第8話 通称清瀬の療養所

東京都清瀬市は、昭和6年から昭和40年頃まで日本の結核治療のメッカと言われた場所であり、通称清瀬の療養所と言われた場所である。

根本的治癒方法が無い時代、当時の治療法は大気療法、栄養、休養を取る事が治療の根幹であり、祖父はこの地で7年の間療養する。7年後、前述に述べた外科手術と巡り合い、祖父は完治したが、闘病の主戦場はこの地であったのだと私は思う。


20代後半から30代後半まで、祖父は結核と闘ったが、私が想像するに、一番つらい時期がこの清瀬での療養所生活であったと思う。肺を病んでいる祖父は、運動さえもできなかっただろうし、一日の大半をベットで過ごさざるをえなかった筈だ。

何も出来ず、唯生きている自分に嫌気が指す事もあっただろうし、自暴自棄になった時もあっただろうと思う。

明日が保証されない生活の中、祖父は何を考えて、嫌何を希望にして生きたのだろう…。


答えは、故郷に残してきた家族でしか有り得ないのだが、子供たちともう一度元気になって会おうという願いが祖父を現世に繫ぎ止めたのだと私は思う。


祖父は物静かなひとだった。声も小さく、会話をする時には、気を抜くと聞き取れない時もあった。

理由は、肺の半分を切除した祖父の肺活量は、常人の人の半分もなかったからだ。

「おじいちゃんは、体が弱いから無理すると死んじゃうんだ」と子供の時に聞いた覚えがあるが、その言葉は冗談ではなく、祖父の自己認識だったのだと思う。


アサ子ばあちゃんが、祖父が会社に出勤する時に、雨が降ってきただけで、「父さん、上着持ってくるから着てけ!」と、慌てて部屋から上着を持ってきて祖父の後ろから上着を着せる様子を何度か見た事がある。祖父の体を一番心配していたのが麻子ばあちゃんだった。


中学生の頃、麻子ばあちゃんが私に言った言葉で印象深い言葉がある。

「頭がよくなくても、お金を稼がなくても、体が健康であればそれでいいんだ。」

「体が弱いと、気の休まる時もなくて、最悪だ」

風が吹けば倒れそうな祖父を、寄り添い力強く支え続けたばあちゃんの本音だったろう。


アサ子ばあちゃんは、言葉が強く、厳しい人だったが、祖父が亡くなるまで総ての面倒をみた強い女性だった。


私が大学生の頃、祖父と二人だけで散歩した時に祖父が何気なく麻子ばあちゃんについて語ってくれた事がある。

「夫婦だから喧嘩もする、喧嘩した時には本当に憎たらしいと思う時もあるけど、だけどアサ子ばあちゃんがいなかったら私は一日も生きていけないだろうと思ってる。」


何時も通り、穏やかに語った祖父だった為、私は当時何気なく聞いていたが、思い起こせば祖父が私にした最初で最後の惚気(のろけ)話だったのかもしれない。


二人は夫婦であり、固い絆で困難に立ち向かった戦友だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る