第19話 エスカレート

 更にもう五件、お見合いをしてほしいというスミレからの申し出はすぐに来た。この前と同じように、夜の会社で話し合った。


「約束が違うよね?」

「悪いと思ってる。けど人の感情を相手に商売しているわけだからさ。計画を立ててもなかなかその通りに話が進んでくれない。今回も土壇場キャンセルが重なってしまった。この前の経歴詐称男が致命的だった」


「スミレ聞いて。わたしだってあなたを助けてあげたい。でもここでわたしが引き受けてしまったら、この先どうなるかは目に見えている。あなたはまた次のお見合いを持ってくるのよ」


「うん、きっとその通りだ」


 スミレは両手で自分のこめかみを何度も押した。苦しそうだった。


「この前お見合いして、嫌だった?」

「あたりまえでしょ。正直なところ、嫌だったよ」


「ほかに、いないかなあ。こういうこと手伝ってくれそうな知り合い」

「わたしに声を掛けろって言うの? 『結婚したいかどうかはどうでもいい。数字を満たすために手伝え』って。ねえスミレ、それ本気で言ってる? スミレ今あなた、こんどはほんとに、わたしに人をだませって言っているのよ」


「朔?」


「わたしわかっていたよ。この前のお見合い、営業ノルマに届かないのも本当だったろうけど、それ以上にわたしにお見合いさせてやりたかったんでしょ。分かっていたよ。わたしのことを思ってくれていたということを。でもいまの言い方は違った。自分の保身が先に立っている」


「ほかにどうしようもないのよ。あんたのいうことぐらい、わたしだってわかってるよ!」


 スミレは拳でテーブルを強く叩いた。大きな音が暗いオフィスに悲しく響いた。

 

 わたしは椅子にもたれて、ため息をついた。


「ねえ朔、助けてよ。今まであんたに頼みごとなんてしなかったでしょ? それにスキーのことだっていうのをやめた」


「スキーのこと」


「わたしは滑りたいのに、足の怪我のせいでもう滑ることができなくて、あなたはそれができるのに捨てた。あなたと仲よくやっていたいからもう口に出さないようにしていたけど、つらくないわけじゃないんだからね。どうして神様は上手いことバランスを取ってくれないんだろうって思うことは何度もあった。でもあなたには言わなかった」


 耐えてくれていたことは知っていた。そのうえでわたしには彼女の存在が必要だったから甘えていたのだ。


 スミレ、わたしたちの関係は一方的だったのかな? これはその反動みたいなものなのかな?


 ごめんねスミレ。とうとう言わせてしまった。


「頼むよ。ほんとのところ、ほかの同僚も似たようなことはいくらでもやっている。疑われたことはあっても事件にはなっていない。なんとかなるんだよ。助けてよ朔。だめかな。わたしは信用してもらえないのかな?」


 わたしはそっと彼女の細い手を握った。


 老いた自分がいつの日か、体中傷だらけになって人生を走り終えた姿が浮かんだ。


 来た道を振り返る。


 この世界は酷い場所だった。いや違う。誰でもない、世界を汚してしまったのはわたし自身だ。でもそうしなければ生きることができなかった。


 高校三年の冬、わたしはスミレに勝ってしまった。


 命を落とした仲間のためにわたしができたたったひとつのことだった。


 でもスミレに勝つ資格など、わたしにはなかった。


 そのことは彼女に対する消えない負い目としてずっとあった。


 それがわたしの言い訳だ。


「スミレ。これでもね、あんたを信用してんだ。わかった。一緒にどぶの中にでも飛び込んであげる」


 スミレは手を強く握り返した。

「ありがとう」


 彼女の凛々しく吊り上った瞳から、涙がぽろぽろとこぼれた。


「昨日ね。わたしの担当じゃないけど、婚約が決まったカップルがここへ報告に来た。幸せそうだった。とっても幸せそうだったんだ」


 その数日後に、保育園で給与の一部カットが通達された。園児の減少のせいで今までの賃金が維持できない。状況が改善するまでの一時的なものとの説明が園長からあった。

 

 状況の改善という言葉の響きはとても空しかった。


 でもわたしは少しだけほっとした。話しの順番が逆で良かった。給料が減る話が先だったら、わたしはスミレの提案に自分から積極的に乗っかってしまったかもしれない。


 これから手に入れるだろうお見合いの手当てはとても助かるが、わたしが承諾したのはあくまでもお金の為ではなく、スミレのためなのだ。


 みなさん聞いてください! 

