第6話 被害者
「顔のない死体のトリック」
としてよく言われるのは、一つの公式があるという、それが、
「被害者と加害者が入れ替わっている」
というものであった。
要するに、
「顔や、特徴のある部分、つまり、指紋のある手首などを分からなくしておくと、被害者だと思っていた人が実は加害者で、加害者だと思った人が被害者だった」
ということになると、
「指名手配は、実は被害者の方を指名手配するわけなので、絶対に捕まることはない」
ということと、さらに、
「加害者の方は、死んだことになっているから、整形手術などを施して別人になることだってできる」
ということだ。
特に、昔は、殺人というと、時効は15年ということで、15年逮捕されなければ、時効として、その後逮捕されることはないということである。
もっとも、今は殺人に時効はないので、この限りにはあらずである。
そういう意味で、
「顔のない死体のトリック」
というのは、この公式に当てはめれば、探偵小説などでは、なかなかうまくいくことはないが、逆に実際の事件では、そう簡単にいかないかもしれない。
何しろ、指名手配するとしても、犯人を確定しなければ、指名手配できないわけだ。
「入れ替わっているかも知れない」
ということで指名手配したとしても、実際にそれが間違いだったとして、
「すみません」
ということで済まされるものでもない。
警察というのは、プライドの高いところなので、間違っていったからといって、
「すみませんでは済まされない」
ということを、上から厳命されているに違いない。
だから、迂闊なことはできないだろうから、実際の事件としては、結構うまくいくかも知れない。
さらに、警察というところは、
「捜査本部が設置され、捜査方針が決まれば、勝手な行動は許されない」
つまりは、
「両方面からの捜査ができないわけではないが、決まった方針に一人だけが反対しても、それがいくら信憑性があっても、単独行動は許されない」
それを思うと、
「捜査を妨げているのは、意外と警察のプライドやメンツなどではないだろうか?」
ということであった。
この、
「顔のない死体のトリック」
に関しては、
「戦後の探偵小説の第一人者」
と言われている人が、
「挑戦」
という形で、この、
「被害者と加害者が入れ替わっている」
という公式に対して、自分なりの解決方法で、別のトリックの公式を考えていた。
{ここでばらすのはネタバレになるので、控えておく}
それも画期的な内容であり、ある意味、公式的なトリックに挑戦するという内容の小説も少なくなく、それだけ、前に提唱された、
「ほとんどのトリックが出尽くしている」
と言われていることに変わりはないということではないだろうか。
さて、まだまだいろいろな殺人はあるのだが、
「密室殺人」
あるいは、
「顔のない死体のトリック」
というものの共通点としては、
「最初に読者に対して、密室であったり、顔がないということを公表する」
ということである。
というよりも、そうなのだということで問題提起しておかなければ、ストーリーが成り立たない。
ただ、前述の、
「顔のない死体のトリック」
に対しての、公式への挑戦となる、新たなトリックの謎解きというのは、
「そのことが、読者に看破されてしまえば、その瞬間、作者の負けである」
ということになる。
つまりは、読者が看破することで、事件が解決してしまうので、なるべく作者は、謎解きの瞬間まで、トリックを分からないようにしないといけない。挑戦と描いている以上、
「公式ではない」
といっているのも同然で、そもそも、この公式も分かっていなかれば、
「読者の看破されてしまうと、そこで物語は終わってしまう」
という意味では一緒ではあった。
だから、ネタバレにならないように、このトリックにはわざと触れないが、もう一つ、
「読者が看破した瞬間に、話が終わってしまう」
というトリックの中には、面白いものがある。
それは、
「交換殺人」
というトリックである。
そもそも殺人というのは、原因が存在し、結果として、殺人というものが起こってしまった。
