第49話 魔物

 町から煙が上がっている。


「大人しくしねえか!」

「いや、嫌ああああ!」

「お母さん!」

「うるせえ! 黙ってろクソガキ!」


 死体が転がっている。悲鳴と怒号と下卑た笑い声が響いている。


「大人しくしろ。ガキがどうなってもいいのか?」

「やめて! その子に手を出さないで!」

「だったら大人しくするんだな。ギヒヒ」


 弱い者は奪い取られる。混乱の中、弱い者から命を落としていく。


「お母さん!」


 声は届かない。いくら叫んでも騒いでも誰も助けては。


「なにやってんだああああああああああああああ!」

「くべらッ!?」

「な、なんだテメグキョン!?」


 届いた。とんでもない奴に届いていしまった。


「子供にひどいことするなんてなんてひどい奴なの! 覚悟はできでんでしょうね!」

「お嬢ちゃん、もう終わってるよ」


 クリスティーナたちは最初の村から森を抜けて次の町に辿り着いた。その町は敵の襲撃を受けている真っ最中で、クリスティーナたちは迷うことなく町へ飛び込んだ。


 飛び込んだクリスティーナは悲鳴を聞きつけ突撃した。そこでは母親と幼い子供が兵士数人に襲われているところだった。


「大丈夫? さ、早く逃げて」

 