 スミレのために。人のために、わたしは尊い汚れ役を買って出たのです!


 どうだか、とわたしは人知れずつぶやいた。



 事務的に、こうなったらとことん事務的に。


 お見合いの席に座りながら自分に言い聞かせた。わたしは向かいに座る様々な男性の心を容赦なく踏みにじっている。だがあえてそれを無視する。するしかない。


 翌週に五件。次の週は四件。平日の夜にもスケジュールが組まれるようになってきた。土日が休みじゃない男性は世の中たくさんいるのだ。


 段々緊張もしなくなりこの状況に慣れてきた。人間ってたくましいものだ。いや、ふてぶてしいとでもいうべきか。


 相手の男性方も(まっとうな権利として)複数のお見合いを行っているので、鉢合わせして気まずいことにならないように気を使う必要も出てきた。


 車は何を乗っているかという質問に答えてしまったことがあったので、仕事帰りに直接車で向かうときも、結婚相談所のあるビルからは十分離れた場所に停めなければならなかった。


 ひんぱんに男性と会うようになり、自然と普段から身なりを気にするようになってきた。


 それまでがずぼらに過ぎたということもあるのだが、さいころ保育園では『朔、彼氏できたんじゃね? 説』がまことしやかに囁かれた。


 たぶん話し方とかにも微妙に影響が出ているのだと思う。


 その日の一件目のお見合いが終わって、わたしはバッグから封筒を取り出した。


 中にはお見合い相手のプロフィールが束になって入っている。


 わたしはこれからすぐに行われる二件目の相手を確認した。


 綿貫秋平さん。八才年上。


 写真は例のごとくいじっているだろうからあまり参考にはならない。ただ、いじっているわりに、顔つきが暗いことが少し気になった。


 決まった時間をやりすごすことが手ごわい相手であるのかもしれなかった。


 足音が近づいてきた。わたしはうつむいて待った。自分の青いワンピースを見つめた。


 赤系のほうが明るく見えるとスミレには言われた。しかし相手の男性がわたしにフラれても少ない傷で済んでもらうには、暗く見えて構わない。魅力的である必要がない。


「綿貫です」

 

 敷居の影から現れた綿貫さんは黒い薄手のセーターを着ていた。


 顔は思ったほど写真との相違はない。肌が白く鼻筋が通っていてそれなりに良い見た目だと思うけど、やはり表情が暗い。


 同業者さんなのかなとすらわたしは思った。お見合いの件数稼ぎ。


 システムとしてそれはありえないのだけれど、そのくらい彼には女性にもてようという意欲が感じられなかった。わたしが言うのもなんだが、この人はいったい何しに来ているのだ。


 まあいいや。一時間やり過ごそう。


 予想通り会話はあんまり弾まない。お互いの仕事のこと、趣味のこと。お見合いに置ける会話のパターンはだいぶ見えてきたつもりだけど、うまいこと広がりを見せてくれない。


「あの」

 もどかしくなって、つい聞いてしまった。


「はい?」

「体調とか大丈夫ですか」


「え、問題ないですよ」

「今日は元気ないのかなと気になってしまったもので」


「別にあなた普段の僕を知らないじゃないですか。いつもこんなものですよ」

 彼は鼻で笑った。


 わたしは弱い笑みとともに小首を傾げて、いろんな考えを巡らせた。


 なんつー態度だ。


 もしここで喧嘩したらどうなるんだろうなあ? 大人としてまずいことではあるけども、わたしも一応はこの結婚相談所のお客さんという立場だし、仕組みとして、そんなに悪い評判がたったりもしないはずだよなあ。やっちゃおうかなあ。


