第4話 郡山

 窓から見える家の数が徐々に増えて、そのうちに大きなビルがいくつか現れて郡山の駅に着いた。


 まばらな他のお客とともに電車を降りると、会津と比べてほんのわずかに気温と湿度の差違を感じる。


「暑いかも」


 時子の言葉に僕はうなずく。


 駅前の広いロータリーに出て、相変わらず微妙な数値を表示する大きな放射線計を横目に歩く。放射線計は廊下で立たされている子供のようだった。彼はいったい何をしでかしてしまったのだろう。


 会津若松と郡山は人口が三倍違う。駅前はちゃんとその分、三倍の人々が行きかい、三倍分うるさかった。


 広場でこれから踊りださんとする、学ランにリーゼントというクラシカルなスタイルの二人組が見えた。


「あの人たち、ここによくいるんだよね」


 文太が興味ありげにそちらを見ていた。


「悪くないキャラクターだ。ああいうレスラーがいても面白そうだ」


 彼の脳裏には、リーゼントで体格がいいその男性の、雄々しくリングに立つ様子がはっきりと浮かんでいるようだった。


 それから待ち合わせの相手たちと合流した。南米のフェスティバルにでも巻き込まれてしまったような騒々しい時間が始まった。


「ブンブン、トッキー、こっちこっち!」

 文太たちの友達、二人の女の子。どちらも派手な身なりだった。彼らによって僕はあっさりと『はじめちゃん』と呼ばれるに至った。


 会津ではあまり見ないギャルという人種。東京あたりとはまた違う進化形態だとは聞いたことがある。日ごろ僕との接点がないような人たち。文太と時子は彼らの中に交じってもそれほどの違和感はなかった。


 近くのカラオケにみんなで乗り込んだ。狭い部屋に詰め込まれて、互いの体が触れた。


 曲が始まる前からけたたましくマラカスの音が響いた。


 先頭を切って歌いだしたのは時子だった。うまいというより勢いを重視した感じだった。声は可愛かった。


 僕にとって楽しい時間ではなかったが場の空気を壊すこともないと思ったので、それなりに適応して笑っていた。


 互いに名乗ったが僕の頭にはひとつも入ってこなかった。


 もしこの中の誰かと付き合うようなことになったとしても、郡山と会津ではいちいちめんどくさいだろうと思った。そしてそのことを口に出してしまったが、彼らは違う考えのようだった。


 休日の度に郡山を訪れるような者も多いそうで、むしろそのくらいの距離感がちょうどいいのだそうだ。


 僕が腑に落ちない様子でいると、女の子の一人が、はじめちゃんって一人っ子? と尋ねてきた。僕は違う、とだけ答えた。


「文ちゃんは一人っ子よね」


 時子がマイク越しに会話に割り込んできた。


「ああ、ぽいね」

「いかにもだね」

 

