第5話 続探偵小説談義
東条英機の時代が一番ひどかったのだろうが、とにかく、日本は、終戦までは、完全に情報統制も行っていたし、陸軍などは、真剣に、フィリピンや、アリアナ諸島が落ちて、沖縄戦が間近に迫り、さらに、アリアナ諸島からであれば、B29における、航続距離が、日本本土の主要都市が、ほとんど空襲範囲内に入るということが分かっているにも関わらず、真剣に、
「本土決戦」
「一億総火の玉」
などという言葉で、完全に、すべての都市で、玉砕を考えていたのだろうか?
確かに、日本は他の国とは違い、相手に降参する場合には、日本独特の、
「国体」
というべき、
「天皇制」
というものが存在した。
だから、日本は簡単に降伏してはいけない。今までの日本の歴史は、すべて天皇によってつくられた、
「神の国」
という言われ方をしていたのだった。
なるほど、日本という国は、天皇中心の国家として成り立たないといけなかった理由があった。
というのは、幕末において、幕府が弱腰外交で、最初は攘夷を真剣に考えていた志士たちであったが、途中から、
「幕府に政権を任せておけば、日本という国は、諸外国の植民地にされる」
ということで、まず、
「幕府を倒す」
ということが、先決であった。
そして、
「天皇中心の新しい世界を作ることで、世界から侵略されないようにする」
という名目で明治という時代が始まったのだ。
だから、国民も、天皇中心の世の中だから政府や軍についてきたのだ。
それが、本土が焦土になってやっと、降伏するということになり、やってきた占領軍も、天皇の戦争犯罪をどうするかでかなりもめたようだった。
とりあえず、戦犯を裁いて、その後の天皇に責任なしということにすることで、占領をやりやすくしたという点では、正解だったのかも知れない。
そういう意味で、日本という国は特殊であり、それだけ、大きな問題を孕んでいたのだろう。
そして、日本という国が、
「奇跡の復興ができた」
というのも、天皇制ありきだったからなのかも知れない。
もっとも、朝鮮戦争などの外的要因のあったこともいなめないが、それだけではなかったのも確かだった。
だが、逆に戦争中は、いかにも天皇は、
「神も同然」
ということで、
「天皇のために死ぬことは、一番国を守ったということになる」
と言われ、
「死」
というものを正当化するために、下手をすると、天皇が利用されたとも言えなくもないだろう。
だから、戦争中は、いかに本が絶版の憂き目にあっていたとしても、戦争が終わり、占領軍から、
「押しつけの民主主義」
を教え込まれたことで、自由が復活してきた。
そういう意味で、戦争における情報統制も、出版や表現の自由も、次第に保証されることになる。
「これからは、俺たちの時代だ」
と、探偵小説作家が叫んだとか叫ばないとか、そんな時代になってきたのだった。
そんな中において、数名の探偵小説作家が出てきた。中には変格探偵小説家もいただろうが、どうしても、本格探偵小説家が多かったようだ。
戦時中の激戦になってきた頃、探偵小説を書くことは禁止で、発売されていたものも、絶版となったりした。だから、多くの探偵小説家が別のジャンルの作品を書かなくてはいけなくなったというのも無理もないことで、戦争肯定小説であったり、中には時代劇風の時代小説を書いていた作家もいた。
その中で、苦肉の策として、探偵っぽい人を登場させて、そこで謎解きのようなことをさせるようなことをしたりしていた。
だが、それも当時はなかなか売れなかっただろう。何しろ、本を読むなどという時代ではなく、そのうちに、本土空襲が激しくなると、その日一日、
「生き延びられたことに感謝」
という、今となっては想像も絶する時代だったのであろう。
そして、戦争が終結し、占領軍による、
「自由の解放」
が行われ、日本でも、作家活動が、許されるようになった。
探偵小説家が、
「俺たちの時代」
と叫びたくなったのも、無理もないことだろう。
ただ、実際に小説を書いていくと、作家の中には、戦地に赴き、復員してきたという人もいたりする。
彼らは、実際に目の前で戦場を体験し、
「殺すか殺されるかというギリギリのところで生き残ってきた」
といってもいいだろう。
つまり、彼らの感覚は血や死体などというものに、感覚がマヒしていて、原稿用紙の上で、死体を転がしたり、大量の血を流してみたりということに、鈍感になってしまっているのではないだろうか?
