第5話 戦後の厳しさ

祖父は戦争を運よく生き残れた。


戦後、日本は食料、薬品の不足に代表される、とにかく物がない時代へと突入した。


終戦後は、再び故郷へ戻り、運よく国鉄の職員として働けたようである。


戦後間もない頃都会には食べ物が無く、東京から食べものを求めて田舎の農家に買い出しに来る人も多かったらしい。




ヤミ米として都会に流す業者の方、一般の人が家族で食べる分を買いに来る人、祖父の仕事は


汽車に乗る人達を検閲する仕事であった。その仕事の中で、祖父は状況を酌んで見逃した事が何度かあったらしい。




家族で食べるお米を東京から買いに来ていた人を見つけ買っていたお米が多かった分没収をしなければならなかったが、同情し没収しなかったと聞いている。その見逃した方の一人が、後に祖父の命の恩人になったと知った時、私はドラマみたいな話だと鳥肌が立ったものである。






話は変わるが、そんな物のない時代に、祖父は結婚し、子供にも恵まれたが不幸は襲う。




戦後の混乱期は、私は生まれてもいないのでよくわからない。


但し、私の実の祖母は、私の叔母を生んですぐ26歳の若さで亡くなっている。


私の父は、当時3歳でありどのような気持ちだったかは父は語ろうともしない。




祖母は、その当時不治の病である結核も患っており、結果的に祖父も結核になってしまった。


妻を失い、二人の子供を残された祖父はどういう思いでいたのだろうか、当時20代であった祖父は


今の私よりも20歳ぐらい年下であっただろうし、結核という病魔とも闘わなければいけない状況になった。




その時、祖父を救った存在は間違いなく後妻に入ってくれたアサ子ばあちゃんである。


アサ子ばあちゃんは、私の実の祖母の妹であり、その時18歳であった。


18歳で明日をもわからない結核になった男性とその子供たちを面倒みたおばあちゃんがいなければ


私もこの世に存在してなかったと思う。




自分より若い二人が、自分以上の境遇を行き残ってきたのに、自分は何くよくよして生きているのかと恥ずかしくなる。




祖父は、27歳から10年以上東京の病院に入院する事になり、家族と離れ闘病生活をすることになる。

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