 兵士たちを倒したクリスティーナは座り込んでいる子供に手を差し伸べる。しかし、子供は逃げるようにクリスティーナから遠ざかる。


 それを守るように母親が子供を抱きしめる。どうやらクリスティーナを警戒しているようだ。


「あ、あなたたちは」

「大丈夫だ。こいつらは敵じゃない」


 おそらく肌の色の違うクリスティーナたちを見て怯えているのだ。と、考えたシャルルは前に出ると自分の身分を明かす。


「ボクは第三王子のシャルルだ。こいつらはボクの、えっと、仲間、だ」


 母親はシャルルとクリスティーナたちを交互に見比べる。


「殿下、道を空けました。早くその親子を」

「ああ、立てるか?」

「は、はい」


 母と子は立ち上がりシャルルが示した方向に走っていく。四人はそれを見送ると町の奥へと向かった。


 クリスティーナたちは町の中で暴れる兵士たちをなぎ倒して進む。その兵士たちを見てシャルルは苦々しげに歯を食いしばる。


「レゴッゾ兵だ。もうこんなところにまで」


 町を襲っていたのは敵国兵だった。つまりは国境を守っていた軍が突破されたか、もしくは敵に寝返ったかだろう。


 状況はかなり悪い。そして、クリスティーナの機嫌も悪い。


 道には死体や怪我人が無造作に転がっている。その中には女性や子供もいる。


「許せない」


 クリスティーナは静かにうねるように呟く。それをそばで聞いたシャルルは自分に向けられているわけでもないのに、全身の毛穴が開くような恐怖を感じる。


「レドラック、バドラッド。シャルルをお願い」

「落ち着けお嬢ちゃん。冷静に」


 静かな怒りだ。いつもなら声を上げて怒りをあらわにするだろうに、今のクリスティーナはいつもと違う。


「私が全員やる。レドラックたちは住民の避難をお願い」

「おい待て!」


 レドラックの制止も聞かずにクリスティーナは一人で走り出した。


「相当怒ってるな。初めて見るよ、あんな姿は」

「孤児院の子供たちと重なって見えたのじゃろうな。となると、わしらにはどうにもならん」


 町のあちこちで悲鳴が上がっている。女性や子供の悲痛な叫び声が響いている。


 しかし、だんだんと悲鳴の中に野太い男の物が増え始める。激しい破壊音も聞こえ始める。


「おいおい、町を更地にでもする気か?」

「そこまではしないと思いたいのう」


 建物が次々と倒壊していく。おそらくクリスティーナのせいだろう。


「こっちだ! 早く逃げろ!」


 シャルルが逃げまどう住民たちをレドラックとバドラッドが確保した安全地帯へと誘導する。どうやら敵兵のほとんどはクリスティーナのほうへ向かったようだ。


 クリスティーナが敵を引き付けているうちに住民の避難を急ぐ。


 一方、クリスティーナのほうは。


「おい」

「ひぃっ」

「あんたのボスはどこ?」


 普段とは様子が違った。クリスティーナは明らかにブチギレていた。


「あんたが親玉?」

「き、貴様は」

「死にたくないなら今すぐここにあんたの部下を全員集めなさい」


 まだ一人も死人が出ていないのが奇跡に思えるほどにクリスティーナは激怒していた。


「一人も、逃がさない」


 レゴッゾ兵たちの声が上がる。立ち向かう声、許しを請う声、泣き声、叫び声と様々だった。


 だが、それも次第に消えていく。一つずつ、一つずつ、消されていく。


 そして、一時間もしないうちに兵士たちの声は消えてなくなった。


「終わった、のか?」


 まだ声はしている。助けを求める声、避難を呼びかける声。しかし、それはこの町の人々の声だ。敵の声は一つ残らず消えてしまった。


「お嬢ちゃんが心配だ」

「ああ、頼むレドラック。わしらは逃げ遅れた者がいないか殿下と町を見て回る」


 レドラックは二人と別れてクリスティーナを探して回る。そして、しばらく探していると大通りから外れた路地の端に座り込むクリスティーナの姿を見つけた。


「おい、だいじょう……」


 レドラックが座り込んでいるクリスティーナに声をかけようと口を開いたが、最後まで言葉が出てこなかった。


 クリスティーナは一人ではなかった。彼女は女性と赤ん坊の死体を抱きしめて座り込んでいたのだ。


「まだ、あたたかいの」


 おそらくその二人の死体は母と子供だろう。その二人を抱くクリスティーナの表情は異様な物だった。


 クリスティーナは無表情で涙を流していた。その表情には怒りも悲しみもなかった。ただ、クリスティーナは涙を流していた。


「私の力でも生き返らない。死んだ人間は、ダメなのね」


 クリスティーナは二人を強く抱きしめる。しかし何の反応もない。


「ねえ、なんでこの子たちは、死んだのかな」

「……お嬢ちゃん。それは、考えるな」

「どうして?」

「考えても無駄だからだ」


 無駄。そう言ったレドラックにクリスティーナは視線を向ける。


 恐ろしい目をしていた。少女とは思えない目をしていた。


「助けられなかったのもお嬢ちゃんのせいじゃない。だから」

「……私は、魔王を倒しに来たの」


 悪夢。クリスティーナが見たいくつもの悪夢。その中には一度だけ魔王が登場した。


 それだけが不安だった。魔王の復活と新たな魔王の出現。


 生きたい。生きていたい理由がある。そのために手を尽くす。


 魔界に来たのはそのためだ。生きるためだ。魔王の復活を阻止し、新たな魔王の出現を食い止めるためだ。そのためにここへ来た。


 何も考えていないわけではない。クリスティーナなりにいろいろと考えている。


 けれど、現実はクリスティーナの想像とは違っていた。


「ねえ、魔王ってなに?」


 魔界の王。この魔界にある国の王様。おそらく魔界ではそれ以上の意味はないだろう。


 けれどクリスティーナたちの世界は違う。それは恐怖の象徴であり邪悪の権化だ。悪そのもののように認識されている。


 ならシャルルは悪なのか。魔王の息子であるシャルルは邪悪な存在なのか。


 闇の力もそうだ。人間にとってはそれは害悪であり、忌避されるものだ。


 ではこの子はどうだ。この母親は何だ。


 クリスティーナが抱いている二人の亡骸。そこから闇の力を感じる。

 

