第10話 郡山駅前にて

 下山さんは朔から、結婚相談所を通じて会っている男の話を少しだけ聞いていたのだという。


 そのなかで一人、下山さんの印象に残った男がいた。


 勤め先を朔に教えていた。婚活のアピールポイントになるくらいの大きな企業で働いていた。


 下山さんはその勤め先に接触して、男を特定することができた。


『その男と会おうと思う。はじめくんにも立ち会ってほしい』


 具体的な日程が決まったら再度連絡すると、下山さんはメールの最後で告げていた。


 会津にいる僕はそう頻繁には動くことができない。下山さんが代わりに調べてくれていることはありがたかった。僕が女の子に愚痴をこぼしている間に、彼はこうして切り口を見つけてくれた。


 しかしその後、下山さんからの続報は数日待っても来なかった。彼とて保育園で働いている合間でのことなのだから、仕方がないことだ。


 夜中、下山さんに状況を尋ねるメールを送った。時子にもメールを送った。下宿の真っ暗な部屋で、自分のベッドにもぐってスマホを触っている僕のことを、気づくと文太がじっと見てた。


「起きてたのか」

 スマホの光に照らされた僕は、どんな顔をしていたのだろう。


「はじめ、ホントの話さ、いよいよ彼女できたんだろ?」

「いや」


 言葉が澱んで上手く出て来ない。


「そういうのでは、ない」

「別に俺に隠すのはいいけどさー。はじめってそういうのを赤裸々に話す相手っているの?」


 そういわれると、考えてしまう。


「言われてもぱっとは思いつかない」

「だと思ったよ」


「なんだよ。俺が凄いかわいそうな男みたいじゃないか」

「違うの?」


「違うよ。そりゃまあいろいろあるけどさ。結局のところ誰でもこんなもんだろ?」


 僕の言葉に、闇の中の文太は不思議そうな表情を見せた。


「なにかおかしいか?」


「はじめと同じ部屋になって一年半たったけどさ。少なくともこの部屋にいるときのお前っていつも『俺は世界一かわいそうな男なんだ。どうしてどいつもこいつもそれがわかってくれないんだ』って顔してたぜ。そのお前から今の言葉が出れば、そりゃ変に思うさ。心境と状況の変化があったのかと思うさ」


 文太の指摘は、身に覚えがあった。僕は考え込む。


「確かにお前の言うとおりだったかも。まずかったかな。それじゃ何も上手くいくわけがない」


「ま、自分のペースで生きてるんであれば、いいんじゃねーの」


 文太は布団にくるまってあっちを向いてしまった。その背中をしばらく眺めてから、僕は呟いた。


「時子にメールしてたんだ」


「そっか」


 翌日、親から連絡があった。姉の事件に関する警察からの話。十分ほど話した。

 

 そういうことか。彼は返事など出せる状況ではなかったのだ。


 下山さんは警察の事情聴取を受けていた。



 翌日、土曜日。休みに僕は郡山に向かうことにした。


 準備をしている僕に文太が何があったのか尋ねた。


 眉間にしわを寄せて、彼からはまたかわいそうな男に見えているだろうか。


「事情聴取? なにやらかしちゃったんだよ、その下山さんって人は」


「具体的には親も教えてもらえていない。姉の職場の同僚が、トラブル起こしたってだけ。俺が行かなきゃ」


「はじめが行ってどうにかなるのか?」

「あの人、俺と話した時は凄く落ち着いてた。問題を起こすようには見えなかった。なのにこんなことに。きっとなにか手がかりをつかんで姉のために必死になってくれたんだ。無茶してくれたんだ。行かなきゃ」


 コートを着込んで、財布を探した。見つからない。自分が思った以上に動揺していることに気付く。僕は大きく息をついた。


「俺もついて行こうか?」

「関係ないよ、お前には」


 ようやく財布が枕の下から見つかった。僕は思い直して言葉を継ぎたした。

「悪い。言い方がきつかった。でもほんとに俺一人で大丈夫だ」


「俺、お前よりは口が回るぜ、役に立つかも」

「だろうね。でも他人を巻き込みたくない。分かってくれ」


 自転車で駅に向かう途中、時子からメールの着信があった。


『またたまには話を聞いてあげますよ? 聞くことしかできないのだけれど』

 