何といっても、人の命が奪われるということを意識することなどなく、自分の作る小説が、いかにホラー色が豊かで、読者の興味をそそるかということを目指していた。
しかし、書いているうちに、次第に冷静にもなってくるもので、最初は勢いで書いていたものが、今度は、書き続けることに精神がマヒしてきたのか、それとも冷静になったことで、精神的に余裕が出てきたのか、ふんだんに血を流すということよりも、ミステリアスな部分での、動機であったり、殺害のトリックなどにその関心が移っていったのだ。
「どういうものを書きたい」
ということを目指すようになり、自分の中で、小説のパターンであったり、作風の方針のようなものが固まっていく。
それによって、どのようなストーリー展開となるか、その作家の作風テクニックに変わってくるのであった。
ただ、これは、すでに戦前の探偵小説作家に提唱されていたことであったが、
「基本的なトリックというのは、ほとんど出尽くしていて、あとは、それを使うためのバリエーションでしかないんだ」
ということを言っていたのだ。
確かに、トリックなどと言えるものは、そんなにたくさんあるものではない。
いくつかのパターンに分けられ、それも、角度によって同じトリックでも、分類によって違う括りになることだってあっただろう。
中には、連続殺人を複数のトリックで結ぶ探偵小説も多く、それらが長編小説として生きてくることになる。
探偵小説というものは、そのうちに、
「推理小説」
と言われるようになり、ミステリーという範囲の広いものになってきたのだった。
探偵小説のブームが戦後しばらく続いてきたが、そのうち、社会の混乱が収まってきて、
「もはや戦後ではない
と言われた、昭和30年代など、復興が加速していき、次第に、高度成長期へと繋がっていくのだが、その頃の探偵小説には、
「社会派」
と呼ばれるものが出てくる。
当時の社会風俗や、会社組織、さらに、もっと幅の広いところでの、社会的な汚職事件であったり、政治家との癒着などという次第に今の時代に繋がるような作品が生まれてくる。
そのうちに、今度は、
「安楽椅子探偵」
と呼ばれるようなものが出てきて、探偵や警察でもない職業であったり、立場の人間が、推理を行うというものである。
特にマンガの世界でもそういうものが出てきたりしたので、いまだにドラマなどで、そういう種類のものが多くなっている。
これは、一つには、
「作家が生き残りという意味で、自分の作風に一つのパターンを生みたい」
という意識があってのことであろう。
たとえば、
「鉄道マニアが好きそうな、時刻表を使ったアリバイトリックなどの、いわゆる、トラベルミステリーなどというのは、第一人者がいて、その作家の代名詞となった」
というものである。
その作家は、何もトラベルミステリーしか書いていないわけでもないし、逆に他の作家もトラベルミステリーを書いていないわけでもなかった。
しかし、
「トラベルミステリーといえば、この作家」
というイメージが張り付いてしまったので、その作家の他の作品が売れていないわけではないが、どうしても、印象が薄かったりする。
また他の作家がトラベルミステリーを書いたとしても、それは、結局、どこまで行っても、二番煎じでしかない。
その作家のたくさんある作品の中に、
「たまたまトラベルミステリーのような作品もあった」
ということであれば、別にかまわないが、その人が、
「自分もトラベルミステリー作家だ」
と言わせたいのであれば、同じような作品では、どうしても二番煎じということを拭えないので、どんなにいい作品であっても、イメージは薄いだろう。
それだけ、芸術作品における、
「レジェンド」
というのは、
「どれだけ、その壁が厚くて高いのか」
ということになるであろう。
小説家とは、それだけシビアなもので、それは、幅広い芸術家すべてにいえることではないだろうか。
探偵小説は今は飽和状態になってしまって、下手をすれば、
「何を書いても、どこかで読んだことがあるような小説だ」
と言われかねない。
そういう意味で、新鮮さがある小説であれば、ある意味、ウケるのかも知れない。ただ、今は、混迷期なのかも知れないと思うのだ。
ひょっとすると、他のジャンルの作品と組み合わせるような、そう、ホラーやオカルトと組み合わせるというのも一つの手かも知れない。
そういう意味では、戦前に流行った変格探偵小説と言われた、
「猟奇殺人」
「耽美主義」
などというのも、今ならウケるかも知れないと思う。
今の時代、犯罪というものが、リアルなところでは、
「軽くなっている」
といえるのではないだろうか?
