5年後
娘のために
黒龍の住処は大渓谷の一角に存在する洞窟だ。
剥き出しに壁から生えた七色に輝く水晶が光を届け、至る所から湧き出した水がその光を反射するため、内部はかなり明るい。
だが、反対に気温はとても低い。
通気性が良いわけではないので、湿度も高かった。
デュオリンク大渓谷の恐ろしい箇所の一つに、対策ができないという点がある。
無限に生えた雑草と木々が覆い尽くす森。
かつては居住地。今では廃墟の小さな街。
一歩でも踏み入れば、水生生物の餌になる湖。
ありとあらゆる箇所から猛毒の霧が噴き出す死の大地。
デュオリンク大渓谷は一種の大陸とも言える。
どのような地にも適応できる黒龍の住んでいた場所が、エレナにもかろうじて住める場所だったのは、とても幸いなことだった。
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黒龍がエレナを拾った日から5年が経過した。
今までの黒龍にとって、歳を重ねることは息をすることと大差のないことだった。
だが、この5年間は、たった一人の少女を育てることに常に意識を向け続けた。
それは、黒龍にとっては新鮮な体験だった。
「えい」
『………』
「おりゃ」
『………』
「せい」
『……………エレナ、木の棒を振るのは楽しいか?』
黒龍は、自身の足元にいる小さな少女——エレナに声をかけた。
最近のエレナは、黒龍が日光を浴びている間に、木の棒を振ることが多くなった。
声をかけられた少女は、少し考えるそぶりを見せると、小さく
「うん」
と返答する。
それを聞いた黒龍は黙って頷いた。
デュオリンク大渓谷には常に暗雲が立ち込めている——と言われているが、それは外から見た場合だ。
広大の一言に尽きるこの渓谷は、常に晴れているところもあれば、反対に暴風が吹き荒れる地域もある。
(冷たい水も良いが、暖かな陽気もまた良いな)
この場所は、はるか昔から黒龍にとってのお気に入りの場所だった。
穏やかな清流を眺めながら、ただ静かに、何も考えずに日光を浴びる。
まさに、長命種の特権ともいえる行為だ。
「えい」
黒龍はまず、エレナに食事と寝床を与えた。
逆に言えば、黒龍は他に何を与えるべきなのかを知らなかった。
黒龍は人間を全く知らなかった。
厳密に言えば、剣を交えたことしか無かった。
鬱蒼とした木々が生えた森で、四人組の人間に攻撃されたことは、今でも覚えている。
(木の棒ではなく、もう少しマシなものを持たせてやりたい……)
黒龍は、木の棒を振り続けるエレナを見て、そう思った。
エレナは口数が少ない。
捨て子だった時の名残だろう。
この5年間で彼女の方から黒龍に要求したことは一度もない。
『エレナ、少し良いか?』
それでも、声をかけるとトコトコと黒龍の元へ走ってくるのは、しっかりと懐いている証拠だろう。
黒龍はエレナの頭を優しく撫でる。
すると、エレナはくすぐったそうに目を閉じた。
『エレナ、剣が欲しいか?』
黒龍の問いかけに、エレナは持っていた木の棒を見つめた。
黒龍としては、このままエレナが強くなることに異論はない。
強い者は生き残りやすい。
常に死と隣り合わせのこのデュオリンク大渓谷にとって、強さとはある種の存在価値のようなものだった。
黒龍がエレナを育てながら生き延びているのは、何よりの証拠と言えるだろう。
少し俯いて、エレナがようやく口を開く。
「剣は……欲しい」
『そうか』
黒龍は短く返答する。
そして、悩んだ。
黒龍には剣を作る知識がない。
鉄を含んだ石の在処は知っているが、それを鉄と石に分ける方法も知らない。
だが、愛する娘の頼み事を無視できるほど、冷酷ではなかった。
黒龍は少し考えると、エレナに提案した。
『たまには体を動かそう。ついでに剣を探しながらな』
「うん」
デュオリンク大渓谷は不明な点が多い。
例えば——外の世界では一級品の武器が、地表で野晒しになっていること、などだ。
『背中に乗れ』
黒龍が腰を下ろすと、エレナは慣れた動作で黒龍の背中に乗る。
エレナは黒龍の背中に乗ることが好きだった。
大きくて硬い黒龍の背中は、とても温かった。
エレナにとって、父の温もりを感じられるのは、この瞬間だけだった。
当の本人は、それを自覚していなかったが。
『しっかり掴まっていろ』
黒龍は巨大な双翼を上下に動かすと、大空へと旅立った。
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