ言われたに違いなかったがそれについては何も言われなかった。
子供たちのわたしに対する態度は数日間ぎこちなかった。でも下山さんがいつもよりも高めのテンションで子供たちとはしゃぎ、その輪にわたしを巻き込んでくれた。
そうするうちに徐々にもとへと戻って行った。
子供たちが使ったマグカップを水場で洗っているときに、同僚の女の子が話しかけてきた。
「太郎くん、保育園やめるってよ」
そんな感じのタイトルの小説、あったね。
洗い物を終えると、すぐに園庭で花壇の修理をしていた下山さんのもとへ向かった。
彼は赤や黄色の小さな花に囲まれて作業をしていた。
本人はそう思っていないようだが、彼には花が似合う。
「やあ、聞いたみたいだね」
走って息が少しあがったわたしのことを一瞥してから、彼は向き直り花壇の柵をまたいじり始めた。
「君のことは関係ないから、大丈夫だよ」
「でもこのタイミングでは誰がどう見ても」
「ああ、そうだね。世間の連中は朔ちゃんのせいだと思うかもしれない。確かにそうだ。僕のほうから違うってできるだけ説明するようにするよ。朔ちゃん本人が言ってもこういうのって駄目だもんね」
「わたしそんなこと気にしてません」
下山さんはよいしょと立ち上がって軍手についた土を少し払った。そしてわたしのほうを向いた。寂しげな笑顔だった。
「ほんとに違うんだ。元女房がね、震災のあとからずっと郡山を離れたがってた。ようやく準備が整ったみたいなんだ。東京に行くって。誰かと一緒になのかは聞いていない」
ああ、君も。
太郎くん、君もこの町を去って行ってしまうのか。
それを悲しむことは君への侮辱なのかもしれない。わたしは笑って見送るべきなのかも知れない。
「下山さん。何が正しいのかわたしには分かりません」
「それでも人は選ばなきゃなんないんだ」
わたしは天を見上げた。雲一つない天気だった。郡山は若葉の揺れるとてもいい季節を迎えていた。
「せっかくあなたはどんな形であれ太郎くんのそばにいれたのに」
「ほんとだよね」
下山さんの手が伸びた。彼はわたしの髪に触れた。
軍手で。
「うわ、下山さん、結構な量の泥が」
ぼろぼろこぼれる土をかぶってしまい慌てて払うと、下山さんは、愉快そうに笑った。
「あんまり深刻そうな顔をしないでよ。永遠の別れじゃないんだ。この先どうなるかなんて誰にも分からない」
下山さんはバケツとスコップを手に歩きだした。
「さあ、戻ろう」
「太郎くんはいつまでいられるんですか」
「夏休みに入るまでだね。竹本選手の被災地訪問は参加できるよ」
そちらの話も着々と進んでいた。下山さんの交渉で、さいころ保育園の父兄が中心の草野球に、竹本選手も参加してもらえることになっていた。
「太郎くん、きっと喜んでくれますよ」
「だといいね」
色々と問題を抱えた日々ではあったが、得るものもあった。スミレからもらう『手当て』がそろそろまとまった金額になっていた。
お金をもらうことについての嫌悪はいまでもあったが、なにかが加算されていく感覚というのは日々暮らすなかで助けになってもくれる。前にか後ろにかは分からずとも、とりあえず自分はどこかに移動しつつあるのだと思える。
休みの日、少し空いた時間にわたしは駅前へ買いものに出かけてみた。買い揃えるものが少しあったし、なにかそれほど高くないものならば、散財したい気分だった。
自転車で行くことも考えたが、荷物が増えそうだったので車にした。
ドラッグストアで雑貨を買ってから駅ビルで古着を見ていたとき、上りのエスカレーターからゆっくり頭を覗かせた男性の姿を見てわたしは驚いた。そしてマネキンの影にひょいっと隠れた。
それはこの前ゲームセンターでデートをした男性だった。青いもじゃもじゃのぬいぐるみを、四苦八苦のあげくに取ってくれた人。最後には不機嫌になってしまった人。
彼は一人ではなかった。薄紫色のワンピース姿の女性を連れていた。おとなしそうな人だった。
わたしに気付かずに上の階のエスカレーターへ乗って、二人の姿が見えなくなったのを確認してから、わたしはマネキンの影から出て、すぐに下りのほうのエスカレーターに乗った。
