第3話 小学校卒、就職見習い

昭和初期の農家の子供は今の時代とは全く違い小学校卒業後に、進学する子はほとんどおらず

家の手伝いをするか、地元で働き口を見つけ給料は少ないが見習いとして働かせてもらい働く技術をみにつけたいう事である。

祖父も国鉄(現JR東日本)で職員見習いとしてお世話になり第2次世界大戦の出征迄働かせてもらったそうである。

祖父から聞いた話は、休みの日は上司の方の家に行き、掃除や洗濯などの雑用をするのが当たり前だったという。仕事中も今の時代と違い、よく殴られたそうだ。


祖父は、小学校しか出ていない自分を私は学(学歴)が無いからと人の3倍、4倍努力しないとひと様と同じレベルになれなかったとよく言う人だった。すぐ忘れるから言った祖父はメモ魔であり、日記を毎日欠かさず書いていた。子供心にすごいと思ったのは、総ての引き出しに入れてある物がわかる様に表記シールが貼ってある事だった。


祖父の馬鹿が付くほどの真面目さは、天性のものなのか、それとも彼が生きた人生が彼をそのように生成したかはわからないが、その真面目さがあったからこそ彼は様々な困難を乗り越え天寿を全うできたのだと思っている。


私と血の繋がりがありながら、私とは全く違うタイプの祖父の存在が自分の弱さの象徴のようで

正直つらい時がある。


話は戻るが、祖父が見習い期間に身に着けた技術はモールス信号と会計簿記だったと朧げに覚えている。モールス信号を覚えた縁で、戦争の際は海軍に所属となり、生死を彷徨う経験もするのだがその話は後で紹介する事にしたい。


昭和という時代は、私も生まれた時代であるが、初期は第2次世界大戦もあり今の日本とは全く違うと思う。


戦争の始まりが、祖父の人生に大きな困難を与え、もし私が祖父の立場であれば生き残れていないと断言できる程壮絶なものであった。


その中で、祖父は絶望せず生きたのである。

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