第6話 悪夢回避作戦、始動。

 結論、関わらなければいい。


「あ、あの、お嬢様」

「き、気にしなくていいのよ。あなたは仕事を続けなさい」


 ニナは部屋の掃除をしていた。その様子をドアの隙間からクリスティーナはじーっと観察していた。


 観察。いや、監視だ。


「いつ殺されるかわかったもんじゃない……」


 ニナ。彼女は危険人物である。なぜなら将来自分を殺すからだと、クリスティーナは考えている。


 しかし、その原因はニナに恨まれるからだ。ならば恨まれないようにすればいい。極力関わらないようにすればいいのだ。


「天才だわ。さすが聖女よ」

「あ、あの、じっと見ていられると、やりにくいのですが」

「い、いいのよ! 気にしなくても!」

「は、はいぃ……」


 関わらない。ニナとは関わらない。


 しかし気になる。なにせ彼女は自分を殺すのだ。そんな相手が気にならないほどクリスティーナの神経は太くはない。


「お嬢様」

「な、何よエダ」

「そろそろ家庭教師がいらっしゃる時間ですが」

「帰ってもらって!」

「ですが」

「私の命令が聞けないの!」

「……承知しました」


 家庭教師? そんなものよりニナである。自分を殺す相手の監視のほうが重要に決まっている。


「さあ、いつでも来なさい。返り討ちにしてやるわ」


 そうやってクリスティーナはニナの監視をしていた。


 ある時は茂みの陰から、あるときは机の下から、ある時は窓の外から、クリスティーナは一日中ニナを見張っていた。


「あ、あの、お嬢様」

「気にしなくていいっていってるでしょ! あなたはサボらず仕事をしなさい!」

「わ、わかりました」


 クリスティーナはじーっとニナを見張っていた。だが、見張られているニナはたまったものではない。


 やりにくかった。クリスティーナが気になって仕事に集中できなかった。


 だから、失敗してしまった。おそらくクリスティーナによる過度な監視が失敗の原因だろう。


「も、申し訳ありません!」


 ある日、ニナは掃除の途中で廊下に飾ってあるツボを倒して割ってしまった。その際にニナはツボの破片を片付けようとして指を切った。


「何をしているの! このグズ!」

「ごめんなさいごめんなさい、ごめんなさい」


 ニナは必死に謝っていた。そんなニナをクリスティーナは責め立てた。


「しっかり仕事をしなさいって言ったじゃない!」

「ごめんなさい、許してください」

「お嬢様、これぐらいで」

「これぐらい? これぐらいで許せって言うの!」


 激しく責め立てるクリスティーナをエダはなだめようとした。だが、クリスティーナはそんなことでは治まらず、なおもニナを責め立てようと口を開いた。


 だが、言葉が出てこなかった。


 クリスティーナはツボの破片で傷ついたニナの手に目が釘付けになっていたのだ。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――」


 悪夢。クリスティーナの脳裏に一つの悪夢が蘇る。


 それは光の聖女に選ばれたアンナを陥れ殺そうとし、その計画が暴かれ国外追放となった悪夢。クリスティーナはすべての資格をはく奪され、一人国の外に追い出された。


 そして、殺された。その時クリスティーナを殺したのは彼女がクビにした使用人たちだった。


 復讐である。追放され、貴族ではなくなったクリスティーナを捕まえ、使用人たちは彼女に拷問を加えた。人気のない小屋に彼女を監禁し、何日も何日もクリスティーナを痛めつけ、最後は首に縄を掛けられ天井にぶら下がって死んだ。


 そして、見た。死の間際、クリスティーナは首を吊って苦しむ自分に笑いながら罵声を浴びせる者たちの姿を見たのだ。


「同じ、だ……」


 クリスティーナは自分の手を見た。それはまだ子供の手だった。その子供の手に悪夢で見た大人になった自分の手が重なって見えた。やせ細った傷だらけの自分の手が。


「あなたは、私と同じ」


 クリスティーナはニナを見る。手から血を流す少女に目を向ける。


 床に座り込み泣きながら謝るニナはやせ細っていた。その手にはツボの破片で切った傷以外に古い傷が残っていた。


 クリスティーナはもう一度自分の手を見た。そこには傷ひとつない艶やかな肌の子供の手があった。


「ごめんなさい、お嬢様。どんな、どんな罰でも」

「……罰なんて、いらない」


 無意識だった。なぜそうしたのかクリスティーナにはわからなかった。


 クリスティーナはニナを抱きしめていた。


「お、お嬢様?」

「大丈夫。もう、大丈夫だから」


 なにがかはわからない。けれど、クリスティーナは何度もニナに大丈夫だと繰り返した。


「エダ。傷の手当てをしてあげて」

「え? は、はい」

「あの、お嬢さ、ま」

「安心しなさい。傷は浅いわ」


 クリスティーナはニナを抱きしめていた手を離すとニナにニッコリと微笑みかける。


「それと、あなた、やせ過ぎよ。もっとたくさん食べないと」

「え、あの……。はい」


 わけがわからなかった。突然のことにニナは混乱していた。


「さあ! 手当がすんだらお茶にするわよ! もちろん、あなたも一緒!」


 違う。厳密には違う。悪夢でのクリスティーナとニナは境遇が全く違う。


 けれど、同じに思えた。やせ細り、傷だらけになり、苦しんでいるニナの姿が、クリスティーナには悪夢の中の自分と重なって見えたのだ。


「いっぱい食べて太るのよ!」

「は、はい」


 こうしてニナに関わらないと決めていたクリスティーナであったが、彼女とがっつり関わることとなったのである。

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