駅ビルを出てからわたしはふうっと一つ、息をついた。
ああびっくりした。こういうのはやはり気まずい。二人の様子はよそよそしさが感じられたので、間違いなくわたしのときと同じようにお見合いをしていたのだと思う。
動揺したわたしは、帰ろうかとも思ったが、思い直して、向かいの別な駅ビルへと歩を進めた。
表を歩けばどこで誰が見ているか分からないのはそもそも当たり前である。
この二か月近くでわたしがやっていることは、二度と会いたくない人間を山ほど生産する作業でもあるということに、ようやく気付いた。
わたしはその日小さな赤いイヤリングを買った。高くはないけれど、今まで持ってなかった類のものだった。
綿貫さんはそれなりに大きな会社に勤めていた。学校を出て数年は本社勤務。それから郡山の支社に転勤となり、今に至る。
初めて会ったときにこんな話をした。
「将来的には東京に戻る可能性があるんですか?」
「上の連中を見ていると、最後までこっちになりそうな方が結構いるからなんとも言えないですね。転勤は抵抗がありますか?」
「いえ別に。郡山が好きですからあえて出ていきたいとは思いませんけど、必要があるなら構いませんよ」
「自分の好きな町で生きていけるってのはいいものです」
「ええ。世界中からなんと言われようとも」
約束の当日、わたしのアパート近くのコンビニを待ち合わせ場所にして、綿貫さんに迎えに来てもらうことにした。
本来のルールとしては、まず事務所に双方が来て、いってらっしゃいと笑顔で見送ってもらって出発するものらしい。
でもスミレ曰く、ちょうどその日その時間に、万が一にでもわたしに顔を合わさせるのは避けたいという人物が訪れることになっているので、外での待ち合わせということになったのだ。誰だろう。心当たりがありすぎる。
待ち合わせ時間の十分前にわたしは到着した。五分前に綿貫さんも到着した。雑誌をぱらぱらとめくっていたわたしに、彼は車の運転席から手を振った。わたしも笑って応えた。
「車、カッコいいですね」
「かっこつけたがりなんでね。帰りは代行タクシーを使いましょう。僕も少しは飲みたい」
綿貫さんの車は赤いRV車だった。わたしは感想を付け足した。
「赤ベコに似ています」
「ああ、そういえば似ているかも。……赤ベコか」
「褒めたつもりなんですが」
綿貫さんは愛車をしばしじっと見つめていた。
綿貫さんに誘われた場所はフレンチレストランだった。白い建物。そんなに大きな店構えではなく、カフェを兼ねているような感じのお店。嫌味のない上品さ。そういうお店が郡山にだって探せば、はじっこのほうにちゃんとあるのだ。
静かな雰囲気。大丈夫かな。こういうところでこの前のように気楽に軽口を叩けるだろうか。
それとも綿貫さんがワインについてのうんちくを語りだしたりするのだろうか。だとしたら、ちょっといやだな。いやだって言うからいいけど。
彼は薄手のジャケットを着ていた。わたしは青地にチェック柄のサマードレスというやつ。マナーに厳しい店ではないので、自分で失礼だと思わない格好で来てくれれば良いと綿貫さんには言われていた。でもそれって試されているみたいで、家で少し悩んだ。
ドレスの端をつまんで彼に尋ねた。
「これでいいんですかね」
「文句ないです。そのイヤリング可愛いです」
赤いイヤリング。おや、気づいてもらえた。
二人で店に入ると白いシャツを着たオーナーらしき細身の人が奥から出てきた。
「や、久しぶり」
「悪いね今日は」
「いいってことよ。任せてよ、綿貫」
白シャツの男性が去ってからわたしは綿貫さんに囁いた。
「『友人がやっているレストラン』ってやつですね」
「鼻につきますよね、こういうのって」
「いえ、あなたの態度が自然なので、さほどでもないです」
「自然ですか」
「ええ」
「しばらく来てなかったので、いい機会だと思って。あ、そうだ。朔さんって食べるほうですか? その、大量に」
「どうかな。女子の平均よりは少し食べるかも」
