第4話 消失

 佐川氏に対して、

「毎日、同じくらいの時間にこのあたりを散歩するんでしたら、昨日、あそこに死体がなかったというのは、間違いないことなんでしょうね?」

 と桜井刑事は聴いた。

 佐川氏は、訝しそうに。

「ええ、そうですが。今日見たんですから、昨日もあったとすれば、気付かないわけはありませんからね」

 というではないか。

「念のためにお聞きしますが、昨日に限って、ここを通っていないなどということはないですね?」

 というので、

「おかしなことをお聞きになるんですね。それは当たり前ですよ。毎日のルーティンですからね。そんなにボケていませんよ」

 と、あざ笑うかのように、佐川氏は言ったが、目は決して笑っているわけではなかった。

 ただ、怒っているわけではない。どちらかというと、

「なぜ、そんなことを聞くのか?」

 という好奇心からの、老婆心のようなものといってもいいだろう。

 それも、桜井刑事には分かっていた。しかし、相手はただの第一発見者、まだ初検として、ハッキリと分かったわけでもないことを、簡単に喋るわけにもいかない。

 それを思うと、桜井刑事は、

「ちょっとしつこかったかな?」

 と思ったが、職務上仕方のないことだと考えるのだった。

 それにしてもおかしな状態であったが、実は、どうして桜井刑事がこのことにこだわったのかというと、あれは、数日前のことだった。桜井刑事は、自分が同期で警察に入ってきて、今は別の部署にいる人から面白い話を聴いたからだった。

 彼の所属は、生活安全課であった。

 そこは殺人などを扱うわけではなく、ストーカー犯罪や、詐欺などの、いわゆる、

「今流行り」

 の犯罪関係が多かった。

 その彼がいうには、まず、

「桜井君、ちょっと聞いてほしい話があるんだけどね」

 というではないか。

「この話は、本来なら君のところの管轄なのかも知れないが、我々の方としても、どうしようもない。ただ、事件というにはあまりにも曖昧なことなので、すまないが、意見を聞かせてもらいたいと思ってね」

 という。

「そういうことなんだい?」

 と聞きなおすと、

「実は、我々が、ストーカー関係の犯罪を扱っているのは、君も分かっているだろう? 付きまといがひどければ、裁判所から、接近や接触に対して注意勧告がなされる。そしてさらにそれがひどくなると、付きまとい禁止の命令が下ることになるんだけど、この間、禁止命令が出ている男がいたんだけどね。その男が問題の女の子に、接触しようと、性懲りもなく企んでいるということを彼女が言っていて、怖いから少しの間、警備してほしいというんだよ。実際に、男から脅迫文のようなものが、彼女のところにメールで送られてきていたんだ」

 というのだ。

「それで?」

 と聞くと、

「それだけでは、正直何ともできないので、男を尾行し、彼女が家に帰るまでの間、数日間見張っていることにしたんだ。私が先頭に立ってね」

 という。

「じゃあ、彼女の警護を君が中心になってやったということだね?」

「ああ、そうなんだ。だから、男をつけていた刑事とも、そこで合流することになったんだが、どうやら、駅前で待ち伏せしていたようで、家までの間に何かをするんじゃないかということで、我々も警戒していたんだが、男は何もしないで、つけているだけだったんだよね。実際に彼女の家の近くまで来て、やっと、こちらも安心していたんだけど、彼女のマンションに着くかつかないかというところで、その男が、忽然と姿を消したんだ。どうしたんだろうということで、そのまましばらく様子を見ていたが、結局分からなかったんだよな」

 というではないか?

