第3話 船の中で

数年前から、あちらの大陸に死体だらけの船が漂着したニュースが何度も僕たちの街にも届いていた。あの時はなんてこと、なんて馬鹿げたことをする人がいるのだと思っていたことを思い出す。


人はたやすく悲劇のニュースを他人事として消化する。僕もその一人だった。それに気が付いたとき、僕の目の前に広がる光景すべてが夢のように感じられた。


そうだ、これは僕の人生ではない。僕はただここに一時的に置かれただけ。夢から覚めるまで、人から言われるがままに演じよう。




朝が来て、僕は夢の心地そのまま、船に乗り、恐怖なのか疲労なのか分からないままに崩れる膝に体をあずけ、そこをそのまま座る場所とした。


船に乗る前に渡された救命用ベスト。一体何人の逃亡者を向こう岸に渡したのだろう。まさか死人の腕が袖をとっていたことはないだろうな。


これがもらえるだけ運がいいと話すおじさんをみて、吐きそうになる。ああ、そうか、船酔いなんて何の問題でもなかったんだ。


自分たちがいまどこにいるかなんて船長も分からない。そんなつらい中で、数時間もたてば子どもがお腹がすいたと駄々をこねはじめるのだろう。


かわいそうだけど誰も何もしてやれないし、ついにはそんな子供の声さえも嫌になってくるのだろう。


ここに来るまでに砂漠も通った。海と砂漠の違いは何だろう。砂漠にいるときは、のどが渇いても何もない地獄を味わった。海の上では目の前に無限に広がる水があるのに飲めない地獄。こちらの方が性格が悪いな。


向こう側に大陸が見えるまであとどれほどかかるのだろう。大陸が見えたらここにいるみんなはどういう反応をするだろう。それらはつかの間の安心で、今度は自分の力で歩いていかなければならないと、さらなる絶望感を覚えるだけの気力もないなんて、僕らは運がいいかもしれない。




なけなしのお金で船のブローカーにお金を渡す前、長距離バスの休憩地点で検問間にわいろを渡す前、父親の罵声を背に玄関を出て走り出す前、自分にはもっと意味があった。


それをわかってくれない人にこれから五万と会うことになる。そのたびに悔しくてたまらなくなるだろう。


自分には家族がいたし、友人がいたし、仕事もあった。国籍もあったし、パスポートもあった。


生まれた街の名前を言えば、それがどこにあるかみんなわかってくれた。別にこの生活が不幸せだったからこんなことまでした自分の国を出たわけではない。むしろ自分はすべてを愛していたし、誇りに思っていた。


問題は一つだけ。自分の愛しているものの中に「間違ったもの」があったこと。

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