その原因が、犯人にとっての動機であり、殺人事件としては、その後の裁判などで、大いに問題となるものであろう。
そういう意味で、交換殺人の特徴というのは、
「実行犯には、実際に手を下した相手に対して、まったく接点がない」
ということである。
実際に殺したいと思っている真犯人は、その時、完璧なアリバイさえ作っておけば、疑われたとしても、容疑者の中に入ることはない。下手をすれば、
「容疑者全員に、完璧なアリバイがある」
ということになるかも知れないのだ。
ということは、
「事件が迷宮入りする一番可能性の強いものなのかも知れない」
といえるだろう。
これは、
「顔のない死体のトリックの、公式がない場合の犯行」
というのも、同じことだといってもいいだろう。
ただ、交換殺人というのは、前述の、
「顔のない死体のトリック」
というものが、
「探偵小説では簡単に看破されてしまうだろうが、実際の事件では、謎が分かっていたとしても、捜査的にはやりにくい」
ということで、
「架空では簡単に看破されるが、リアルでは、そんなに簡単なものではない」
ということだ。
だが、交換殺人の場合は逆で、
「探偵小説としては、なかなか事件解決は難しいが。逆に、リアルでは犯行に至ることすら難しい」
と言われる。
なぜなら、
「交換殺人というのは、交換殺人だということを看破されてしまうと、この犯罪は、あっという間に瓦解する」
ということなのだ。
交換殺人の特徴は、
「実行犯と計画を立てた犯人が決して共犯ではない」
ということだ。
確かに、自分が殺してほしいと思った相手を殺してもらい、こちらも殺すという、
「持ちつもたれる」
の関係にあるといってもいいだろう。
ということは、ここで大いなる問題が発生する。
というのは、交換殺人の一番のメリットは、
「警察が容疑者を割り出す中で、交友関係などの関係者の中から選び出し、さらに、その人にアリバイがあるかどうかを調べる必要がある」
ということだ。
しかし、主犯(計画を立てた犯人)とは別の実行犯が、犯罪を犯してくれているわけだから、自分には完璧なアリバイを作っておけばいいわけだ。
この時に、アリバイを作って、殺してもらいたい相手が死んでくれれば、この男が何を考えるかということが、この事件の特徴であって、逆に、一番のネックになる部分となるのである。
この時に、賢明な読者は、
「あっ、そういうことか?」
と思いつくことであろう。
というのは、まず、交換殺人というのは、それぞれが、主犯であり、実行犯でもある。
基本は、
「自分の殺しておしい人を、お互いに殺し合う」
ということなのだ。
うがった言い方をすると、
「首なし死体と首が発見され、血液型が同じだということが分かっていれば、これで一体の死体だと思われるだろうが、実は殺人事件が2つあり、それぞれ別の首と胴体が発見された」
ということと同じである。
だから、この場合も、
「それぞれが別である」
ということが看破されてしまうと、
「犯人側の負けだ」
ということになるのだった。
この
「交換殺人」
というものの、問題は、やはり、
「自分のアリバイを、完璧にしておく」
というところにある。
いくら、実行犯ではないとはいえ、容疑者に残ってしまうと、どこから実行犯がバレないとも限らない。最初に容疑者から外れてしまうと、警察もそのメンツから、事件を後ろ向きにすることはないので、二度と容疑者になることはない。その前に、
「迷宮入り」
となることであろう。
ただ、こうなると、問題が一つ出てくる。
「この二つの犯罪を、同じタイミングでは絶対に実行できない」
ということだ。
完璧なアリバイを作るのに、別の人間を殺しに行ってしまえば、元も子もないというものだ。
完璧なアリバイがあるはずのその時、別人を殺しにいき、実行犯になったなどというのは、本末転倒もいいところである。
ということは、どういうことになるかというと、
「必ず、どちらかの犯行が先になる」
ということである。
自分が、主犯だったとすればどうだろう?