 一応こらえた。


 根本的にわたしは女としての修業が足りていないかもしれない。

 付き合ったのも北野くんだけだし。


 こんなことなら学生時代にキャバクラでバイトでもしておくべきだった。ちなみにスミレにはその経験があったりする。


「質問があります」

 とうとう会話が途絶えて困っていたところに、あらたまって綿貫さんが尋ねてきた。


「いいですよ。どんどんどうぞ」


「引かずに聞いてください。僕があなたに命をあげると言ったとします」

「もう引きましたが」


「そう、じゃあやめよっか?」


 二人とも静止してじっと見つめ合った。目をそらしたら負けな感じだった。


「いえ聞きますよ一応。そうでもしてないと時間を持て余しそうですし」


 わたしは紅茶を飲み干した。なんか調子出てきた。悪い意味で。


「あなたのために死んであげるって話なんですけどね。その場合朔さんは、対価としてどこまでのことだったら僕にしてくれますか? 何をくれますか? 朔さんの命以外のことで、教えてください」


「それは性格テストのようなものですか?」

「分かりませんよ? 返答次第ではほんとに僕死ぬかも」


「ふん」


 わたしはさっき飲み干した紅茶のカップをもう一度傾けた。当然何ものどに流れ込んでは来ない。


「まずはですね。死ぬとか簡単に言う男がわたしは大っ嫌いです」

「なるほど?」


 綿貫さんは動じない。座り直して膝を組んだ。どちらもお見合いの態度じゃない。


「それはそれとして質問には答えますけど、どうかなあ、あなたが期待するほどのものは捧げてあげられないかもですね。お金だとしても全財産なんて言うのは無理です。あくまでもわたしの生活が破たんしない範疇でならあげるかもしれません。まあお金じゃ味気ないから他の物事で考えてみると、わたしの部屋にですね、絵が飾ってあるんですよ。それならあげてもいいです」


「値打ちものなんですか?」

「全然。レプリカですから」


「僕の命はレプリカぐらいの価値しかないと」

「ああ、そう受け取っちゃいますよね。うーん、ちょっと違うんですが」


 貧弱な語彙をもってではあったけど、ちゃんと説明しようとした。


 絵というのはモネの『印象、日の出』のことだ。曇り空の向こうに淡く日の出が見える港の風景。舟をこぐ物憂げな人の影。好きな絵だ。


 毎日出勤する前にその絵をひと眺めするのが日課だ。手を合わせたりすることもたまにある。


 その微かな日の光が自分とっての何なのか。見るたびにちょっとずつ違って、自分の精神状態を確認することができる。わたしにとって『今日の占いカウントダウンハイパー』みたいな存在だ。


「もう太陽はわたしに届かないんです。晴れた日差しを浴びることはない。失われたものではあるんですが、その弱々しい光がわたしにとっての残された救いでもある」

 

 綿貫さんは膝を組んだ姿勢のまま、相槌も打たずにじっとわたしの話を聞いていた。


「あなたがわたしに命を捧げるというのならば、その絵をあげてもいいですよ」


「分かりました。どうも。テストではほんとにないんで診断結果はありませんが、ためになりましたよ」


「それとねえ綿貫さん」

「はい?」


「別にいいんですけどね。他のお見合い相手にも、今みたいな質問をしているんだったら、やめといたほうがいいと思いますよ」

「不快でしたか?」


「楽しくはありませんでした」


 最後までよくわからない感じで綿貫さんとのお見合いは終わった。例のごとくスミレと綿貫さんは連れ添って出て行った。


 どこが事務的だ。


 これって互いの本音をさらけ出したうちに入るのかな。わたしの言葉はどんなふうに彼の心に響いたのだろう。ぼんやり物思いにふけっているとスミレが戻ってきた。


「朔お疲れー。綿貫さん、ペケだった。もう会わなくていいって」

「ああそうですか」


 なんじゃそりゃ。ふん。

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