第36話 お前を殺しに来た

 アルベルトはクリスティーナの部屋のドアを開け、すぐに閉めた。


「おい」

「……姉上、なぜこちらに」


 アルベルトは恐る恐るドアを開け中に入る。


 クリスティーナの部屋にはクリスティーナとニナの他にアルベルトの姉がいた。次女のフィニルではなく長女のシルフィスだ。まるで部屋の主のように堂々とした態度でシルフィスは椅子に腰掛けていた。


「何を突っ立っている。座れ」

「いえ、用事を思い出したので、俺は」

「座れ」

「……はい」


 アルベルトはレドラックに相談したいことがあり探していたのだが、とんでもない人に出会ってしまった。


「アルベルト様! お姉様はいい人ね! こんなにお土産もらっちゃった!」

「当然だ。弟たちが世話になっているんだ。これくらいは当たり前だ」


 クリスティーナたちが囲むテーブルの上にはお菓子の入った箱が積み上げられている。王都でも有名な菓子屋の焼き菓子で、さっそくそれを食べようとニナがお茶の準備をしていた。


「それで、姉上はなぜここに」

「ん? 私はクリスティーナ・クリスペールを殺しに来た」

「…………は?」


 アルベルトは間抜けな声を漏らして口をぽかんと開けている。自分の耳を疑いながら。


「姉上、冗談にしては」

「冗談ではない」

「そうらしいわね」

「らしいって……」


 自分を殺しに来たと言う相手を前にクリスティーナはいつも通りだった。いつもの通り落ち着いていた。


「お前、正気か? なんで平然としていられる?」

「んー、死ぬ気がないからかな」


 死ぬ気がない。クリスティーナはまったく死ぬ気などない。だから動揺もない。


「姉上は騎士団長だぞ? 聖騎士なんだぞ?」

「だから? 誰が来ようと死ぬ気がないもの。死なないって決めてるし」


 決めている。それは決意であり覚悟だ。クリスティーナは五歳の時にすでに覚悟を決めている。


 迷いはない。何が何でも生き延びてやる。例え相手が誰であろうと。


「なるほど。良い顔つきだ。気に入った」


 そう言うとシルフィスは椅子から立ち上がり、斬った。


 何の前触れもなく、何の予備動作もなく、容赦なくクリスティーナを斬ったのだ。


 その動きはまったく見えなかった。アルベルトの目にはシルフィスがいつ剣を抜いたのかも、いつ斬りつけたのかもまったく見えなかった。


 しかし、斬ったのは椅子とテーブルだけだった。先ほどまでいたはずのクリスティーナはおらず、テーブルの上にはあったお菓子の箱もなくなっていた。


 いや、お菓子はあった。窓の下に置かれていた。


 いつの間にか窓が開いていた。その窓の下にお菓子が積み上げられており、窓から入ってくる風がカーテンを揺らしていた。


「私の一撃を逃れるとは。聖女と言うのはこうでなくては」


 シルフィスは剣を一度鞘に納めるとニナのほうを見てこう言った。


「そこのメイド。あの娘の武器は?」


 シルフィスはなぜかニナにクリスティーナの武器の場所を聞いた。ニナはそれを見越していたかのようにすでに剣を用意していた。


「こちらでございます」

「ほう、準備がいいな」

「いえ、渡しそびれてしまっただけでございます」

「そうか。なら私が渡しておこう」


 ニナはシルフィスに剣を渡す。シルフィスはその剣を受け取ると開け放たれた窓へと走り、その勢いのまま外へ飛び出していった。


「お気をつけて」


 ニナは窓から飛び出していったシルフィスを手を振って見送る。その様子を見ていたアルベルトは棒立ちで驚き呆れて困惑していた。


「お前は、怖くないのか? もしかしたらあいつは帰ってこないかもしれないんだぞ?」


 アルベルトはシルフィスの実力を知っている。その力が異次元であり異常であることを嫌と言うほど思い知らされている。


 なのにニナはまったく動じている様子はない。


「あーあ、この椅子とテーブル、どうしましょう」

「おい、今はそんな場合じゃ」

「片付けるのを手伝っていただけますか?」


 どうなっているんだこのメイドは、とアルベルトは恐ろしくなっていた。自分がおかしいのだろうかと疑いそうになっていた。


 違う。おかしいのはクリスティーナたちのほうだ。アルベルトは正常である。


