第31話 決闘

 野外訓練場。そこに二人の男がいる。


 一人はこの国の第二王子アルベルト、もう一人はレドラックという片田舎の小さな町の元衛兵だ。


 二人は剣を手に対峙していた。その二人には違いがあった。アルベルトは鞘から剣を抜き両手で構え、レドラックは鞘から抜くどころか剣の柄に手をかけてもいなかった。


「がんばってください、レドラック! 絶対に勝つのですよ!」

「あの、姫様。アルベルト様の応援は」

「そんなものはいいのです! レドラック! がんばって!」


 二人の戦いを見守るためにクリスティーナたちもその場にいた。クリスティーナは腕を組みながら黙って二人が対峙する姿を眺め、フィニルは力いっぱいレドラックを応援していた。そのフィニルの横で、本当に弟を応援しなくていいのだろうか、と少し不安になりながらアンナも緊張した面持ちで二人の様子を見つめていた。


 そして、その後ろでニナがのん気にお茶の準備をしていた。


「皆さん、お茶が入りました。お茶会の続きはいかがでしょう?」

「えっと、あの、そんな状況じゃ、ないのでは」

「そうね。お茶を飲みながらゆっくり観戦しましょうか」

「ええ……」


 クリスティーナは当たり前のように席に着くとニナの入れた紅茶を飲み始めた。


「レドラック! 二度と立ち上がれないようにボコボコにするのです!」

「あの、それは違うんじゃ……」


 アンナは戸惑っていた。まあ、無理もない。決闘をしようとしているその横で一人はお茶を飲み、一人はその世話をし、一人は自分の弟を応援せず二度と立ち上がれないようにしろとのたまっている。


 ついていけなかった。常識人のアンナがこの状況についていけるはずがなかった。


「アンナ様、お茶でも飲んで落ち着きましょう」

「あ、ありがとう、ございます」


 アンナ以外の女性陣はどこか少しズレていた。そのズレにアンナは戸惑い、とりあえずニナに渡されたお茶を飲むしかできない状態だった。


 そして、対峙する二人はと言うと。


「さあ、どこからでもどうぞ」


 剣を構えるアルベルトを前にしたレドラックには何の気負いも見られなかった。レドラックは自然体で余裕があり、これから剣で斬り合おうとしているとは思えないほどに悠然としていた。


