第7話 父の読んでいた本
私が育った家の直ぐ近くには、公園が有り父とよくキャッチボールをした。
土日も関係なく出勤する事が多かった父だった為、私たちは、よく朝(父が出勤する前※)キャッチボールをした事を覚えている。※5:30~6:00
私は、現在小学校の前に借家を借りて独り住んでいる。小学校に上がる半年前に、日本に連れてきた娘智花(当初日本語が全くできなかった)が毎日安全に学校に行けるように私の母と一緒に探し、選んだ家である。
娘と暮らしていた頃小学校のグランドで、娘と一緒に鉄棒、駆けっこ、サッカー(PK合戦)を何回かできた事が今の私の小さな救いになっているが、その数の少なさを後悔をしており、その十字架を一生背負っていく事になると思う
娘と遊んでいるとき、私は父とキャッチボールをした時を思い出し、当時の父も同じ思いをしていたのだろうと感慨にふけった。娘と共有できる時間、過去の父との時間を思い出し、人生の掛け替えいの無い幸せを感じた時間であった。私は、子供時代に見た父の姿を模倣し娘と接していたのかもしれない。
話は変わるが、私が小学校6年生の頃、父の本棚から一冊の本を見つけた事がある。
本の題名は、忘れてしまったが内容は子育ての中の父親論だったと覚えている。
子供心に、父さんは父さんなのに、本なんか読む必要ないじゃん、お金の無駄だなと正直思った事を覚えている。
高校生になる頃には、前述した父の育った環境を少し理解していたが、本の意味を理解できたのは智花が生まれた後であった。父は、3歳の頃実の母を失い、小学校に上がる頃には祖父は父の近くにはいなかったのである。私には模倣できる父がいるが、父は子供時代、祖父とキャッチボールをした記憶など無いのである。
父は、もしかして自分の理想の父親像を私達に見せてくれたのかもしれないが、私の中の結論は、自身の子供時代に父親と接した事が無かった父が、父親像を模索する中で父なりに本を読み勉強して、私達兄弟の父親になってくれたのだとおもっている。
父は多分自覚していないが、父が祖父にした親孝行の中の一番はこの点であると思う。
父親と遊べなかった子供時代の父、子供と遊べなかった祖父、二人の気持ちが想像するとやるせない気持ちと切ない気持ちになる・・・。
祖父は、病気からくる苦痛、子供たちと遊ぶ事も出来ない現実と向きあわされ、その苦痛を10年間耐えたのである。
厳しい昭和の時代、親子は文句も言えず生きたのである。
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