 そんな異常な存在であるクリスティーナは学校の敷地を飛び出して王都の郊外へと向かっていた。


「無断外出だけど、仕方ないわよね」


 クリスティーナは感じていた。シルフィスは本気だ。本気で殺しに来ている。


「なんの得にもなんないんだけど。まあ、死にたくないしなぁ……」


 そう何の得もない。銅貨一枚も儲からない。しかし、相手は本気でこちらを殺しに来ている。何の得にもならないが、避けられそうもないし説得できるとも思えない。


 いきなり訪ねてきて、一方的に自己紹介をして、少し世間話をしたら突然、お前を殺す、だ。そんなイカレた相手に言葉での説得など無意味だ。それにクリスティーナは感じていた。シルフィスの覚悟を感じ取っていた。


 とりあえずクリスティーナは寮の敷地の外に出た。部屋で戦ったらおそらく寮が吹き飛ぶだろう。


 人がいるところも危険だ。とにかく人の少ない場所に行かなければならない。そうでなければ確実に犠牲者が出る。


 クリスティーナは感じ取っていた。シルフィスはおそらく自分より強い。


「さて、これぐらい離れたら大丈夫かしらね」


 クリスティーナは走るのを止める。


 そこは森の中にある開けた場所だった。クリスティーナの足元には青い花が一面に咲いている。


 しばらく待っているとシルフィスがやって来た。その手にはクリスティーナの剣が握られていた。


「お前のメイドに渡してくれと頼まれてな」

「ありがとうございます」


 シルフィスはクリスティーナの剣を投げ渡す。それを受け取ったクリスティーナはその柄に手をかける。


「ずいぶんと冷静だな。小娘らしく喚き散らすと思ったんだが」

「いつもならそうしたかもしれませんが。騒いでも無駄でしょうから」

「なるほど。その通りだな」


 シルフィスは剣を抜く。その銀色の刃が日の光を反射しキラリと光る。


「これはミスリルの剣だ。とある職人の特注品だ」

「そうですか。おいくらで?」

「この状況で値段を聞くのか」

「それぐらいしか興味がないので」


 そう、興味がない。これから始まろうとしている命のやり取りにも、シルフィスがなぜ自分を殺しに来ているのかも、クリスティーナにはあまり興味がなかった。


 と言うかお金のことでも考えていなければパニックになりそうだった。ただ立っているだけのシルフィスの迫力に飲み込まれそうになっていたクリスティーナは、必死にお金と町のみんなのことを考えて平静を保ち、生き抜くと言う覚悟を確かめていた。


「やめませんか?」

「怖くなったか?」

「何の得にもならないので」

「得、か。何が欲しい?」

「お金」

「ははっ、わかりやすくて結構」


 クリスティーナの欲丸出しの回答を聞いたシルフィスは心の底から楽しそうに声を上げて笑った。


「いいだろう。お前が私に勝ったら私の地位も名誉も財産もすべてくれてやる」

「いえ、お金だけで十分です。他は邪魔にしかなりませんので」

「……面白い奴だ、お前は」


 本心である。地位も名誉も欲しいとは思わない。そんな物ではお腹は膨れないし、町のみんなの生活が良くなるわけでもない。


「やっぱりお金も遠慮します。人を殺してお金を得るのは、なんだか気分が悪いので」

「ほう。私を殺すつもりか?」

「手加減できる相手だとは思えないですから」

「面白い。本当に、本当に、面白い」


 こちらは全然面白くない。クリスティーナは今すぐここから帰りたいと思っているのだが、おそらくそれは不可能だろう。


「なら、お前の願いを一つ叶えてやろう」

「ありがとうございます。戦う理由ができました」


 クリスティーナも鞘から剣を抜く。純白の刃が陽光を吸い込みうっすらと輝く。


 刀身だけではない。クリスティーナの剣は、刃も柄もツバも鞘もすべてが真っ白な純白の剣だった。


「それは、なんだ」

「……秘密です。べらべらしゃべると怒られるので」

「そうか。ならば力づくで聞き出すとしよう」


 二人は剣を構える。目には見えない二人の気迫がぶつかり合う。


「見せてもらうぞ、お前の力。聖女の力を」


 こうして互いの命を賭けた戦いが始まったのだった。

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