 話せば、時子もついてくると言ってくれるかもしれない。でもそれはできない。電車が動き出してから『そのうちね』と返信をした。


 この前三人で郡山に行った時から一か月が過ぎていた。


 電車の窓から見える猪苗代の景色はすっかり秋の彩りになっていた。もう少しで磐梯山にも雪がふり積もる。


 『冬が一番好きな季節だ』

堂々とそう語りたい。僕の願いはつまるところそれだけのことなのかもしれない。


 郡山の駅前がこの前よりもくすんで見えた。昭和の踊り手たちは今日はいない。


 一人きりの僕はバスの時間を確認した。路線図がわかりづらかったが、警察署に向かうバスがどうにかわかった。


 四十分待たなければならない。


 駅ビルの中にあるハンバーガーショップで時間をつぶすことにした。


 店は混んでいた。ほとんどが僕と同じ高校生くらいの若い連中だった。テーブル席で落ち着きたかったがどれも埋まっていて、仕方なくカウンター式の席に座った。


 駅ビルにはここ以外にもカフェがあった。懐具合の関係で安いこちらを選んだのだけど、コーヒーをすすりながらあっちの店が正解だったかなあと思った。


 異物感。僕が浮いているのだ。周りの者たちは私服と制服がだいたい半分の割合。週末を楽しく過ごす彼らの中に、表情も、コートも灰色の自分がいた。


 文太、必要だったなあ。僕はコーヒーに白砂糖を流し込んだ。この場のストレスによって糖分が欲しい感じだった。


 背後をひっきりなしに人が行き来していた。そのうちの一人が僕のすぐそばで立ち止まった。


「一人ですかあ?」


 香水の匂いが染みついたような声だった。


 振り返ると髪の長い女の子がいた。その隣にはもう一人ぽっちゃりした子が親しげな笑みを浮かべて僕を見ていた。


 二人は制服を着ている。彼女たちの髪の色はとうもろこしの房を思い出させた。


「一人だよ」

「待ち合わせ中?」


「ううん、違う」

「どこかで見たことあるなあって、わたし達話してたの。会ったことあります?」


「覚えてない」

「テニス部なのわたしら。大会で会ったのかな?」


「テニス部じゃないよ、俺」

「その雰囲気に覚えがあるんだけどなあ」


 マスカラで拡張、武装されたふたりの目がじっと僕を見つめる。ああ、逆ナンされてんだ、俺。


「用事があってさ。会津から来た」

「買い物? わたし達はこれからボーリング行こっかって話してたんですけどう、どうですか、一緒に?」


 あまり話したことのないタイプだけど、割とかわいかった。この子たちと遊んで帰るほうが本当は正しいのかなとふと思った。


 僕は姉のことを知りたかった。彼女が生きているうちに僕のすべきだったことを、少し違う形であっても為すことが、あるいは僕の罪滅ぼしのようなものなのかもと思っていたが、朔はそれを望んでいないのではないかという考えはずっと頭の中に付きまとっていた。


「誰そいつ?」


 さらに声がかかる。こうしている間にも店の中での人の流れは留まることを知らなかった。


「あ、ヤスくんだ」

 私服の男。ニット帽を深くかぶっている。高校生、かな? 判別がつかない。ちょっと年上かもしれない。


「俺の連れだから、悪いけど」

「そ」


 彼はどうも勘違いをしているようだったけど、コーヒーを概ね飲み終わったこともあって僕がありがたくそこから離れようとすると、男の後ろから髪の長いほうの女の子が僕に向かって手を振った。


 たったそれだけのことが男の気に障ったらしかった。

「行け、早く」


 彼は髪の長い女の子をにらんだ。女の子は笑みを浮かべていて、そこには男に対する侮蔑が隠す気もなく浮かんでいた。鈍そうな男だったがそれには気づいた。彼は舌打ちすると、僕の方に向き直った。


「お前、ちょっと待て。逃げんな」


「あんたが行けっていったんだろ?」


 彼は僕の方へ三歩にじりよった。

「かっこつけんなよ。びびってんだろ?」

「急いでんだけど、話あるんなら早くしなよ」


 売り言葉に買い言葉で、バスの時間を気にしながらも僕の語気はそれなりにきつくなっていた。郡山の人は怖いなあ。


「何なに?」

 別な何人かの男の声。まだ増えるのか。


「変なのがいてよ」

 ニット帽の男の声に余裕が加わった。女の子たちの目がどんどん冷やかになっているのはいいんだろうか。僕は振り返らず、ニット帽の男を観察していたので、後ろから何人来たのかは分からなかった。


「この人も会津から来たんだって」


 ぽっちゃりした女の子が、後からやって来たうちの誰かに向かって呼びかけた。


 少し間を置いて、「うん」というなぜか歯切れの悪い返事が帰って来た。女の子。聞き覚えのある声に僕はちらっと振り返った。


「あ……」


 僕の背後にいたのは男が二人と女の子が一人。男の方はやはり少し年上のように見えた。

 そんなことよりも問題はその女の子が時子だということだった。


 黒いコート姿の時子は僕と目が合うと顔を赤らめた。最初に出会った日にも薄く化粧はしていたように記憶しているが、今日は眉毛の描き方が違くて、なんだか困っているように見えた。


 彼女がどんなに表情を取り繕うとしても眉毛は困ったままだった。


 言葉の出て来ない僕と時子の代わりに、後から来た男の一人が口を開いた。

「ヤス、パチでだいぶ負けたから機嫌悪いぞ。あんま逆なですんな」


 それで僕にからんでいるってのか? 迷惑すぎる。


「ちょっと、いい?」

 時子が僕の袖をつかんでその場から離れようとした。


「待て。トッキー、勝手に連れてくな」

 パチンコで負けたヤスくんが声を荒げた。僕は振り返った。


「あんたさ、次会ったら俺から声かけるよ。忘れんなよ」

「あ?」

 時子があいだに入る。

「やめてヤスくん、この人強いから」


 僕が店を出ると、時子がついてきた。


「助かったよ。バスに間に合わないかと思った」

 お礼の後に「トッキー」と付け足した。


「この前早川さんも会った子を通して知り合った人達なの」

「そうなんだ。別にいいけど。でも文太には俺から言わないほうがいいよね?」


 さっき振り返ったとき、時子がとなりの男とつないでいた手を慌てて離すのを、見たくもないのに見てしまった。


「言わないでほしい」

「うん、言わないよ。心配しないで」


 さっきから時子は目を合わさない。


「じゃあ、俺行くから」

「行かないで」


 彼女は顔をあげて、困った眉毛と、懇願するような目で僕を見た。


「バスに乗るんだよ」

「弁解させて」


「それをすべき相手は俺じゃないだろ?」

「本当にそう思っているの?」


「下山さんが。あの、朔の同僚だった人。警察のご厄介になっちゃってるんだ。俺は行かなきゃならない」


 時子を残して僕はバス停に向かって歩き出した。途中でふと振りかえって言葉を継ぎたした。


「さっきのはいやだったよ。時子のこと好きだから」

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