殴り書き1

@warui_edenne

第1話

生きる事に不安を感じなかった人がこの世界にどれだけいるだろうか。

どれだけ恵まれた環境にいようと人はそのあり方に苦悩し、何度も何度も挫折を繰り返しながら日々前に進むのでは無いだろうか?

そんな有名な偉人か何かが言ったような言葉を今更誰が求めるのか、この先にどれだけ幸せな事があると知っていようとも、目の前の不安や恐怖が消える事とイコールで繋ぐ事はできない。人間は皆生まれた環境により自分の人生を左右される、例えば金持ちの親、例えば愛情深き親、例えば虐待をする親。どれだけ一部分が優れていようと、親の足りない部分は必ずしも子供に何らかの形で影響を与える。それがいい方向に向くか、それとも悪い方向に向くかは言わば2分の1。親が片付けが苦手だから自分は部屋を綺麗に保とうと思う子供もいれば、それが普通だから何も感じず変わろうともしない子供もいる。どちらがいいかと言われれば勿論前者ではあるが、かと言って後者の子供に責任を与えようにも自分にとっての当たり前を簡単に崩す事は出来ないだろう。そして子供が自分の欠点に気付いた時、それは不安や恐怖となって子供の足を引っ張って行く事になる。例えるのなら愛情不足、例えるのなら低収入、例えるのなら学歴、例えるのなら宗教。その悩みは人によって変わり、どうにか出来る子供もいれば、自分の力だけではどうにも出来ない子供もいる。気付かぬ内に悩みが解決する子供もいれば、一生をかけて悩み苦しむ子供もいるだろう。そんな子供を見て世間の大人は、不安から悩み苦しむ事ができる貴方はとても美しい、だなんて無責任な言葉を投げかける。しかしその言葉には何の意味も無い。例え素敵と言われようとも問題が解決する訳でも、気持ちが楽になる訳でも無い。


愛を与えられなかった子供はその後の人生で愛について悩み苦しみながら生きていくだろう。


金を与えられなかった子供はその後の人生で金がないが故に何も出来ず悩み苦しみながら生きていくだろう。


宗教で苦しむ子供はその後の人生で教えと一般常識との違いに苦しみながら生きていくだろう。


そんな子供達に大人は、お前よりも苦しんでいる人はいくらでもいる、だなんて無責任な言葉を投げかけるけども、自分よりも苦しんでいる人がいたとして、自分が悩み苦しんではいけない道理がこの世界の一体何処にある?そんな言葉を投げかけられたとしても苦しんでいる現実は変わらないし、気持ちが楽になる訳でも、問題が解決する訳でも無い。どれだけいい人間であったとしても子育てのあり方に苦悩するのに、自分の性欲により子供を生み出した親が子育てで苦悩しない理屈が一体この世界の何処にある?そしてそんなエゴで生み出された子供が自分が犯した訳でもない罪に囚われその人生の多くの時間を悩み苦しむ時間に当てる。その過程で愛する人や、大切な物や時間、ましてや権利さえその手から零れ落ちてしまう。だがそれでもこの世界はそれはお前が悪いと言い続ける、自分が犯した訳でも無い罪の贖罪をさせられ、挙句愛を受ける事すらできない人間の最後の逃避行と言う名の幸せを奪っていい権利が一体何処にある?愛する者と2人幸せに人生を歩む人間から幸せを取り上げないのと同じように、死こそ救いであり幸せである人間からその死を奪ってしまえば何を救いに生きていけばいい?不安だらけで、歪で、そんな世界で自分だけを確かに持ち続ける人を私はただ褒め讃えたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

殴り書き1 @warui_edenne

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る