精神的に、
「自分の殺してほしいと思っている相手を、もう一人に殺してもらったおだから、約束通り、自分も相手が殺してほしいと思っている相手を殺しにいくだろうか?」
ということである。
考えてみれば、自分にとっての邪魔者は、
「完璧なアリバイ」
をバックに、完全犯罪ができているわけである。そうなると、何も、危険を犯して、自分のためにその人が殺しをしてくれたといっても、律義に約束を果たす必要はない。
逆に、相手がれっきとした実行犯なのだから、
「お前が犯人だと密告するぞ」
と脅せば、相手は、文句をいうかも知れないが、圧倒的に不利である。
二人は当然、ここに至るまで、
「二人が知り合いであった」
などということを、決して口外することはないはずだ。
何と言っても、それが分かってしまうと、最初からの計画がまったく成り立たなくなる。まず、
「お互いに接点がない」
ということが、大前提であって、そのことが、今度は大きなネックになるのだ。
殺しを行っていた方が、
「お前が命じたと警察にいうぞ」
と言ったとしても、二人の関係は、どこからも出てこないので、主犯が、
「私はその人を知りません」
と言ったとしても、二人が知り合いだという証拠が出てこない以上、どうしようもない。
それよりも、本当の実行犯である以上、自分の身を守ることが大切である。
それが分かっていることから、
「主犯になどかまっていられなくなった」
ということになるのだ。
しかも、殺したい相手は生きているのだ。完全に、利用されてしまったわけである。
「騙されたお前が悪いと言われれば、それまでだが、こんな理不尽なことはない」
といえるだろう。
ただ、このような話は、小説の中ではあり得ることかも知れないが、リアルではなかなかないだろう。
そもそも、最初の大前提である。
「お互いの関係性がバレてしまっては、どうしようもない」
ということになるので、そもそも、犯罪を計画している二人の接点を皆無にするということ自体が、至難の業であろう。
そして、計画はお互いに、ち密に考えなければいけないが、あくまでも、二人は面識がないことになっている。だから、用心深くなるもの、無理もない。
もし計画が成功しても、お互いに接点を持ってはいけない。本当の偶然であれば、しょうがないが、ひょっとすると、途中で相手が心変わりして、気が弱くなったか何かで、
「自首しようと思うんだ」
などと言いだしたらどうなるというのか、
もしそうなれば、自分の身も危なくなる。
「警察で何もかも喋られれば、すべてが水の泡だ」
ということになってしまう。
下手をすれば、このまま何もなければ完全犯罪なのに、それを遂行しようとして、
「まったく計画にない殺人を犯さなければならない」
などということになれば、いくら完璧な計画であっても、いや、むしろ完璧すぎると、一か所に穴が開いてしまうと、どんどん水が漏れてくるということになるに違いない。
それを考えると、
「事件は、根本から狂ってくる」
ということになる。
特に前は、15年でよかったが、今は時効がないのだから、一生秘密を持ったまま生きなければならない。そんなことが可能だというのだろうか?
これが、
「交換殺人」
というものを、
「リアルではありえない犯罪」
ということになるということの証明であろう。
これも、
「交換殺人ということがバレてしまうと成り立たない」
ということの裏返しであり、
「そもそも、犯行計画時代に無理がある」
ということなのだ。
実際に、リアルの犯罪で、交換殺人などというのを聞いたことがない。もしあったとすれば、
「探偵小説ではあるまいし」
ということになるのだ。
「密室殺人にしても、交換殺人にしても、物理的に、精神的にありえないという意味では同じなのではないだろうか?」
ということであった。
そんな探偵小説において、
「確かに、交換殺人というと、探偵小説でしかないな」
ということになるのだ。
今回の事件で、もう一つ分かったことが、被害者についてであった。
被害者の、身元は、宮武という人物であり、彼が、地元大手の、丸和百貨店と呼ばれるところの、
「婦人服売り場主任」
であるということが分かった。
丸和百貨店というと、老舗百貨店で、最近、やっと老朽化していた建物を建て替えるということで、本店としては、
「休業状態」
となった。
駅ビルの中にあったのだが、駅ビル自体を立て直して、新しい駅にする時、再度、丸和百貨店が入るということが早々に決まったようで、ただ、一つ言えることは、大体の都会の駅を建て替える時、そこに入っていたメインの百貨店は、入れ替わることが多いという。
実際に近くの県でも、元々は言っていた百貨店は別の場所に移ったということだったが、どこまで信憑性のある話なのか分からないが、駅が立て替える時、当然鉄道会社のお金になるので、そこにテナントとして入るところには、かなりの家賃を吹っ掛けるようだ。
半世紀位前からあった老舗百貨店が、駅ビルに入った時は、まだ、昭和の頃だったので、その頃というと、
「国営鉄道」
だったはずだ。
