第20話 いらだち
土日で十件ものお見合いをこなして、息も絶え絶えにスミレのハイタッチをうけた。
「これで今月は何とかなった。ありがとう、朔」
「疲れたぞこんちくしょー」
気が立っていたのかその夜は眠りがいまいち浅かった。
職場であくびを噛み殺していると、下山さんがやってきた。
「飲み会、今週末で決まったんだけど、君はどうする?」
父兄との親睦会のようなものが時折あるのだ。子供の話もするにはするが、保育園児の親だと皆まだ年齢が若いので気楽な合コンに近いような雰囲気になる。
給与削減の話が出て保育士たちの士気は正直下がっていたが、こんなときだからこそ楽しく騒ぎたいという気持ちはわかる。
「じゃあ、たまには顔出します。出席で」
「お、珍しいね。分かった」
いままではほとんどお断りしていた。うっかり父兄にもててしまうと面倒くさいことになるからだ。
お見合いのときのような重装備はまちがってもしてはならないと思ったので、薄い緑色のカーディガンを羽織って、そのうえに茶色いコートという素朴な格好で、駅前の居酒屋に向かった。草色の服で茂みにうまく紛れるのだ。
「朔ちゃん来た来た。ここ座って!」
乾杯前から元気なお父さんたちが拍手でわたしを出迎えた。紛れさせてよ。
参加者は十名ほど。母親や同僚の女の子がいて、男女が半々。この時点でいつもなら苦手なシチュエーション。
立ったままで見渡すわたしは軽薄な視線を浴びた。それでちょっといらついた。
いつもならばこのくらい平気なのに、神経が過敏になっているようだった。
「えーと、じゃあこのへんに」
お父さん二人の間に座った。向かいの下山さんの目が「そこ座るか」と言っているようだった。その二人は、片方が酒ぐせが悪く、片方は女ぐせが悪いと評判だった。
でも座った。
誰でも予想できるような展開になった。酒臭い息とともに吐き出される下ネタを浴びて、肩を抱かれた。わたしはこれといって抵抗せずに、大きな声で笑っていた。
下山さんは、彼が太郎くんのことをひいきしているとのくだらない指摘を受けていた。彼は苦笑を浮かべてやり過ごそうとしていた。それを遠くでの出来事としてわたしはこっちはこっちで盛り上がっていた。
でもわたしの心の内はずっと荒れ狂っていた。笑えば笑うほど、怒りが跳ね回った。何もかもが気に入らなかった。
二件目のお店を出て駅前のアーケード通りをわたしは歩いていた。
夜風をうけながら手を握られているようだったが、相手が誰なのかもよくわからない。
ふと行く手をさえぎる人影があった。下山さんだ。たぶん。
「勘弁してあげてくれませんか?」
わたしの隣の男の人と下山さんはしばらく話をしていた。わたしは他人ごとのように町の明かりを見上げてさまよった。ここまで酔っぱらってしまうのは久しぶりだ。
ベンチがあったがどうも座りづらそうな形だったので、隣のバス停の土台部分に腰掛けた。横を何人かが通り過ぎた。向こうも基本的に酔っているので、互いに手を振りあったりしたが、眉をしかめて、なんてはしたない女だろうという顔の者もいた。
はじめの顔を思い出した。いつのことだっただろう。彼はわたしに失望して、それが顔にはっきり表れていた。
下山さんの大きな影が近づいてきた。そのとき彼は誰かに後ろからふくらはぎのあたりを蹴られたが、冗談の蹴りか本気かは下山さんの表情からは分からない。どちらだとしても守備力の高い彼には通じない。
「下山さんどうしました? 今夜はまた一段とふくらんでいるじゃないの」
「その酔い方はさすがにまずいでしょ。いくよ」
「ですねえ。連れて行ってください」
わたしは子供のように両手を伸ばした。下山さんが引っ張り上げてくれた。
まっすぐ歩くこともできないわたしは下山さんの太い左腕に自分の腕をからませた。
「もう一件でもいいですよ?」
「うん、わかった」
寄り添いながら、牛丼屋に連れて行かれた。これだからおでぶさんは。
「君は無理して食べなくていいよ」
「大丈夫ですよ。しめの牛丼なんて粋じゃないですか」
下山さんは相当の量を飲んで食べていたはずだったが、それでも牛丼大盛りをたやすくたいらげた。
お店を出て、駅のロータリーを並んで歩いた。タクシーの群れがこちらを伺っているようだった
「それで、何かあったの? おかしいよ今日の君は」
「別に。わたしはこんなものですよ、悪女だもん。下山さんのことも好きです」
わたしは下山さんの胸にもたれかかった。
「困らすなよ」
「困ることでしょうか? わたしたちにこういうことがあっても別にいいじゃないですか」
「好かれて悪い気はしないけど」