世間に対しての不満であったり、やり切れない気持ちを抑えることができずに、犯してしまう犯罪。
それは、身勝手な動機などから、
「こんなやつに、情状酌量などありえない」
と思うような犯罪も多いことであろう。
たとえば、
「世の中に失望し、死刑になりたいから、誰でもいいので、殺してみた」
という犯罪も結構多い。
または、
「自分が好きになった相手がいうことを聞いてくれないので、殺してしまう」
という、一種のストーカー犯罪などであり、共通しているのは、
「動機の中に、被害者が出てこない」
ということだ。
普通、殺人などというと、被害者に対しての復讐であったり、妬みであったりというもので、
「あの人を葬り去る」
ということで、
「被害者あっての、動機であり、殺人事件のはず」
ではないだろうか。
しかし。実際には、最近の目立った犯罪の中には、
「都会のど真ん中での通り魔的な犯行」
というものだ。
確かに、戦前や、戦後の混乱時期には、不特定多数を殺害するという。
「通り魔的な犯行」
というのも多かった。
しかし、それも、
「現金を奪う」
という、自分にとっても、のっぴきならない理由で殺しに至るということが多いだろうから、
「動機がない」
というのとは少し違う。
なぜ、
「死刑になりたいので、犯罪を犯す」
ということなのだろうか?
そんなに死にたいのであれば、自分で勝手に死ねばいいわけで、関係のない人を巻き込んで、
「死刑になりたい」
という心境が分からない。
自殺の方が、自分で自分の命を好きなタイミングで殺めればいいわけで、犯行を行って捕まれば、死刑になる確率もゼロではないとして、長い間の裁判をへて、
「死刑に処する」
ということになったとしても、死刑執行までには、さらに年数が掛かるのだ。
しかも、忘れたことの執行なので、別に話題になることはない。
「ああ、そういえば、死刑囚がいたな」
として、法務大臣が、死刑執行の判を押すことで、後は、執行部隊がやってくれるだけだ。
その間の気も遠くなるような期間、何を考えるというのか、ひょっとすると、
「大変なことをしてしまった」
と、後悔の念に駆られるかも知れない。
しかも、後悔の念に駆られたとして、いまさらそれを口にしてもどうなるものでもない。
「ああ、俺はもう死刑なんだ」
と考えると、急に恐ろしくなることもあるだろう。
気も狂わんばかり。いまさら後悔しても、謝ったり、何をしても、事態は覆ることはない。
「俺は、今は命があるが、死刑が決定しているので、このまま生き続けることはできない。命が今はあるというだけで、未来はないのだ」
ということである。
「あれもしたかった。これもしたかった」
と、犯罪など犯さなければ手に入れられたものを、無理強いだと分かっていても、どうしても想像してしまう。
「どうして俺は死刑になりたいなんて思ったのだろう?」
とそれが普通の感情である。
このまま生き続けることはできない。心変わりを誰に解いても、もう誰の心にも刺さらないだろう。
「俺は透明人間になってしまったんだ。誰にも見えない透明人間。いまさら何を言っても、死にたくないいいわけでしかないと思われるに違いない」
確かにそうだろう。
「俺はこのまま死んでいく。中には俺のことを小説にしようと思っている人もいるかも知れない。もし取材にくれば、答えてやろう。俺に残されたこの世でのやり残したことなのかも知れない」
と思う。
ただ、自分が答えることが、果たして取材している人が求める答えなのだろうか?
彼らが求めているのが何なのか、正直分からない。
一つ言えるのは、
「後悔の弁などいまさら聞いても、何の意味もない」
ということである。
「それくらいの文章なら、俺にだって書けるさ」
ということであれば、小説など書く意味はまったくないといってもいいだろう。
探偵小説というものは、そんな死刑囚の言い訳などを聞きたいわけではなく。きっと、
「何を想って、こんな事件を起こしたのか?」
ということであろう。
「自殺ではなく犯罪を犯す」
そこが聞きたいのだ。
「この男にとっての人生の機転」
つまり、そんな聞いた話をそのまま描くのではなく、
「読者が興味を引く内容」
というものを書くことになるのだろう。
読者が興味を持つようなものは、正直、そのまま書いたとしても、客観的にしかかけず、それを作家が自分の中で租借し、
「もし、自分だったら」
あるいは、
「自分に置き換えてみたら」
というような話になってくるのであろう。
小説家の中には、
「取材が嫌いだ」
という人もいた。
そして、その人は、
「取材は、ノンフィクションを、事実としていかに書けるかということが大切なのであって、私のように、ノンフィクションが嫌いで、フィクションばかり書いていると、取材というものが、まったく意味をなさないことに気づくからだ。
ということであった。
小説というものを、いかに書いていくか、それはノンフィクションでは無理なのだ。
「起こった事実だけを忠実に書くのだから、それも当然で、事実以外は、ノンフィクションでは書いてはいけないのだろうか?」
と考えるのも、無理もないことなのか、
確かにノンフィクションは、自分の意見を織り交ぜることが大切だが、フィクションの場合は、それを前面に押し出すと、話がまともにできなくなってしまうのだった。
小説というものを書いていると、
「どこに、落としどころを見つけるか。そして、フィクションは無限であって無限ではないという究極の話をいかにして作れるか?」
ということが大いに問題だといえるのではないだろうか?
