第39話 弱い心と強い意思
シルフィスが目を覚ますとすでに日が傾きあたりは暗くなり始めていた。空は茜色に染まり、仰向けに寝ているシルフィスも、その横にヒザを抱えて座っているクリスティーナも同じ色に染まっていた。
「死ななかったか……」
「王族殺しで死罪なんて嫌ですからね」
シルフィスはゆっくりと体を起こし、自分の体を確かめる。衣服は破れているが傷や怪我はどこにもなく体は元通り、両目もはっきりと見えるようになっていた。
「一応、回復しておきました。なので不敬罪で死刑とかはやめてください」
「そんなことはしないさ。こちらから仕掛けたんだ」
クリスティーナの心配はそこだ。せっかく無事に入学したのに死ぬわけにはいかない。そもそもこんなこと悪夢で一度も見たことがない。シルフィスと殴り合うなんて一度もなかった。
想定外、予想外。しかし、やることはひとつだ。
どうにかこの状況を切り抜けなければ。
「では、私はこれで」
「少し話に付き合え」
「……はい」
逆らってはいけない。そう考えながらクリスティーナは自分の行いを振り返る。
確かにどうにもならなかった。シルフィスは完全にクリスティーナを殺すつもりで迫って来た。クリスティーナはそれをどうにかするために戦うしかなかった。
そして、どうにか勝つことができた。いや、勝ったのだろうか。
状況的に普通なら死罪は免れない。なにせクリスティーナはこの国の姫様をぶん殴ってボコボコにして瀕死の状態にしたのだ。
最悪である。どうにもならなかったとはいえ、やり過ぎた。けれど、そうしなければ自分のほうが殺されていた。
ここは刺激してはいけない。シルフィスの気が変わらないように大人しくするしか。
「……怖かったんだ、私は」
シルフィスは静かに語り始めた。その表情は先ほどまで殴り合いをしていた聖騎士の面影はなく、か弱い年相応の女性のようだった。
「私は、聖女候補だった。光の力を持っていた。それを失って、私は、弱くなってしまったのではと、不安だったんだ」
シルフィスは自分の両手を見つめる。そこに何があるわけでもないが、何かがそこにあるかのようにシルフィスは見つめている。
「十年だ。十年もの間、迷い悩んで、それを消し去ろうとして、もがいてきた」
シルフィスは弱弱しく息を吐き、空を見上げる。
「弱いな、私は……」
「いえ、十分強いかと」
死ぬかと思った。クリスティーナは本気で死ぬんじゃないかと思っていた。
シルフィスは自分より確実に強いとクリスティーナはそう確信していた。あらゆる面でシルフィスはクリスティーナを上回っている。
どうにかこうにか本当にギリギリだった。光の力がなかったら確実に負けていただろう。光の力様々である。
「さて、弱音を吐くのはここまでだ。お前にはいくつか質問に答えてもらう」
「あの、拒否権は」
「ない。答えなければ力尽くで聞き出すまでだ」
「……最悪だわ」
力尽く。本当に力尽くで来るだろう。クリスティーナがシルフィスを殺せないことを理解しているのだ。この化け物お姫様は何度でも立ち向かってくるだろう。
「大人しく答えろ。そうすれば私を殺さなくて済むぞ」
「……わかりました」
非常識が過ぎる。クリスティーナは初めて自分以上の非常識で傍若無人な人間に出会ったのだ。
「お前はどうやってその力を得た?」
「モンスターを倒したり、ダンジョンに潜ったり」
「光の力についてどれだけ知っている?」
「あの、それは答えないと」
「反逆罪で訴えるぞ?」
「……知り合いの魔法使いに教えてもらいました」
クリスティーナが圧されている。自分以上の理不尽に出会い委縮している。
「その魔法使いの名は?」
「バドラッド、と言います」
「……そうか。あいつか」
あいつ、とシルフィスは言った。なぜか少し懐かしそうにそう言った。
「あの、バドラッドを」
「昔、世話になった。そうか、私との約束を、守ってくれていたのだな」
シルフィスとバドラッドの間には何かあったのかもしれない。けれども、それを追求できる空気ではない。
ただ、嬉しそうだった。シルフィスは嬉しそうに微笑んでいた。
「バドラッドは元気か?」
「はい、元気にしています」
「そうか。よかった……」
シルフィスの言葉は優しかった。クリスティーナと殺し合いをしていた人間とは思えないほど、である。
「……今日は、これぐらいにしよう」
そう言うとシルフィスは立ち上がる。
「ゼル」
「はい」
シルフィスに名を呼ばれたゼルがどこからともなく現れる。
「今日はすまなかったな、クリスティーナ・クリスペール」
「いえ、まあ、久しぶりに全力が出せたので。はい」
「そうか。ならば、また」
「いえ、結構です」
「そう言うな。また付き合え」
本当に自己中心的で自分勝手だ。
「そうだ。お前が勝ったら願いを一つ叶えてやるんだったな」
願い。さて、どうしようか、とクリスティーナは考える。
ここは素直に願いを伝えたほうがいいのか、それとも辞退したほうがいいのか。
「いえ、やはり今回は不公平ですので、お断り」
「私がお前の勝ちだと言ったんだ。文句があるのか?」
「……いえ、ありません」
クリスティーナは泣きたくなっていた。目の前にいる理不尽の権化を前にして心が折れそうになっていた。
「言え。何が望みだ」
「でしたら、ダンジョンをいくつか貸していただけると」
「なんだ? そんなことでいいのか。副団長」
「なんでしょうか?」
「騎士団所有のダンジョンへの立ち入り許可を出してやれ」
「はい」
どうやらすんなりクリスティーナの望みは聞き入れられたらしい。
「で、ダンジョンで何をするんだ?」
「お金を、稼ごうかと」
「そうか。副団長、魔石や素材の持ち出し許可を」
「承知しました」
許可が下りた。これでモンスターを倒して金策ができる。
「暇なときは私も同行してやる。嬉しいだろう?」
「いえ、お忙しい殿下の手を煩わせるのは」
「暇な時と言っているのだが?」
絶対にイヤだ。断固として遠慮したい。行くなら一人で行ってほしい。
「お前と共に潜れば、私も強くなるからな」
ああ、そうか。とクリスティーナは理解した。この人はもっと強くなりたいのだと。
ならば、こうするしかないだろう。
「あの、これを」
「ん? お前の剣か?」
「こちらをお納めください。この剣には私の光の力が籠められています」
「……なるほど」
クリスティーナが差し出した剣をシルフィスはしばらく眺めてからそれを受け取る。
「そんなに私とダンジョンに潜るのが嫌か?」
「……はい」
「ははは、正直な奴だ」
どうやらシルフィスはクリスティーナの意図をくみ取ってくれたらしい。
「今日は実に楽しかった。礼を言うぞ、クリスティーナ・クリスペール。次は勝てるように精進するよ」
「二度とごめんです。殿下」
「そう言うな。お前もわかるだろう? 私の気持ちが」
多少、わかる。ちょっとだけクリスティーナはシルフィスの気持ちが理解できた。
ただ、クリスティーナはシルフィスのような戦闘狂ではない。だから多少はわかるが、多少わかるだけだ。
「次は負けんぞ」
と、そう言い残してシルフィスは姿を消した。残されたのはクリスティーナと二人の戦いの衝撃で荒れ地となった森だけだった。
「どうすんのよ、これ……」
クリスティーナは思う。とんでもない奴に目をつけられてしまった、と。
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