第21話 ひどいデート

 手初めに、目の前にずらりと並ぶUFOキャッチャーに挑戦してみることにした。

「どれ欲しいっすか、朔ちゃん。取りますよ」


 彼は自信があるようだ。両替した百円玉を手に台の中の獲物たちを品定めしていた。


「じゃ、これお願いします」

 わたしは大きくて青い毛むくじゃらのぬいぐるみを指差した。


「OKっす」

 彼はお金を入れてクレーンの操作を始めた。わたしは後ろからその背中を眺めていた。


 ああそういえば。スキーの合宿に行ったときに、夜中、ホテルの小さなゲームセンターで北野くんとこんなふうにUFOキャッチャーで遊んだことがあった。


 人気のないロビーで、缶コーヒーを手にして二人いつまでも話し込んでいた。


 情けない話だけれど、久しぶりのデートだった。遠い昔の感覚を一生懸命思い出そうとする。今のこの状況が違うことは分かる。わたしはちっともうきうきしてない。


 彼は一発で青いぬいぐるみを仕留めることはできず、何度も挑戦してくれた。クレーンがぬいぐるみにかするたびに「行ける!」とか「惜しい!」とかわたしは声をかける。


 申し訳ないけど、これといって楽しさを感じることができずにいた。


 わたしは一生懸命に笑い、はしゃいでいた。それが義務であるかのように。


 なんだか頑張っている自分が滑稽だ。サラリーマンが居酒屋で上司の冗長な自慢話に眠気に耐えつつ笑い、必死に相槌を打っている様が頭に浮かぶ。いまのわたしと重なって見えた。


 北野くんとのときは、楽しかったのにな。何が違うんだろう。こんなにつまらないんじゃ目の前の彼に失礼だと思い、好調時に見た景色、聞いた音を記憶の沼から掘り起こす。スランプになったときはそういった方法が有効なのだと、ものの本に書いてあった。