 対するアルベルトはというとその表情にまったく余裕がなかった。額からは冷や汗を流し、剣を握る手には力が入り、視線をレドラックから逸らすことができないでいた。


「どうしました、王子様。怖くて動けないのですか?」


 動けない。確かにそうだった。しかし、それは恐怖からではない。


 アルベルトは一歩踏み出そうと足に力を入れる。しかし、一歩踏み出すことができない。


 恐怖からではない。まったくスキがないのだ。一歩を踏み出してから次のビジョンが全く見えてこないのだ。


 いや、違う。見えている。一歩踏み出した先、どうなるのかアルベルトは見えていた。


 それは、死、だ。一歩でも踏み出せばその先には確実に自分の死がまっているとアルベルトは感じていた。


「なんだ、こいつは……!?」


 強い。相対しただけでそれが理解できる。しかもその強さは常識外れの異常なものだ。


 王国騎士団。レジェンドル王国には王国軍とは別にもう一つ正規軍を有している。


 それが王国騎士団だ。騎士団と王国軍、その違いはその構成員で、王国軍は平民や貴族の混成部隊であるのに対し、王国騎士団は全員貴族の家柄の者たちで構成されていた。


 その中のトップ。王国騎士団のトップに君臨するのが『聖騎士』である。王国騎士団の中でも指折りの実力者に与えられる、まさに王国最強の称号である。


 その聖騎士の数はわずか十人。この国最強の十人である。


 アルベルトはその聖騎士の一人に稽古をつけてもらったことがある。その強さは人間とは思えない物だった。


 似ている。とアルベルトは感じていた。厳密には違うのだが、あの時稽古に付き合ってくれた聖騎士と同じ物をアルベルトはレドラックから感じ取っていた。


 それは異様な威圧感だ。空気が歪んで見えると錯覚するほどの圧力である。


 その威圧感を真正面から受け止めたままアルベルトは一歩を踏み出そうとする。しかし、踏み出そうとしたアルベルトは突然後方に跳び退いた。


「どうしましたか、王子様。斬られる幻覚でも見ましたか?」


 後ろに跳び退いたアルベルトは自分の胸を手で押さえ、何かを何度も確かめていた。


 そう、斬られた、とアルベルトは感じたのだ。レドラックの言う通り斬られる幻を見たのだ。


「お前は、なんなんだ……」


 アルベルトは驚愕していた。


 最初、アルベルトはレドラックの実力を疑っていた。グリフォンの首を一太刀で切り落としたと言う話は聞いていたが、何か小細工でもしたのだろうと思っていた。


 なにせグリフォンは上級モンスターだ。正確なランクは上級下位ではあるが、もし出現したら一頭を討伐するために部隊を編成して対処しなくてはならないほど強力なモンスターだ。


 もし一人でグリフォンを倒したとしたら実力的には王国騎士団聖騎士に匹敵する。そんな人間が平民の、しかも地方の町の元衛兵であるはずがない、とアルベルトは思っていたのだ。

 

 だが、違った。いたのだ。


 聖騎士に匹敵するほどの実力者が。


「いつまでこうしているおつもりですか? 日が暮れてしまいますよ」


 レドラックは一歩も動いていない。アルベルトは一歩も動くことができない。


 時間だけが過ぎていく。互いに睨み合うことしかできない。


「仕方ない。では、こちらから」


 そう言うとレドラックは動いた。


「なっ!?」

「後ろを取られるとは油断し過ぎですよ」


 油断などしていない。アルベルトは集中してレドラックの行動を見逃さないように観察していた。


 だが、見えなかった。自分の後ろにレドラックが移動した姿をアルベルトはその目でとらえることができなかったのだ。


「一つ」

 