「どこかに隠れたんじゃないか?」

 と言われて、

「そうかも知れないと思って、彼女のマンションを一晩中見張っていたんだけど、結局そいつが現れることはなかった。不気味な気がして、何かさらに悪いことを考えているのではないかと思い注意をしていると、何とその男はしばらく姿を見せないと思ったら、田舎に帰って、真面目に仕事を見つけて、すっかり改心したようなんだ。こっちは、何が何か

分からない。このまま、放っておいていいものかって怖くなってな」

 というではないか。

「うーん、今の話を聴く限りでは、もう警察が何かをできる範疇は過ぎているとは思うな。彼女の方はどうなんだい? その男の性格を一番分かっているのが、彼女なんじゃないかな?」

 というので、

「ああ、確かにそうなんだけど、何をどうしていいのか分からないからな。彼女の方は、最初は何も考えられないほど怯えていたんだけど、最近では、そこまで怖がっている様子もなくて、諦めてくれたのなら、それでいいという様子なんだ。でも、やはり怖いので、付きまといの禁止命令は撤回する気はないということのようなんだよな」

 というのだった。

「それはそうだろう、それをなくしてしまうと、警察での接点がなくなるからな」

 と、桜井は言った。

 しかし、いきなりこのようなことを言われて、どうすればいいというのだろう?

「君は何が気になっているんだい?」

 という。

「男が消えたということが一番気になるかな? 消えたということは、我々の尾行に気づいたということなのか? しかし忽然と消えるということは、我々の尾行が最初から分かっていたということであって、隠れるとしても、隠れる場所を事前に物色していたんだろうな?」

 という、

「ひょっとしたら、誰かと素早く入れ替わったのかも知れないな。同じような服を着て、そこにいたやつが、そのまま引き継いで歩き出せば、分からないだろうからな。要するに、昔からよくいう、「弱点は、得意な場所の近くにある」というだろう? 案外そういうもので、保護色のようなものに包まれていたので、分からなかっただけで、相手は、堂々とその場からいなくなったのかも知れないな」

 と、桜井は言った。

 そのあたりは、

「刑事の勘」

 というよりも、昔から読んでいた、探偵小説の受け売りなのかも知れない。

 ストーカー犯罪という、最新のトレンドになりそうな犯罪なだけに、昔の発想がいうことを聞かないというのは、考えすぎではないだろうか?