国からお金が出ていたこともあり、それほど、高額な家賃ではなかったであろう。
ちなみに、そういう甘い考えが経営を圧迫し、結果、借金が膨れ上がり、
「民営化」
の魁になる羽目になったのであろう。
何しろ、昔の国鉄は、
「従業員全員に、国鉄利用の無料パス」
というものを配布していたくらいだ。
そんなことをしていれば、借金が膨れ上がるのも当たり前というもので、それから平成に入り、民営化され、地域ごとに、新しい民営会社でやっていたのだが、
「考え方は昔の国鉄のまま」
しかも、そこに持ってきて、利益優先主義となったため、本来の鉄道会社の理念を忘れ、さらに、
「表には厳しくて身内には甘い」
という体制に持ってきて、もっとひどいことに、
「サービスは減らすが、客のために何もしない」
という、とんでもない会社になってしまったのだ。
だから、人身事故などが起きても、
「人身事故だからしょうがないですよね。ははは……」
などというバカな駅員がいたり、電車がなかなか来ないと思って駅の改札口奥の事務所に事情を聴きに、
「電車来ないんですが、どうしたんですか?」
と聞いてみて、
「ああ、気が付きませんでした」
というのであれば、まだしも、何と、遅れていることを知っていたのだ。
「ああ、遅れているようですね。でも事情が分からないから」
というではないか。
それを聞いて、キレていた客がいたが、当たり前のことだと思った。
「お前らバカか、何で構内放送をしない?」
と聞くと、
「遅れている事情が分からないので」
と平気で答える。
客はさらにキレて、
「アホ、お前たちの事情は知らんわい。こっちは遅れているのが分かれば、いくらでも手の打ちようがあるんだ。こっちは、20分近くも、おかしいと思って待ってんだぞ。それを無視していいと思っているのか?」
というと、さすがに駅員も、何も言い返せないようだったが、それを聞いて、
「本当に当たり前のことだ」
と言えたのだ。
もう30数年も経っているのに、考え方は、昔の国鉄同様の、
「親方日の丸体制」
ではないか?
そんなことを思うと、鉄道会社というものが、どれほどいい加減なものか分からない。
しかも、この土地には、もう一つ、私鉄があった。
ここは、昔から、
「N鉄」
というのが走っていて、ここも、国鉄と変わらずの、
「殿様商売」
を行っていた。
ここは、昔、そう、今から40年くらい前まで、市電ということで、路面電車が通っていた。
それが、他の大都市にあやかってなのか、地下鉄を新設するということで、
「路面電車の廃止」
が決まったのだ。
その路面電車の敷地の権利を持っていたのが、
「N鉄」
だったようで、ここから、F市がその跡地を、いわゆる、
「二束三文」
で買い取ったという。
それも一つの理由ということで、昔から、
「F市は、N鉄に頭が上がらない」
と言われていたようだ。
だから、まだ、昭和だった頃から、
「都心部から、10キロ圏内くらいをすべて高架にする」
という計画があった。
車の量が増えてきたことから、
「開かずの踏切」
と呼ばれる場所が、この計画内に、6つくらいはあったようだ。
それこそ、1、2駅の間に一つは必ずあり、朝の通勤ラッシュの時など、ひどい時は、踏切が閉まってから、10分以上開かないなどということがあり、
「開いたとしても、数台しか先に進めないので、一度踏切に引っかかってしまうと、本当に混む時間帯に差し掛かると、30分くらい、踏切を渡るために時間を要する」
などということは当たり前にあるのだった。
そんな踏切を解消するのに、30年以上も前から立ち退きなどを行い、工事も進めてきたのに、やっとすべてが高架になり、当初の計画が達成されるまで、40年近く掛かったことになる。
つまり、当時40歳だった人は、80歳で、小学生だった子供が、もう50歳くらいの初老だというわけだ。
普通なら、こんなに遅くなることなどありえないが、
聞いた話によると、
「E鉄が金を出したくなくて、F市に金を出させようとするので、自治体というと決定までにいくつもの難関があることで、こんなに時間が掛かった」
ということであった。
そもそも、こんなひどい状態になってしまったのは、
「元々、路面電車の土地を、タダ同然でもらい受けたことから来ている」
という話も聞くので、
「一体、どうなってるんだ?」
と思えてくるのだ。
「贈収賄などというのが、蔓延っているんだろうか?」
とも思えるし、そんなに簡単に、いくわけもない。
癒着と思惑が絡み合って、結局割を食うのは、市民である。
「そんなことなら、立ち退きを余儀なくされた人たちは、浮かばれない」
と言っていいだろう。
そんなことを考えると、
「国鉄であろうが、私鉄であろうが、鉄道会社なんか、ロクなもんじゃない」
と思えてならなかった。
もちろん、立派な経営をしているところのあるだろうが?(本当にあるよな?)
一つがひどければ、他もロクなことがないと感じるのも無理もないことなのだろう。
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