 シャルルが言っていた。魔界のほとんどすべての人間は闇の力を持っていると言っていた。


 なら、この子は悪なのか。この母親は邪悪なのか。魔界にいる者たちはすべて悪い存在なのか。


 クリスティーナにはそうは思えなかった。どうしてもそう思えなかったのだ。


 まだあたたかい。生きていたころのぬくもりを感じる。


 残された体温。失われていくぬくもり。それは人間と同じ。肌の色が違っても、角が生えていても、闇の力を持っていても、そのあたたかさは人間も魔族も同じなのだ。


冷めていく。熱が、ぬくもりが、あたたかさが、わずかに残された体温が、急速に冷たく。


「なにしてる! 早く離せ!」


 シャルルが叫んだ。クリスティーナは感じていた。


 死んでいるはずの母親が動いた。


 母親だけではなった。死んだはずの赤ん坊も動いていた。


「ウガアアアア」

「ヴァアアア」


 冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。


「……大丈夫」


 痛い。痛くないけれど痛い。


 何が起こっているのかわからない。けれど、もう彼女は人でも魔人でもない。


「ウウ、ヴウウウウ」


 クリスティーナの肩に母親だった物が噛みつく。けれどクリスティーナには傷ひとつ付けられない。

 

「ウウ、ウ」

「……ごめんね、助けられなくて」


 クリスティーナは母と子に光の力を流し込む。するとそれはぐずぐずに崩れて消えていった。

 

 後に残ったのは身に着けていた物だけだった。肉体は消えてしまった。


「グールだ。レゴッゾめ、なんてヒドイことを」

「……グール」

 

 クリスティーナは立ち上がる。


「魔人族は死ぬと闇の力が暴走して魔物になるんだ。滅多に起こることじゃないが、それを意図的に起こすことができる」


 グール。それは死んだ魔族の成れの果て。人から物に成り下がった存在。


「わしらの世界では死ぬとゾンビ化する場合がある。それと似たようなものかのう」

「バドじい……」

 

 いつの間にかシャルルとバドラッドがそばに来ていた。それでもクリスティーナは振り返らなかった。


「レドラックよ、町のいたるところで死体がグール化しておる。それを処理しなければならん」

「わかった。お嬢ちゃんはシャルル殿下と一緒に」

「……その必要は、ないわ」


 クリスティーナは顔を伏せたまま振り向くとレドラックたちの横を通り過ぎて路地を抜け、広い場所へと出た。


 広い場所、そこは噴水のある広場だった。普段はきっと、町の人々の憩いの場となっていただろう。


 けれど今は違う。


 グールがいる。グールがいる。グールがいる。人から物に成り下がった化け物が這いずり、よろよろと歩き回り、うめいている。


「今、楽にしてあげるから」


 クリスティーナは涙を拭うと空を見上げる。そして両手を突き上げて空へと光の力を放った。


「……な、んだこれ」


 シャルルは空を見上げた。レドラックもバドラッドも空を見上げていた。


 空を覆っていた雲が晴れていく。その晴れ間に光が現れる。

 

 それは巨大な光の玉。クリスティーナが作り出した白い太陽だった。


「ホーリー、ブレイカー」


 クリスティーナは両手を振り下ろす。白い太陽が町へと落ちてくる。


 消えていく。燃え尽きてい行く。グールが燃えて消えてゆく。


 残ったのは彼らが身に着けていたものだけだった。


「お嬢ちゃん……」


 クリスティーナはうつむいていた。レドラックはそんなクリスティーナに声をかけることができなかった。


 けれど。


「……ありがとう」


 シャルルはクリスティーナのそばに行くとそう言った。


「本当に、すまない」

「なんで」

「本当ならボクがやらなければならないことだったのに。この国の王子である、ボクが」


 シャルルも悔しそうだった。自分の国の民が他国の兵に蹂躙され、辱められたのだ。悔しくないわけがない。


「ちょっと、耳、ふさいでて」


 クリスティーナはそう言った。シャルルは言われたとおりに耳をふさぎ、シャルルを見たレドラックとバドラッドも耳をふさいだ。


 叫んだ。クリスティーナは天に向かって叫んだ。


 魔界で見た初めて青い空に向かってクリスティーナは叫んでいた。

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