第9話 目覚め

 クリスティーナは数日間眠り続け、そして目を覚ました。


「お嬢様!」

「に、な?」


 目を覚ましたクリスティーナの目に最初に映ったのはニナの顔だった。


「わたし、は?」

「ずっと眠っておられました」

「そう、なのね」


 目を覚ましたクリスティーナはうつろな目をしていた。けれど、その目に次第に光が戻っていく。


 そして、光が戻るにつれ意識も鮮明になり、悪夢もはっきりと思い出していった。


「いや、やめて、やめてええええええ!」

「お嬢様!」

「落ち着いてください! 何も怖ろしい物はありません!」


 錯乱していた。悪夢と現実がごちゃごちゃになっていた。


 ただ、それも少しずつ落ち着いていき、クリスティーナは正気を取り戻す。


「一体、どうしたというのですか?」

「大丈夫、なんでもない、から」


 大丈夫。そう言ってはいるがまったく大丈夫には見えない。


「悪い夢を見たの。ただ、それだけ」


 悪い夢。悪い夢を見たのだ。まるで現実のような悪い夢を。


「もう、大丈夫よ。ありがとう、エダ」

「いえ。……え?」


 ありがとう。クリスティーナはそう言った。


「どうかしたの?」

「い、いえ」

「そう。ニナもご苦労様。もう、大丈夫だから」

「は、はい。ですが」

「大丈夫。ありがとうね」


 ありがとう。クリスティーナはニナにもありがとうと言った。


 それは前代未聞だった。エダにとっては天変地異に等しかった。


「お、お嬢様の頭が」

「頭? 何を言っているの? ああ、それより少しお腹が空いたわ。何か食べる物はないかしら?」

「は、はい。すぐにお持ちいたします」


 おかしい。何かがおかしい。まるで人が変わったようだ。と、目覚めたクリスティーヌを見てエダはそう思った。


 おかしい、と思いながらもエダはちゃんと仕事をした。すぐに食事を用意してクリスティーナの部屋へ現れた。

 

 持ってきたのは野菜のスープだった。目覚めたばかりのクリスティーナでも食べられるように、やわらかく煮られた野菜のスープだ。


 クリスティーナは目の前に出されたスープを文句を言わずに口にした。


「……おいしいわ。本当に」

「お、おいしい、のですか?」


 おいしい、とクリスティーナは言った。今まではどんなものを食べても何か文句を言って周囲を困らせていたのに。


「本当に、本当に、おいしいわ……」


 クリスティーナはスープをすくって口に運ぶ。そして、それを飲み込んで涙を流していた。


「お、お嬢様」

「大丈夫よ、心配しないで」


 おかしい。明らかにおかしい。本当に頭が狂ってしまったのか。


「馬鹿よね、私は。こんなに、こんなに恵まれているのに……」

「は、はあ?」


 エダはクリスティーナが何を言ってるのかまったくわからなかった。エダはクリスティーナがおかしな生き物になってしまったような気分だった。


「……もう、絶対に失わない」


 クリスティーナは小さな声でそう呟いた。その言葉はエダやニナには聞こえなかった。もし聞いていたら、本当に頭がおかしくなってしまったと、エダは考えただろう。


「ねえ、エダ、ニナ。私、やりたいことができたの」

「やりたいこと、ですか?」

「それはなんでしょうか?」


 五歳の誕生日を迎えた数日後。クリスティーナは一つの悪夢を鮮明に思い出した。


 そして、決意した。自分がこれからやるべきことを。


「みんながお腹いっぱい食べられて、平和に、穏やかに暮らせるように、したいの」

「……はい?」


 クリスティーナはエダたちに自分の決意を伝えた。だが、エダにはその決意が全く伝わらなかった。


 なぜならあまりにもかけ離れ過ぎていたからだ。今までのクリスティーナと今のクリスティーナの考えがである。


「私、夢を見たの。悪夢を、たくさん見たの」


 そんな困惑するエダなどお構いなしにクリスティーナは語った。ちなみにニナは最近やって来たばかりなので状況がよくわかっていなかった。


「夢の中の私は、ひどい人間だったわ。でも、悪くない悪夢もあったの」


 悪夢。それが悪くないわけがない。けれど、悪くない悪夢もあったのだ。


 希望が残っていた悪夢。踏みにじられたけれど、希望があったのだ。


「もう、二度と失いたくない。だから、やるわ、私」


 クリスティーナは目覚めた。そして決意した。


「聖女だとかなんだとか、そんなことはどうでもいい。私は、もう二度とあんな思いはしたくないの」


 あんな思い。あの後悔と喪失感。


 もうあんな思いはしたくない。二度と失いたくない。

 

 だから、やるのだ。自分ができることを。


「エダ、ニナ。協力してくれるかしら?」

「え、あの」

「えっと、なにがなんなのかわかりませんが。わかりました」

「ありがとう、二人とも」

「いや、私は何も」

「ありがとう」


 クリスティーナは変わった。失ったことで成長した。


 しかし、根本的な部分は変わっていなかった。空気が読めず自己中心的で、周囲の人間のことなどあまり気にしない性格はそのままだったのだ。


「こうしてはいられないわ。さあ、行くわよ二人とも!」

「は、はい?」

「しょ、承知しました」


 根本的な部分は全く変わっていなかった。けれど、クリスティーナは変わったのだ。


「今度こそ、絶対に、失わない」


 クリスティーナはそう覚悟を決めたのだった。

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