 周囲の何人かが頷いた。


「えー、そんなことないだろ?」

「トッキーは兄弟いたっけ」


 答える前に曲のラップ部分が始まったので、時子はマイクを両手で包み込むように持って、畳み掛けるように歌った。


 カラオケには二時間いた。僕もしぶしぶと二曲歌った。文太はさんざん僕に歌うよう勧めてきたくせに、いざ僕が歌い始めると、別なマイクで割り込んで歌いだした。


「任せる」


 僕がマイクを置こうとすると、時子が「NO!」と叫んでそれを押し留めた。結局僕と時子が一本のマイクで歌う形になった。


 文太が「仲良しだ」とつぶやいた。


 今日の面子で誰が一番好みか聞かれた。戸惑って三人の女の子の顔を見渡すと笑われた。


「見すぎでしょう」

「ブンブンのこともちょっと見たのはなぜ?」


 それから逆に女の子たちが僕のことを品定めした。いいたい放題だったが苦笑して聞いていた。


「トッキーはちなみにはじめちゃんのことどう?」


 時子は首をかしげて僕を見た。


「好みとはちょっと違うかなあ」


 ピザとかいろいろ頼んで、昼食はそれで済ませた。店を出て、次は駅裏にある店に向かうことなった。バッティングセンターとか、いろんな遊びができるところ。


 地下道を連れだって歩いていた時、火事の話になった。少し前の話。一人の女性が亡くなった。


 僕は黙って聞いていた。その話題になる前から概ね黙っていた。合わせているつもりでも気持ちが乗っていないことはどうしても伝わってしまう。


 前を文太と時子が並んで歩いていた。さっきまで騒いでいたのに、今はあまり会話が無いようだった。


「わたしんちの近くでさ。夜中に消防車の音がたくさん近づいてきて、煙の臭いも漂ってきて、外に出て見たら空が真っ赤っか。超びびった」


「自殺だったんでしょ、あれ?」

「きっとね。逃げられたはずだもん」


 新聞やテレビでも、その可能性は報じていた。


 文太が振り返り、こちらに近づいてきた。彼は酔っていた。手にしていた缶コーヒーを一口飲んだ


「ねえ、はじめの意見も聞いてみようよ」

「ブンブン、なんで?」


「だってこいつ身内だもん。火事で死んだ保育士の」

「え」


 僕の隣にいた女の子が、文太と僕の顔を交互に伺った。長い黒髪だったが、化粧は今日の面子で一番派手なようだった。


 時子も空気が変わったことを感じたのか、こちらを黙って見ていた。


 駅の西側から東側に抜けるための大きな地下道。横を通る車の音が絶えず響いていた。オレンジ色の光が僕たちを照らしていた。線路の下をくぐる最下点にいた。


「ほんとなの?」


 黒髪の女の子の問いに僕は頷いた。なお僕に紹介したかったのはこの子のことだったらしい。


「わたしら無神経なこといっちゃった。はじめちゃんも言ってよ、そういうことは。っていや言えないか」


「気にしないでいいよ」

「だって」


「噂話は誰だってするよ。となりに当事者がいるなんてふつう思わない」

 僕の言葉に、彼女はほっとしたようだった。しかし正面に立っていた文太が面白くなさそうに「ふん」と鼻で笑った。


「それでどうなの? 死因。せっかくだから知っていることを教えてよ」

「文ちゃん」


 文太の袖を時子が引っ張った。


「どうしちゃったのよ」

「こういうときって良くないのは周りが気にしすぎることだと思うよ。本人だって案外しゃべりたいものなんだからさ」


 文太は酔っていた。でもそれほどは酔っていない。下宿の面々とでこっそり酒を飲んだことは何度もあるが、文太は酒が強い。人格はほとんど変わらない。飲んでも飲まなくともはしゃぎたいときははしゃぐ。


「別にしゃべりたくないけど、聞きたいんならいいよ。警察の人からもはっきりわからないと言われている。もう一か月経ったというのに。あの人たちに任せといて大丈夫なのか、正直不満がある」


「何が分からない? 詳しく」


 文太はコーヒー片手に腕を組んで僕の話を聞いていた。事件に興味津々のようにも見えた。今までも聞きたいことが実は山ほどあったのが、ここにきて溢れ出してしまったかのような。


 でもほんとはこんなことどうでもいいように思っているふうでもあった。僕には判別がつかない。ただ語り続けた。


「自分の意思で逃げなかったのか、逃げられなかったのかが分からない」

「どうして」


「丸焼けになっちゃったから、外傷とか痕跡がうまく見つけられないんだ」

「じゃあ人間関係を調べるべきだね。原因が分かれば結果についても自ずと説明がつく」


「文ちゃんもうやめて」

 時子は文太の傍らでうつむいていた。


「文太の言うとおりだよ。自殺か他殺か。要因を周りの人に聞いてみて、探ればいい。何ひとつないのであれば、事故なのかもね。警察もそういっていた。すぐに分かるはずだとも言っていた。そして一ヶ月、何もわかっていない」


「バカだそいつら。そもそも田舎の警察には無理なんだろうな。それで、はいそうですかと引き下がる方もちょっと理解できないけど」


「そうかもな」


 文太は腕を組み直した。楽しげに顔が歪んだ。


「やりようはあるだろ。想像はいくらでもできる。例えばさ、父兄と何かあったんじゃないか? 保育士だろ? 良くある話じゃん。テレビでお姉さんの顔を見たけど、綺麗な人だった。男女のいざこざが絶対あったって。わかる? そういうのをひとつひとつ調べるんだ」


「ありえるな」


 僕がさらし者になるのは別に良かった。


 朔ならばきっと、僕がそんなことで気に病む必要はないと言ってくれるだろう。お人よしの両親は、困った顔くらいは見せるだろうが、すぐにまあしょうがないと割り切るだろう。


 そういう家族だった。今はもう、そのうちの一人が欠けてしまったけれど。

 こんなことで誰も怒ったり、僕を責めたりはしない。


 それゆえに、僕は文太の横っ腹を思い切り殴った。僕がなすべきことだった。

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