「そうですか。ここ量はそんなに多くないので大丈夫かなと思って」
「綿貫さんが平気なら、まあ大丈夫と思いますよ。ご心配なく」
スキーの遠征で、良さげなホテルに泊まったことは何度かあった。でもそういうときには、大きなお皿にどってりと盛られた脂っこい料理をみんなで奪い合うという、山賊みたいな食事をしていた。だからフルコースというやつを食すのは初めてだった。
少しは緊張する。
「綿貫、ワインどうする?」
「任す」
「あっそ」
シェフさんが一度厨房の奥に引っ込んで、すぐにボトルを手に戻ってきた。
「これでいいんじゃね? ティスティングする?」
「いや、どうせわからん」
わたしと綿貫さんのグラスに、シェフさんは深くてきれいな色の赤ワインを注いだ。
「なんだか適当で悪いね」
綿貫さんは苦笑しながら、グラスを掲げた。
「こういう軽いノリのほうが、わたしはありがたいです。でもシェフの方のボトルを見る目とか注ぎ方で、本気で選んでくれているかどうかはわかります」
わたしは彼のグラスに、自分のをチンと合わせて、それからワインに口をつけた。
「ほら、おいしい」
花が咲いたかのようだった。
初めに前菜として出てきたのはフランスパンと付け合せの、なにか、コンビーフをものすごく上等にしたようなもの。
それからポテトグラタン。じゃがいもと玉ねぎの甘みとチーズの旨味が丁寧に混ざり合っていた。
油の乗ったサーモンがたっぷり入ったカルパッチョ。
大きなローストビーフ。
どれもとてもおいしい。食べるたびに「んふ?」とか「ほほ?」とか声をあげそうになるのをこらえる。ゆめゆめ忘れることなかれ、これはデートだ。
テーブルマナーについては、スミレと勉強会を開いて一通り学んでおいたので、そんなに破たんした食べ方にはなっていないと思う。
料理の横にわたしだけが見えるデフォルメされたデザインのスミレがフォークを槍のように構えて、わたしの一挙一動を厳しく見張ってくれているようだった。
助かるよ。応援よろしく。
新しい皿が運ばれてくると、その都度シェフが食べ方の説明をしてくれた。
スミレとお酒を飲むときのような雄々しい飲み方をするわけにもいかず、一杯のワインをちょっとずつ飲む。口の中でローストビーフの旨味と豊かに響き合う。
「朔さん。もう一杯もらいましょう」
「あ、わたしは遠慮しておきます」
「うまそうに飲んでるんで。好きなんでしょお酒。へんにかしこまらないで、飲みたいなら飲みましょうよ」
小さなスミレは両腕で大きな×印を作って、わたしを制止しようとした。飲むな、これ以上飲んじゃだめだ。まっ黒な装いだが彼女は天使だ。
その横に小さなわたしが現れた。白い清らかな衣をまとっていたが、こっちが悪魔だ。
飲もうよ。酒、うまいよ。
二人は戦った。そしてわたしが勝った。
「へへ、ばれました? お酒大好きです。じゃ、お願いします」
ワインを三杯ずつ飲んだ。小さなスミレが心配そうに見ているので、ペースが過剰に早くならないように心掛けて飲むことができた。それからデザートのババロアを食べた。もう最初の緊張はなく、ゆるくてあったかい時間が流れた。
今日の綿貫さんはわたしのことをちゃんと『デートの相手』として扱ってくれていて、それが嬉しかった。
コーヒーが運ばれてきて、砂糖をほんのちょっと入れてかき混ぜてから顔を上げると、綿貫さんは窓の外を見ていた。声をかけても返事がない。上の空だ。
「綿貫さん?」
「あ、ごめんね。聞いてるよ」
前にもあった。なにか重たい考え事が頭の中を覆い尽くしてしまっている感じ。
「朔さん」
「はい」
「今日は楽しかったです」
「わたしもです」
とても。
「でもね、朔さん」
わたしはうつむいてぼんやりと彼の言葉を聞いていた。
「会うのはこれで終わりにしましょう。申し訳ないですが、結婚は考えられません」
コーヒーの黒い水面に映る光がほんの少し揺れた。わたしは小さなスミレと顔を見合わせた。彼女も唖然としている。
わたしはフラれた。
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