「架空の空想物語の中にいかに自分の意見を織り交ぜて、バリエーションを聞かせるか?」
ということが今の時代の小説なのだといえるのではないだろうか?
戦後の探偵小説というと、いろいろなトリックが考えられた。
例えば、
「心理トリック」
などというのも、一つだった。
密室トリックなどと一緒に用いられることも多い。
というのも、本来密室トリックというのは、基本的にありえることではない。
「出入り口が一つもないのに、中で人が殺されていて、そして犯人が忽然と消えていた」
などということはありえないということだろう。
そこで考えられるのは、一つが、
「機械トリック」
と呼ばれるものだ。
「針と糸を使い、カギを密室内のどこかに置く」
というものだ。
しかし、この場合は、
「密室なのに、どうやってカギを部屋の真ん中だったり、被害者のポケットなどに置けたのか?」
ということで、あくまでも、カギがありきの場合のトリックで、カギが問題だとすれば、容易に、そのトリックは看破されるものだろう。
昔の小説ならいざ知らず、いまさらそんな密室トリックを考えているとすれば、それは、かなりの考えの甘さというべきではないだろうか?
もう一つは、これこそ心理トリックというもので、
「本当は密室になってから殺されたかのように思えるが、実際には、密室になる前に殺されていた」
という考えである。
そこには、例えば、被害者は、
「この部屋が密室になる前に、殺された」
ということである。
そこに別のトリックが隠されているとすれば、密室を解くよりも、そちらの時間差トリックのようなものを解く方が、よほど簡単ではないだろうか?
ということが、密室トリックには考えられることである。
その場合に、
「心理トリック」
というものが用いられることが多いのではないかと言えるのだが、そういう意味でいくと、
「叙述トリック」
というのも、一つの心理トリックとしてはありであろう。
「叙述トリックとは、小説などで、作者の書き方であったり、登場人物のセリフの中などに、読者を惑わせるものが入っていて、心理トリックに引き込む」
というもので、この、
「叙述トリック」
そのものが、一つの心理トリックになっているので、小説でいうところの、想像力を逆手に取った書き方は、
「探偵小説」
に限らず、フィクションというものの、醍醐味といってもいいだろう。
それを考えると、小説というものがいかにすごいものなのかということを思い知らされるというものだ。
「心理トリックは、他の種類のトリックを凌駕している」
といってもいいかも知れない。
特に探偵小説における。いろいろなトリック、後述のトリックは、基本は、心理トリックから来ているのかも知れない。
そういう意味もあって、
「心理トリック」
というのは、小説だけではなく、一番一般的に言われるのは、
「マジック」
なるものであろう。
「右手を見ろと言われれば、左手を見る」
という、いわゆるブービートラップなどというものである。
そういえば、
「安楽椅子探偵」
と呼ばれる人の中には、
「マジシャン」
という人がいたり、あるいは、
「小説の舞台を好んで、マジックの舞台にしてみたり」
あるいは、
「小説の中で探偵がふんだんにマジックの世界のうんちくを垂れる」
などということも、結構あったりする。
それを思うと、小説というのは、結構、トリックから派生した職業であったり、テーマから派生する心理描写であったり、それが大きなテーマになったり、事件の真相を暴いたり、事件の動機になったりするのではないだろうか?
そんなことを考えていると、探偵小説の醍醐味が分かってきて、特に、小説というものをいかに考えるか。そこに、テーマが隠されている。
トリックの種類にもいろいろあり、次に考えられるものとして、
「死体損壊トリック」
いわゆる、
「顔のない死体のトリック」
と言われるものがあるではないか。
要するに、
「被害者が誰なのか分からない」
これが、小説の醍醐味であり、読者に与えるテーマであった。
しかし、これもあまりにも使われすぎると、その公式なるものが、密室殺人以上に看破されている。ただ、この犯罪は、本当に一時期小説に使われることが多かったが、途中からは、ほとんど見られることはなくなってきたのだった。
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