第6話 祖父の背中

私が高校生になったばかりの事だっただろうか、祖父の肩をもんであげようとした事がある。

軽い気持ちで、おじいちゃん孝行をしてあげる気持ちで私から提案したのを覚えている。

当時の私は、母や母方の祖母の肩や腰をよく揉んでおり、二人はマッサージ後良く褒めてくれた。

今、思えば私の気持ちに対しての感謝だったのかもしれないし、煽ててくれていたのかもしれない。

勉強も運動も今一つだった私は数少ない自分の特技を生かし、祖父に喜んでもらおう、褒めてもらおうという下心があって提案したのである。


但し、その時の祖父はあまり乗り気ではなく、どこか丁重に遠慮をしているような雰囲気だった為、

私は半ば強引に座っている祖父の後ろへ回り、肩を揉もうとした。

もともと祖父は食が細く、瘦せていたのは知っていたが、私は直ぐに祖父の遠慮した意味を理解する事になった。


祖父の体には余分な肉は一切なく、極端に表現すれば正に骨に皮がついているだけの様な気がした。

驚いたのは、右側のアバラ上部4本がほとんど削られており、無いのである。

自分が今まで見てきた人の背中に、祖父の様な背中の人はいなかった。

正直、こんな体で生きていれるものなのかと驚いた。

触ると、強く力を入れたら折れてしまうのではないかという恐怖心を抱かせる祖父の背中を、私は指を立てることもできず、手のひらのみでさする事しかできなかった。

祖父の背中をさすった時間はほんの少しの時間であったとおもうが、私の中ではその時間が非常に長く感じられた。軽はずみな提案をしてしまった自分の失敗を悔やんだのを覚えている。


その気まずい私の気持ちを知るか知らずか、優しい祖父は何度も、「いい気持だ」と言ってくれた。


祖父が結核になった時、結核は死病であった。医療技術も今より進んでおらず、治療薬もなかった。

先にも書いたが、祖父はこの死病と10年間家族と共に闘い、全身全霊で運をたぐり寄せ奇跡的に生還した。


結核にかかった肺の部分を外科手術によって切り除くのがその時の最先端治療であった。

私が見たアバラ骨の無い祖父の背中は、その手術の代償だったのである。


秋田の病院では、その手術を行う事は出来ず、祖父は東京の病院に転院し手術したと聞いている。

転院できたのも、多くの人の助力があったからこそできた事で、他の人の助力が無ければ祖父は秋田より出る事も無く、私の祖母の様に生を終えていた事だろう。


祖父の東京での入院費をどう工面したかは、私は詳しくは知らない。ただ、祖父が生前、私に聞かせてくれた恩人の方の話。祖父が東京に入院していた頃、その恩人は毎月東京での生活費として当時で10万という大金を支援してくれたそうだ。その方が、何故祖父を助けてくれたかという理由が、先に書いたヤミ米の検閲時の一件である。祖父の危機に、その方がその時の恩として何十倍にして返してくれたのである。テレビドラマの様な話であるが、実際の話である。


祖父は、結核になった後、治療に専念する為に勤めていた仕事も辞めるしかなかった。我が家にはもちろんお金等なく、父、叔母、アサ子ばあちゃん3人は本家の家にお世話になり、父は小学校から祖父が戻る中学生まで国から生活補助を受けながら学校に通った。

今とは違う日本で、祖父たちは多くの人達に助けられ、そして生きのびたのである。


あの時の、祖父の背中、本当の意味が40代になった今よくわかる。

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