第119話 疑惑の行商人

今現在、ルーフと名乗った商人の男が、何故か着いてきている。


ヤコは自然体に見せかけて警戒していて、囮共も少し訝しんでいるな。シーリスは何も考えていない。


俺は……、ララシャ様の気分を害さない限り、誰が何をしようと特には……?


つまり、俺も何も考えていないということになる。


「おう、にいちゃん!あんた、勇者様なんだって?」


「そうですね」


「初めて見たよ!先代勇者様も、見たことなくてなぁ」


「そうですね」


「あー……、これからどこに行くんだ?」


「そうですね」


俺は何も考えずに、愛馬であるオルガンに跨がる。


いや、本当に、何も考えてない。


『聾の者』は……、偉大なる「力」、世界の定型を定める「律」、大いなる「声」、ホーンの力、ホーンの加護が失われた、哀れな魂。


それは、本当の意味で、死ぬこともなく……、食べることも、眠ることも、殖えることもできない。


抽象的な表現を敢えて型に嵌めるとすると、『聾の者』は、言うなればハーフアンデッド。


どんなに傷つき、苦しみ、死んでも、セーブポイントこと音溜まりで蘇る。正確には、死という名の安息から拒絶される。


ものを食べられる。しかし栄養にも糞にもならず、ただ曖昧な味覚で胃にモノを捻じ込み、腹の中で霞となって消え去る。


眠れる。しかし疲れが取れたり身体の傷が治ったりはせず、本当の意味での安息にはならない。


性行為ができる。しかし子供は作れない。


……『聾の者』は、そこに居るが、居ない。


死なないが、生きていない。


そういう存在だ。


だから俺は、食べることも眠ることも飢えることも意味がなく……、意味がないから、やらないのだ。


それでも、時間を潰す必要は、ムーザランでも多々あった。


例えば、特定の時間にしか現れないエネミーを狩る時とか、そういうイベントの時とか。


そんな時に俺は、何も考えずに、ただ佇むのだ。


何だったか……、確か、「禅」だとか言ったか?


心を無にして、何も考えず、悟りを開いて云々と。


そういうアレだな。


心を無にすると、辛かった記憶が薄れていくし、時間も潰れるし、都合が良かった。


まあ、辛い記憶を忘れきるより、心が麻痺しきってしまう方が早かったんだが、それは大した問題じゃない。


とにかく、俺はこうして、無心になってぼーっとするのが得意という話だ。


「お、おい、聞いてるのか?」


「すみません、エドってそうなったらもう何も聞こえないので……」


シーリスが何か言っているが、無視して無になる……。




お、次の宿場町に着いたな。


無から覚醒する。


「さて、じゃあ食事にしましょうか?」


「頼む」


またもや、あらかじめ手配をしてあるらしく、ヤコがいい宿に案内してくれる。


そして、ルーフと名乗った商人は……。


「じゃあ、俺達はこっちの宿に泊まるよ。良かったら、明日も一緒に行動しないか?道中長くて、話し相手がいないとなあ?」


と言って、一時離脱した。


ふむ、宿までは来ないが、行き先は同じにしたい、と。


それを見送って……、ヤコは。


「……着いてくる気のようですね」


と、軽く眉を顰めた。


「問題があれば殺せばいいだろう?安心しろ、お前は一応、アカツキの母親。ララシャ様が最優先であることには変わりないが、護衛はする」


しかし、俺がこう言うと、表情が一転。


「あは、最高ですわ、旦那様♡世界最強の護衛だなんて、心強いです♡」


明るい顔で抱きついてきた。


そして、抱きついてきた耳元で、囁いてくる……。


「あの商人、おかしな匂いがしますわ。ヒトとは違った匂い……。よろしければ、今夜はわたくしのお側に居てくださいませ」


俺は頷いた。


確かに、アレが怪しいのは見れば分かる。ヤコが警戒するのも当たり前だろう。


そして、一行の中で、常に俺の側で霊体化しているララシャ様を除いて、最も守るべき優先度が高いのがヤコだ。


いや、囮共は守る価値がないので、実質ヤコ一人か。優先も何もないな。


……どうでも良いが、抱きついて秘密の話をしてくるのはやめてほしい。


俺にそれをやった女NPCは、最終的に、囲いの男NPCを複数人引き連れて俺を殺しに来たのでトラウマなのだ。


しかしその辺りの話をするならば、ありとあらゆる瞬間にイヤな記憶が思い出せるので、常にイヤな気分=普段通りということで問題はないのだが。


ムーザランでは心が折れてからが本番みたいなところあるからな……。


まあ、心が折れて本番が来ても無慈悲に殺されるので、気構えには何の意味もない。


さて、そんな訳だから、俺はヤコと共に床に入った。


床に入ったとは言ったが、俺はもちろん、寝る意味がないので寝ない。


さっきも言ったが、聾の者に睡眠は無意味だからな。寝ても体力が回復したり、傷が塞がったり、心が休まったりする訳ではない、と。


なので、ララシャ様が寝る大きなベッドの横で、俺が無になって立ち、その更に横の別ベッドでヤコが寝るという形だ。


ララシャ様に対して不敬では?とは思ったが、ララシャ様的には、妾と同衾してる訳じゃないからセーフ扱いという事らしい。


そう言えば、ムーザランでは寝室とかはなくて、大部屋に大きなベッドと衝立がある形だったな。つまり、ガチめな中世ヨーロッパ感……。


なので、ララシャ様はあまり気になさらないようだ。


そんな訳で俺は、近くの壁に寄り掛かり、「貴公、何用だ?」と言わんばかりのポージングのまま静止。


「無」モードに入る……。




そして、次の日が来た。


「……おはようございます、旦那様。杞憂でした、かしら?」


うーん、確かに。


襲いかかってくるかな、とは俺も思っていたが……。


「数日間泳がせて、気を抜いたところで襲うとかじゃないのか」


「その可能性もありますが……、正直、襲うタイミングとしては昨夜が一番でしたよ?」


……ヤコが言うには、この辺りが一番田舎で、警備が薄いエリアらしい。


このまま進むと、港町ランポートへどんどん近付くのだが……。


ランポートは、海を超えた他国とのやり取りの最前線である為、警備が厳しく、衛兵なども多いらしい。


つまり、ランポートに近付くほど、夜襲はしづらくなっていく、と。そういうことだそうだ。


「ふむ……、こちらから、その、ルーフだったか?そいつらを調べたり、密偵を送ったりはしていないのか?」


「無論、しておりますわ。スティーブンを送りました」


スティーブン……ああ、この前の肉盾ジジイか。


「で?」


「それが……、深夜に何かしらの魔道具を使っていることくらいしか……」


ふむ……、それくらいじゃ決定的証拠にならないな。


話を聞けば、なんでも、魔導具というのは家電のようなもので、この国ではありふれたものらしい。


電灯の魔導具や、コンロの魔導具なんかは、俺も見たしな。


夜中、魔導具を使っていたって……、当たり前では?と。何の証拠にもならないとはそういうことだ。


ただしかし、魔導具にもエネルギーの大小がある、と。


その、ルーフとかいう商人を名乗る連中が夜な夜な使っていた魔導具は、電灯の魔導具のような一般的なものとは違って、かなり強い反応があったのだとか。


ふむふむ、怪しいと言えば、怪しいな。


「……とにかく、泳がせる他ないんじゃないか?」


「そうですわね……。その、護衛の方、よろしくお願いしますね?」


……何なんだろうな、これは?


どのタイプのイベントだ……?


ララシャ様の気分を悪くするようなものでなければ良いのだが……。

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