「ああ本気にしちゃった? 確かに好きと言いましたね。でもこれはね、下山さんが本当に好きなわけじゃなくて、単にわたしが誰かに好きだって言葉を言いたかっただけなんです。きっとそうです。ストレス解消ですよ、悪いですか? わたしだって人間だから、つらいときがあるんです」
そうだ思い出した。はじめは、わたしのスキー板のエッジが錆びているのを見つけてしまったんだ。彼は、わたしがそういうことだけはしない人間だと思ってくれていたのだ。
でもごめんね。わたしはこの程度の人間なんだよ。
「下山さん。あなたもたまにはわたしに甘えてもいいのよ。どこにでも行きますよ? あなただって苦しいのよね。分かるよ、かわいそうに」
下山さんのふくふくな手を握って見上げた。彼はその手を振り払って、わたしの左ほほをたたいた。
「あははー、叩かれちゃった」
「タクシーで帰りなさい。送っていけないけど、気を付けて」
明日もスミレの頼みで四件のお見合いをする。
わたしは自分が叩かれて当然の人間だと思っていた。
だからわざと下山さんが一番言われたくないような言い方をした。
ごめんね下山さん。あなたをも利用してしまった。
ある日、お見合い相手の一人からデートに誘われた。
交際の意思は相談所の職員を通してというルールをすっとばして、お見合いの最中に遊びに行く約束を時間と場所まで取り付けられた。
「じゃあ、またね。スミレさんにOKっていってよね」
「うん、わかった」
去り際、彼につられて手を振った。
「スミレ、困った」
「積極的だなあ。あいつ結構ここ長いんだよ。最初は引っ込み思案だったんだけど、だんだん慣れてきて、結果が出ないものだからキャラクターを色々試行錯誤しているんだな」
「断って大丈夫だよね」
「まあね。でもデートしても大丈夫だよ」
わたしは腕を組んで考え込んだ。悪い人ではなかった。
向こうからどんどん話しかけてくれて、そこそこ内容もおもしろくて、規定の一時間が一番短く感じられたのがその人だった。知識もいろんなジャンルに関して持っていそうな感じだった。
やはり会話が途切れないというのは、こういう出会い方に置いて重要である。
聞いているか綿貫さん。重要なのだよ。
「約束しちゃったもんなあ。仕方がない。じゃあもう一度会ってみようかな」
「決まりね。わたしから先方にあんたのアドレスを教える。彼からの連絡を待ってて」
スミレが明るく微笑んだ。彼女のそんな表情は久しぶりに見たような気がする。
「楽しんできな」
一回目に会ったときの会話のなかで普段どんなところで遊んでいるかは聞いていて、そこに誘われるのだろうというのは見当がついていた。その場所とはゲームセンターだった。
「朔ちゃんはこういうところ来ないんでしょ?」
「高校のころとかは割と来ていたんですよ実は」
スキー部の場合、冬は二十四時間スキーが中心の生活になるけれど、シーズンオフは割と時間がある。高校の時、友達と学校帰りに寄ることはよくあった。
ただし、わたしの知っているゲームセンターはこんなではなかった。
「なんだか途方にくれてる?」
「ええ、色々と。まずですね。大きさが違う。なんですかこれ、デパート? この前も言いましたけど、わたしの実家は猪苗代町なんですよ。なのでゲームセンターなんてもっとこう、うらぶれた感じのものしかなかった」
わたしはきょろきょろとあたりを見回した。まるでおのぼりさんである。実際わたしが東京に行けばこんな感じになる。
スキーの関係で昔は日本全国を飛び回っていた。ついにはその行動範囲は海外にすら及んだ。でも行った先のすべてが自然豊かな田舎だったわけだ。
「あとは、なんだろ。置いてあるゲーム機の配分が。いやこのへんなんてUFOキャッチャーしかないじゃないですか」
「コールドスリープでもされてたんすか? 現代人とは思えない新鮮な反応っすね。まあ遊ぼうよ」
「はい」
相手の男性はひとつ年下だった。若い。プロフィールを渡されたとき、異様な若さに戸惑った。
わたしも登録している女性のなかではかなり若いと聞いているが、二十代の男性などさすがにこの人だけだった。どうしてこんな若い男の子がお見合いするのだろう?
聞いても「出会いがない」としか教えてくれなかった。
学生時代は特に部活はやっていなかったそうなのだが、でも口調には体育会系の後輩みたいな雰囲気が混じっている。
顔つきは年よりも少し幼い。服装は相応に今っぽく、今日も黒いおしゃれな中折れハットをかぶっていた。
両手に黒い指輪が、ぜんぶ合わせて多分七つくらいはめられていた。
わたしも赤いジャケットにジーンズという、アクティブな格好で今日に臨んだ。ゲームセンターでおしとやか系というのも変だし。
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