 しかし効果は得られず、ただ北野くんの姿を鮮明に思い出すことになってしまった。


 スミレが北野くんから連絡をもらったと言っていた。生きてはいる、と言っていた。

数年前に会社を辞めたというのは聞いていたが、今現在はどういう状況なのだろう。スミレが話題に出してくれた時に意地を張らずに聞いてみればよかった。


 ごとんという音で我に返った。


「取れたよ」

「へ、ああ、ありがとう。凄いね」


 気の抜けた返事をしてしまった。感情がこもっていないことが、たぶんもろばれだった。


 わたしはあわてて言葉を継ぎたした。

「ごめんね、いっぱいお金を使わせちゃったみたいね。場所が難しかったよね」


 上の空ながらも、彼が当初戦術を誤っていて、途中でそれに気づき修正したことは見ていて分かった。


「はい」

「ありがと」

 わたしは青い大きなぬいぐるみを受け取った。デートの一番最初に、こんな大きな荷物を増やしてこれからどうするつもりなのだというくらい、ぬいぐるみは大きかった。


「じゃあ、次はわたしが挑戦してみようかな」

 箱に入ったアニメキャラクターのフィギュアがわたしは先ほどから気になっていたので、それを狙ってみることにした。台に二百円を投入する。


「箱の端にわっかがついているけど、ここをひっかければいいのかな。でもなんだか柔らかくて、クレーンで触ってもはじかれそうだなあ」


「分かったぞ。任せて」

「え」


 横から彼が手を出してスイッチを押してしまった。クレーンが横に移動して、縦に移動して、下がって掴む。


 つかめなかった。かすりもしなかった。

 わたしのかわいい二百円が無に帰した。


「違うか。これ難しいよ。他のにしたら?」

「そうですねえ」


 彼はさっきの青いぬいぐるみを取るのに千二百円消費した。出足からそれではお金を使うペース配分に問題があると思う。


「じゃあこれで最後」

 わたしはもう一度二百円を投入すると、彼が何も言わないうちに、ボタンを押した。


「ここだ」

 神経を集中して、二度目のスイッチ。


 軟弱なわっかの中心と、機械の手が芯でかみ合った。

 箱が大きく傾き、ゆっくりと倒れた。


「やったあ」

「ええ、なんで?」


「なんでって言われても。とにかくとれちゃいましたね、へへ」

 ボタンを押す瞬間に取れるという確信はあったのだが、余計なことは言わないでおいた。


 わたしはため息をつく。

 北野くんへの思いが自分の中に残っているのだろうかとも考えてみた。


 でもそれは違うと思う。デートという状況が、イコール北野くんに結びついてしまうのだ。

 それで今日のわたしは彼の顔がちらちらと浮かんでしまうのだ。


 そのあとのことは、確かにわたしの失態ではあるのかもしれない。


 彼が対戦しようというのでパズルゲームの台に向かい合って座った。

 古くからある『ぷよぷよ』。同じ色を四つそろえると消えるあれ。こちらが消せば消すほど、向こうに妨害の岩が落とせるあれ。


 時代の流れに置いて行かれて久しい我がふるさと猪苗代町にも、このゲームはさすがにあった。だから、わたしは結構やりこんでいた。しかし血眼になって勝利を追及するつもりなどわたしにはなく、お互いはしゃぎながらゲームを楽しみたかったのだが、ちょっとしたはずみで圧勝してしまった。


 何も考えずにやっていても、まぐれでいっぺんに大量に消せてしまうことがある。それを抜きにしても、彼は大した上手ではなかった。


「あ」

 岩で埋め尽くされた画面を前に呆然とする彼。台の横から顔を出したわたしは、「いえーい」とおどけてみたが、彼はただ力なく笑うのみだった。


 次にエアホッケー。

 高速で跳ね返りながら動き回るパック。彼はフルスイングで強打を放ってくる。


 わたしはパックの動きがまあ見えていたので軌道の上に、ラケットをシンプルに置いた。当てるだけにしようと思ったのだが、どうやらそのくらいの意識のほうが、素早い反応ができるし、いいカウンターショットとなって非常に有効なやり方らしかった。


 10対3でわたしの勝ち。

 わたしが声をかけても、最初のように明るい言葉が返ってくることは無くなっていた。


「実は僕、朝から具合が悪いんですよ」

「え、大丈夫なの」


「まあなんとか。というか、僕が調子悪いことに気づいていなかったんですか?」


 スミレの言っていた「キャラクターの試行錯誤」という言葉が浮かんだ。


 そのあとも、接待ゴルフのごとく、なんとかして負けよう負けようとわたしはがんばったのだが、どのゲームでも勝ち続けた。なぜだとわたしは悩んだが、スキーの一線を離れたとはいえ、わたしの動態視力はいまだにそれなりにたいしたものであるらしかった。


 あと多分、わたしはサラリーマンには向かないということなのだ。


 最終的に彼はリズムゲームを黙々と一人でやりだした。もうわたしと勝負するつもりはないらしい。流れてくるさまざまな色のブロックに合わせて、彼はリズムを刻み続けた。


「うまい、うまい」


 実際なかなかうまかったのでわたしは横で声をかけて応援した。


 ただ、ブロックの流れはスキーのレースでの旗門とか、不整地で次々と迫りくるこぶをわたしに連想させた。なのでたぶんわたしがやったら、これが一番圧倒的にできてしまうような気がした。


