第10話 お嬢様の頭が……

 目覚めたクリスティーナの行動は早かった。


「この店にある野菜を全部ちょうだい」

「ぜ、全部でございますか?」

「そう、全部よ」


 エダとニナは彼女についていくので精いっぱいだった。


「この店にあるお肉を全部ちょうだい」

「ぜ、全部?」

「そう、全部」


 とにかく金に物を言わせた。


「お、お嬢様。この食材をどうするつもりで」

「もちろん食べてもらうのよ」

「食べて、もらう?」

「で、でも、食べるにしても、生の肉は食べられませんし、生のお芋もお腹を壊してしまいます」

「そうね。なら料理すればいいわ」


 クリスティーナは自分の使用人たちもすべて駆り出した。


 そして。


「さあ、みんな! 遠慮せずに食べるのよ!」


 クリスティーナは貧しい人たちが暮らす地区で炊き出しを行ったのである。


「お、お嬢様。これは」

「なにをしているのエダ! あなたも手伝って!」

「わ、わかりました」


 エダは心底困惑していた。なにせ今までのクリスティーナなら絶対にやらないようなことをしているのだ。


「さあ、お腹いっぱい食べるのよ!」

「あ、ありがとうございます」

「お礼はいいから食べなさい!」


 クリスティーナは自ら進んで人々に食べ物を配って歩いた。どんなに身なりが汚くても、どんなに臭いがきつくても、全く構うことなくクリスティーナは平等に接していた。


「く、狂ってしまった。お嬢様が……」


 エダにはそんなクリスティーナの姿が狂っているようにしか見えなかった。つい最近までワガママ勝手で自分のことしか考えないクソガキだったはずなのに、それが今は貧しい人々に自ら施しをしているのだ。


 狂ったとしか思えなかった。頭がどうにかなったとしか考えられなかった。


「ありがとう、えっと、えっと」

「クリスティーナよ」

「ありがとう、クリスティーナ様」


 どうなってしまったのか。何が起こっているのか。


 さっぱり、さっぱりわからない。


 わからない、けれど。


「エダ。この子たちが、ずっとお腹いっぱい食べられるようにするには、どうすればいいと思う?」


 これは、良い変化なのではないだろうか。


「ずっと、というと?」

「ずっとよ、ずっと。これからずっと、みんなが飢えず、苦しまず、心穏やかに暮らしていくには、どうしたらいいか」


 何が起こったのかまったくもってさっぱりわからない。数日前突然発狂して気を失い眠りにつき、そこから目覚めたと思ったらこれである。


 エダは混乱していた。心の底から困惑していた。


 だから、気の利いた返答などできなかった。

 

「お金が、いるのではないでしょうか?」


 お金。エダはそう答えた。いつもなら何か別の答えを伝えたかもしれないが、混乱していたエダはそう答えてしまった。


「お金。そう、お金ね。その通りだわ」


 そして、クリスティーナはその答えを真に受けた。その通りだと納得してしまった。


「食料を買うにもお金がいる。何をするにもお金、お金」

「そ、その通りです、お嬢様」


 お金。世の中何をするにも金。


 金、金、金。


 世の中カネなのだ。


 金。金がいる。


 お金なのだ。


「お、お嬢様おやめください! これは旦那様の大切な」

「お父様の? お父様がここにいつ帰ってくるの?」

「それは、いつかは」

「いつかっていつ? 今まで一度も私のところに来たことなんてないじゃない! なら、こんな物いらないでしょう?」


 屋敷に戻ったクリスティーナの行動はさらに早かった。それに使用人たちは困惑するしかなく、この屋敷を取り仕切る執事長のロンドは特に慌てふためいた。


「これもいらない、あれもいらない。全部売ってお金にするのよ!」

「いけませんお嬢様! 旦那様の許可がなければ」

「じゃあ、私の物を売るわ! 宝石もアクセサリーもドレスも必要なもの以外は全部!」

「お嬢様!?」


 とにかくクリスティーナの行動は早く、そして無茶苦茶だった。


「おやめください! おやめください!」

「お金! お金! お金よ!」


 結局、クリスティーナは本当に生活に必要な分の衣服以外はすべて売り払いお金に換えてしまった。そして、そのお金で食べ物を買い、貧しい人々に配っていった。


 しかし。


「足りない。全然足りない」


 それでもお金は足りなかった。


「ねえ、エダ。お金はどれぐらい必要だと思う?」

「わ、わかりません。一体どれぐらい必要なのか」

「ねえ、ニナ。どうやったらたくさんお金が稼げると思う?」

「そ、それは。どうしたら、いいのでしょう」


 もう屋敷にいる使用人たち全員がパニック寸前だった。クリスティーナは狂ってしまったのだと本気でそう思っていた。


 だがしかし、クリスティーナは狂ってなどいなかった。むしろ他の者たちよりもかなり冷静だった。


「そうよね、ごめんなさい。いきなりこんなことを言ってもわからないわよね」


 クリスティーナはエダとニナに謝罪した。その姿を見てエダとニナはあんぐりと口を開けて言葉を失ってしまった。


「でも、お金が必要なの。みんなのお腹をいっぱいにするには、まだまだいるのよ」

「ど、どうして、それほど」

「どうして? だってお腹が空くのは辛いじゃない」


 その通り。その通りである。空腹は辛い。それはエダもニナもわかっている。


「これからずっとみんなが、少なくともこの町の子供たちがお腹いっぱいで安心して暮らせる。そんな豊かな町にするためには、もっとお金が必要なの」


 確かにその通り。その通りなのだが、正直エダはクリスティーナについていけなかった。


「申し訳ありません。私には、なにも」

「ううん、謝る必要はないわ。ありがとう、エダ」


 ありがとう。クリスティーナはエダに感謝の言葉を言うとニッコリと笑った。


「お、お嬢様……」


 その笑顔を見たときエダは確信した。


 クリスティーナは本当に頭がおかしくなってしまったのだ、と。

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