 アルベルトは背後を斬りつける。しかし、すでにレドラックの姿はなかった。


「二つ。王子様、これで二回死にました」


 再び背後に現れたレドラックは背後からアルベルトの首筋を指で軽く触る。


「なかなかいい反応をしますが、それでは俺を殺せませんよ」


 再びアルベルトは背後を斬りつける。しかし、やはりレドラックの姿はなかった。


「三つ。三回目です」


 レドラックは何度も何度もアルベルトの背後を取る。


「六回です。六回もあなたは死にました」


 ついていけなかった。アルベルトはレドラックの動きを捉えることができなかった。


 相手になっていなかった。アルベルトはレドラックに触れることすらできていない。


 屈辱だった。アルベルトは自分のすべてを否定されているようなそんな気分だった。


 アルベルトは強くなりたかった。そうするしかなかった。


 ロベルトとは年が離れている。しかし、アルベルトはロベルトといつも比べられてきた。


 優秀な兄。聡明で政治的手腕に優れ、人の心を掴む魅力を備えた血のつながった実の兄。


 アルベルトにはない物を持った存在。唯一対抗できるとすれば、それは剣の腕ぐらいなものだった。


 だから強くなるしかなかった。王家の人間として、民を導く責を負う者として、強くあらねばとアルベルトはそう考えて生きてきた。


 それが今、すべて否定されている。お前の努力など無駄なのだと、現実を突きつけられている。


 だが、それでもあがくしかない。アルベルトはそれしか知らない。


「くっ、はあ、はあ……」


 アルベルトは膝をつく。まだそれほど時間が経っているわけでもないのに、激しい訓練を数時間つ付けたような激しい疲労感がアルベルトを襲う。


「さて、終わりにしましょう。七回目」


 膝をついたままアルベルトは自分目の前に立つレドラックを見上げる。レドラックはゆっくりと剣を抜き、頭上で構えた。


 美しい、とアルベルトは思った。日の光を浴びて輝く真っ白い刃を見て、アルベルトはこの世界にこんなにも美しい物があるのか、とそう思った。


「では、失礼」


 剣が振り下ろされる。アルベルトは、笑っている。


 そう、アルベルトは笑っていたのだ。


「そこまで!」


 レドラックの振り下ろした剣がアルベルトの額の真上でピタリと止まる。


「……俺の負けだ」

「いいえ、引き分けです」


 アルベルトとレドラックの決闘を聞きつけて、学校の教師たちや校長までもが駆けつけて来た。彼らは大慌てで二人の戦いを止めようとアルベルトの側へと駆け寄っていく。


「来るな!」


 アルベルトの言葉に教師たちは立ち止まる。


「俺の負けだ。何もできなかった」

「いいえ。最後の一撃が入っていれば、私の負けでしたよ」


 最後の一撃。そう、アルベルトは諦めていなかったのだ。アルベルトはレドラックが攻撃してくる瞬間を狙い全力の一撃を放つつもりだったのである。


 レドラックはアルベルトに手を差し伸べる。アルベルトはそれを一瞥すると自分の力で立ち上がる。


「次は、勝つ」

「いいえ、不可能ですよ」

「それでもだ」


 アルベルトはレドラックを鋭く見据える。アルベルトの目、それは覚悟をした者の目だった。


「ひとつ、良いことをお教えしましょう」

「いらん」

「そう言わずに、少々お耳を」


 レドラックはアルベルトの耳に顔を寄せ、ひそひそと何かをささやく。それを聞いたアルベルトは大きく目を見開き、話し終えたレドラックの顔を凝視した。


「本当か?」

「はい。ですのでアンナ様とお近づきになるのは、殿下にとって有益かと」


 アルベルトは遠くでこちらを心配そうに見つめているアンナと、その後ろでお茶とお菓子を楽しんでいるクリスティーナのほうに目を向ける。


「殿下も強くなれる。こちらの願いもかなえられる。どうです?」

「……いいだろう」


 アルベルトはもう一度レドラックを鋭くにらむ。そして剣を鞘に納め、アンナのほうへと歩き出した。


「アンナ」

「は、はい」

「お前は俺が守る」

「え? あ、あの」

「何かあればすぐに俺に報告しろ。いいな?」

「は、はい」


 アルベルトはしばらくアンナの顔を睨みつける。その視線に怯えるようにアンナは肩を縮める。


「何を怖がっているんだ?」

「いえ、その」

「目つきが悪いのは生まれつきだ。睨んでいるわけではない」

「そ、そうなん、ですか?」


 アルベルトは少し困った様子で小さくため息をつく。


「怖がらせてすまない。もう、俺の顔を見なくてもいい」


 そう言うとアルベルトはアンナの横を通って立ち去ろうとする。


「待ってください」


 立ち去ろうとするアルベルトをアンナは引き留める。


「も、もう怖がりません。大丈夫、です」

「……そうか」


 立ち止まったアルベルトは振り向かずにため息をつき、そのまま後ろを振り返らずにその場から去っていった。


「不器用だねえ」


 立ち去っていくアルベルトを見ながらレドラックはなぜだか笑顔を浮かべていた。


「やりましたねレドラック! あなたの勝ちです!」

「引き分けですよ、姫様。と言うか、いつの間に近くに」


 本当にいつの間にかレドラックの横にはフィニルがいた。まったく気が付かないうちにである。


「しかし、これをどうするかねぇ……」


 フィニルに腕を取られてぴったりと張りつかれたレドラックは周囲を見渡す。その視界には騒ぎを聞きつけて集まった教師と学校の警備をしている兵士たちの姿があった。


「王子様は行っちまったし、なんて言い訳すりゃいいんだか」


 こうしてレドラックとアルベルトの決闘が終わった。


 そして。


「なんで私が怒られなきゃならないのよ!」


 なぜだかクリスティーナだけ校長室に呼び出され説教を受けたのだった。

 


 

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