 そんなことを考えていると、ストーカー犯罪も詐欺犯罪も、

「相手の術中にはまってしまうのではないだろうか?」

 ということになるだろう。

 桜井刑事は、その時の話を思い出していた。

 この場合を表現するなら、

「消えた犯人」

 とでもいうべきか、昔の探偵小説のトリックなどでは、

「密室殺人」

 などと一緒になる話として考えられていた。

 桜井刑事は、特に、戦前戦後の探偵小説が好きだった。

 いわゆる、

「本格探偵小説」

 というのも好きだったし、

「変格探偵小説」

 も嫌いではなかった。

 子供の頃、つまり中学時代くらいに好きだったのは、本格探偵小説で、それはトリックなどを用いたストーリー性豊かなものだったのだ。

 しかし、大学生くらいになると、変格探偵小説が気になってきた。

 変格というのは、犯人や被害者の、

「歪んだ性格や性格」

 などから、犯罪が形成されるもので、

「SMもの」

 であったり、

「耽美主義と言われるもの」

 つまりは、変態趣味といってもいい感じのものが、犯罪の動機であったり、裏に潜んでいるものとして描かれている。表現としては、

「猟奇殺人」

 と呼ばれるものが多かったといってもいいだろう。

 耽美主義というのは、

「美を追求するというもので、道徳や倫理よりも、美を至上主義とするものである」

 というものである。

 ということは、

「探偵小説においての耽美主義というのは、殺人であっても、美しいものであれば、追及するべきもの」

 という考えになるだろう。

 実際に、昭和初期の動乱の時代には、そういう探偵小説は多かった。

 ただ、その頃の探偵小説は、確かに犯罪に対して、美を追求するというものも多かった。

 たとえば、

「お花畑の中に、死体を飾ったり、彫刻の中に紛れ込ませ、石膏像の中に埋まった死体などというのもあったくらいだ」

 確かにそういう犯罪も多かったが、何も、

「殺人現場を美しくするだけが、耽美主義的探偵小説だというわけではない」

 桜井刑事が読んだ探偵小説の中では、

「犯人が美しい」

 というものであったり、

「動機や考え方が美しかったりしたもの」

 もあったりした。

 特に、

「犯人が美しいもの」

 としては、

「美少年趣味」

 と呼ばれるものが得意の探偵小説家もいた。

 これは、

「犯罪というグロテスクなものと、美少年という耽美なものとのギャップから生まれる残虐性をいかに描くか?」

 ということをテーマにしているものではないだろうか?

 例えばであるが、

「犯罪というものは確かに、悪であり、許されることではないが、犯罪を犯せばどうなるかということは、皆周知のはずである。それでも犯罪を犯さなければいけない理由が、理不尽な世の中に対しての挑戦であったり、自分の性癖を世に知らしめたいという気持ちであったり、普通の人間の心理を超越したものが多かったりするのではないだろうか?」

 特に、耽美主義と呼ばれる犯罪は、普通であれば、のっぴきならない犯罪というわけではなく、何も犯罪を犯す必要もないのに、それでも犯すというのは、精神的に病んでいるという場合が多いことだろう。

「俺のことを誰も分かってくれない」

 あるいは、

「分かってほしい人が分かってくれないから、世間の皆に分からせるんだ」

 というような、理不尽な犯行動機だってある。

 本人とすれば、大真面目な考えなのだろうが、世間では、まったく通用しない、つまりは、

「一般常識では通用しない」

 ということである。

「じゃあ、一般常識とは何なのか?」

 よく、社会人と言われるが、社会人とは何なのか?

「俺たちは社会の一部でなければいけないということか? 一般常識って一体何なんだ?」

 ということである。

 考えてみれば、常識という言葉があるということは、その基準があるはずだ。

「じゃあ、基準って何なのだ?」

 世の中には、法律というものがあり、それを破ると、罰せられるというものだが、じゃあ、一般常識に外れれば、何か罰則があるというのか?

 そんなものあるはずがない。何しろ法律が存在しないのだから。

 しかし、法律の中を見ていくと、犯罪か犯罪でないかというところの境目があるはずで、そこが、

「一般常識」

 ということなのだろうか?

 言葉は漠然としているが、あくまでも漠然としているだけで、答えではないのだ。

 そんな中で、本格探偵小説というものがあり、そちらは、トリックなどを用いた犯罪が多かった。

 桜井が好きな本格探偵小説は、戦前の小説にもあったのだが、戦後の小説が多かった。

 というのも、戦前の、シナ事変のあたりから、国内が騒然してきた時代があったのだが、その時代ともなると、軍国主義一色になっていた。

 日本を取り巻く状況は、かなり不利になっていた。

 特に、ロシアとの国境問題。さらに、日本における人口問題で、深刻な食糧不足と、世界的な不況とで、世の中が大変なことになり、農家などでは、

「娘を身売りしないと、一家全員が飢え死にする」

 というような時代になっていた。

 そんな時代において、日本軍がそれらを一挙に解決する方法として、満州の占領であった。

 満州をただ占領して植民地ということにしてしまうと、日本が叩かれてしまう。

 ということで、満州を占領し、そこに、満州民族の国家を建設することで、独立国の様相を呈し、それらを運営するために、関東軍が、後ろ盾になるということであった。

 この作戦は必須であり、なぜかというと、まずは、

「ソ連の南下政策」

 満州を防波堤にして、南下できないようにしようというもので、これは、かつての、元々の国家であったロシア帝国を対象とした作戦の延長でもある。

 そして、食糧問題を解決するためには、国外に領土を求め、そちらに移住させることで、日本人の食糧問題を解決するというものである。だから、この作戦はどうしてもしなければいけないことだった。