 彼がまた一曲クリアーしたので、わたしはぺちぺちと拍手をした。彼がこちらを向いた。目つきにぞっとした。


 よし、もういいだろう。帰ろう。


 わたしは携帯に電話がかかってきたふりをした。そして彼から離れて、話すふりをした。


「あの、すいません。親から電話がかかってきて、ちょっと戻らなきゃならなくなりました」


「え、だめっすよそんなの」

「ほんとごめんなさい。でも家の用事なんで」


 引き止められるとは思わなかった。わたしは譲らず、どうしても帰らなければと主張し、不満げな彼を残して大きなゲームセンターを後にした。



 わたしのアパートでその夜、スミレとの『ご苦労会』が開かれた。勢いのない酒だった。


 大きな青くてもじゃもじゃのぬいぐるみを抱きしめながらしょげるわたしの頭を、スミレのほっそりとした手がぽんぽんと撫でてくれた。


「結局得たものはその青いのだけか」

「楽しそうな人だと思ったんだけどなあ。なんなのあの豹変は」


 すでにスミレを通して男性にはお断りの連絡をしていた。


「それにね教訓も得たわ。スミレ、やっぱりわたしには向いてない」

「恋愛がってこと?」


「一生一人でいるとは限らないけど、今は時期じゃないというか」

「決まり文句だなあ。あんたが不老不死ならばそれでもいいけど、人間には寿命というものがあるんだからね。うん、今日のところは落ち込むのも分かるよ。憂さ晴らしに付き合ってあげるから、また明日からがんばろう」


「お見合い? うーん、自分なりに無理してみてこんな結果だったからさ。ちょっと休む時間をくれないかな。男の人と会うの怖い」


「あんたらしくもないね。ずいぶんと弱気になっている。言わせてもらう。ここでがんばらなきゃあなたはダメになる」


「スミレ」

「ん?」

 わたしはスミレのポジティブな笑みをまっすぐ見つめた。仕事の顔だった。


「今月もぎりぎりなの? ノルマ」

「ああ、そうだね。かなり厳しいけれど朔は気にしないで。あなたもわたしを利用すればいい。この状況を利用すればいい。自分の幸せを目指すためのトレーニング。わたしも考えているから。誰でもじゃなくて、できるだけわたしがぴんときた相手だけをあんたにあてがう。わたしを信じて」


 もちろん信じてる。

「ごめんね、弱気になっちゃって」

「長い付き合いじゃないか」


「スミレ、タバコちょーだい」

「はいよ」


 長いメンソールのタバコを手にしたわたしは、スミレの黒いライターで火をつけてもらった。タバコに執着のあまりないわたしは、切らしていることも多いし、ライターもすぐになくしてしまう。


 スミレも自分でたばこに火をつけた。二人でふうと煙を吐きだしだ。それはきっとどちらともため息だった。


 青いぬいぐるみが煙たそうにしていた。


 次の週末は二日で十二件という強行日程をこなした。確かに家でふて寝をしたところで、気分は大して晴れない。いまは何かをしていたほうがまだいい。


 結果は大敗だった。こちらから言うまでもなく、向こうから断られ続けた。

 わたしは今までどおりに振る舞っていたつもりだったのだが、終わった後でスミレに「元気ないね」と声をかけられた。


 相手の男性と話が弾みかけたことはあったが、好意をもたれそうかなと思うと、この前の合わない相手との苦痛なひと時を頭が勝手に連想してしまって、心が強張った。


 北野くんとの交際のときは、はじめから居心地が良い時間を過ごすことができた。お見合いがそういうものだとは分かるのだが、知らない相手とゼロから信頼関係を積み上げていく怖さを知ってしまったのだ。


 本格的に恋愛恐怖症になってしまったかのようだった。


「今まではその恐怖すら知らなかったんだから、ある意味では幸せだったんだろうけど、そういうのも一歩前進と思わなくちゃ」

 スミレはわたしを励まし、翌週もたくさんのスケジュールを組んだ。


 今度はいい印象を持ってくれた男の人が何人かいた。


 でもわたしは断った。断り続けた。プロフィールをろくに見もしなかったし、会話も右から左、何も考えずに最初からの予定通りに断った。

 

 相手と話しが合わないとわたしはほっとした。癇に障るところを、違う生き方をしてきたのだなと思うところを見つけるたびに安心するのだ。


 これでわたしは胸をはって断りの言葉を伝えることができる。


 わたしは疲れがたまっていた。どんなに眠っても、体の重さが抜けてくれない。それは仕事にも悪影響を与えた。

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