 そして、満州を、

「王道楽土」

 あるいは、

「五族協和」

 と言われるように、明らかに、

「天国のようなところであり、開拓すればその土地は、あなたのものになる」

 と言って、移住させる計画である。

 しかし、冬は氷点下20度以下という酷寒の国において、農作物などいいものができるはずもなく、騙されて移住したという人も少なくはないだろう。

 それでもあくまでも、満州国は、

「独立国家」

 最初は、執政として、翌年からは、皇帝として君臨した、

「ラストエンペラー」

 と言われた、

「愛新覚羅溥儀」

 を擁立し、

「満州帝国」

 を樹立したのだ。

 もっとも、溥儀の目的は、あくまでも、

「大清帝国の復活」

 であったので、満州国でも、おかざりの皇帝であったのは、大いなる不満だったことだろう。

 そんな時代から、日本は国際連盟を脱退し、さらに、中国進出をあからさまにしたことで、欧米列強から非難を浴び、さらには、

「石油、くず鉄などの全面輸出禁止」

 なる状態にされてしまい、日本国は、二進も三進もいかなくなり、そのまま、大東亜戦争に突入することになったのだ。

 それは、日本が望む望まざる関係なく、アメリカのルーズベルトダイトウリョウが、イギリスのチャーチルシュショウに担ぎ上げられ、参戦の機会をうかがっていたので、日本に攻撃させることで、大義名分を得ようという作戦に、まんまと引っかかったといってもいいだろう。

 それが、大東亜戦争であり、結果、日本は、戦争への道をひた走ることになるのだが、辞めるタイミングもいくつかあったが、それができなかったのは、中国に対しての意識が大きかったのだろう。

 せっかくの和平交渉を、相手が飲めるところを模索して提示したのに、南京を簡単に占領できたことで、さらなる厳しい条件を突きつけるなど、まるで、日本は、戦争を辞めるつもりなど、最初からなかったのと同じことであろう。

 そんな時代に当時としては、結構いろいろ考えていた。

 地下鉄の工事であったり、空襲などから、どのようにすればいいかというようなことも考えられていただろう。

「建物疎開」

 なる考え方もあったと思う。

 ただ、どこまで本土空襲などというものがリアルなものか、想像はしていなかっただろう。

 一つ言えることは、当時の日本は、海外の国が考えないような戦法を最初に考え、さらに、それを実行して成功させられるだけの科学力と、実行力があった。そういう意味では、

「ナチスドイツ」

 という国も軍事的には、科学力と計画に関してはすごいものがあったに違いない。

 例えばであるが、ナチスドイツにおける、

「装甲車や、戦車などを使った電撃作戦」

 と言われるものは、確かに、相手の国に奇襲で攻めていった時に有効である。

 実際に大戦後の軍事作戦において、

「まずは空爆から入って、制空権を握り、そこから地上部隊を展開させる」

 というのも、電撃作戦から来ているといってもいいだろう。

 日本軍にしても、そうである。

 たとえば、海軍における、

「機動部隊」

 の作戦など、まさにそうである。

 当時は、まだまだ、

「巨艦一騎打ち」

 というべき、主砲による威力で相手を圧倒するというのが、海軍の戦いとして、当たり前のことと言われてきた。

 しかし、日本軍は、真珠湾攻撃において、

「相手が停泊している艦隊ということで、航空機による雷撃作戦」

 が取られたのだ。

 機動部隊による作戦というのは、空母を基本として、艦載機が飛び立ち、相手の艦隊を雷撃にて攻撃するというものだ。

 ただ、真珠湾の場合には大きな問題があった。

 それは、

「水深が浅い」

 ということで、そもそもの魚雷は、

「一度着水すると、しばらく沈んで、ある程度のところから推進力を使い、浮かび上がって、相手の艦艇を破壊する」

 ということであった。

 しかし、真珠湾の場合は浅すぎて、普通の爆撃であれば、魚雷はすべて、海底に突き刺さるということになる。

 それを解決したのが、

「日本の科学力」

 と、

「熟練パイロットによる訓練のたまもの」

 であったのだ。

 それらの作戦が見事に的中し、さらに、真珠湾ではまったくの奇襲であったことが幸いだった。

「ルーズベルトがハワイに警告していなかった」

 というのも、その一つで、これも、彼の欺瞞であっただろうが、何よりも、

「真珠湾で雷撃は不可能」

 ということで、ハワイ側に、

「まず、攻撃はありえないだろう」

 という思いがあったのも事実ではないか。

 ただ、これが、いくら離れているとはいえ、ハワイというと、アメリアの50番目の州である。

 つまりは、

「本土爆撃」

 といってもいいだろう。

 それまでアメリカは、本土爆撃などされたことがなかった。

 それを思うと、アメリカとすれば、屈辱であり、

「リメンバーパールハーバー」

 と呼ばれたのも当たり前のことであった。

 だが、これが、

「眠れる獅子を起こしてしまった」

 ということが痛恨だったのだろう。

 その頃から、世の中は戦時色が強まってきた。食料も、配給制となったり、次第に自由が束縛されていく。反社会的勢力ということで、共産主義や政府批判を行っている連中に対して、完全に敵対するものとして、特殊高等警察。つまり、

「特高」

 と呼ばれるものが、幅を利かせ、世間を黙らせるという任務を負うようになった。

 完全に、民主主義とは正反対の体制であった。

 まだ、大東亜戦争が始まる、

「真珠湾攻撃」

「マレー上陸作戦」

 のあたりは、そこまでひどくはなかったのだろうが、日本が劣勢になりかかった、ミッドウェーからこっちは、次第に、

「戦争に関係のないもの」

 あるいは、

「精神が堕落する」

 と考えられるようなものは、ほとんどが禁止になった。

 特に本などでも、探偵小説なるものは、発刊を許さないどころか、今まで発売されていたものも、絶版となるような時代だった。

 今から思えば、

「そんなことをしている暇があるのか?」

 と真剣に考えるが、あの当時とすれば、少しでも、国民の気持ちが離れてしまうと、戦争遂行が難しくなると、軍は、真剣に考えていたのだろう。

 ちなみにいうと、当時の大日本帝国という国の体制として、

「軍と政府は、まったく別のものだ」

 ということであったのだ。

 そもそも、軍というものは、大日本帝国の中にある、

「天皇大権」

 という項目に、

「天皇は陸海軍を統帥す」

 という言葉があるのだ。

 つまりは、

「日本における軍隊は、天皇直轄の機関であるため、政府には口出しができない」

 ということである。

 要するに、戦争を行うための機関として、普段は陸海軍と別れているものを、

「戦争における。本陣」

 という位置づけのものに、

「大本営」

 というものがある。

「大本営発表」

 というのがそれであり、それぞれ軍の、

「○号作戦」

 なるものを知っているのは、軍内部の一部の人間と、天皇だけだということになるだろう。

 だから、政府は軍がどんな作戦を立てていて、実際の被害がどれほどのものであるかなどということは、大本営が発表するものでしか知る由もなかったのだ。

 当時の日本が、負け続けても、

「日本が勝っている」

 という宣伝をさせたのは、あくまでも軍による、

「情報統制」

 であり、政府は何も知らないというのが事実である。

 当時の首相であった東条英機でさえ、ミッドウェイの惨憺たる敗戦を知ったのは、半年後だったというではないか。だから東条は、軍の作戦に参加できるための。参謀総長への就任を、陸軍大臣と兼ねるということを天皇に上奏した。今までは、条文化はされていないが、

「権力の集中を恐れて、慣習的に兼任はできないということになっていたものを、天皇に、戦争責任者として、軍を掌握できないというのは何もできないのと一緒だということで渋々認めさせた経緯があった」

 これにより、東条英機は、軍関係者から命を狙われることになったのであった。

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