第3話 見守り係、誕生
そこは、千桜の部屋――ではなかった。
小野ヶ峰家の空き部屋の一つ。ベッドと収納棚が一つずつ。そしてクローゼットがあり、床には絨毯が一枚。来客用の部屋みたいだ。
「ええと……うん」
千桜は何を言えばいいのか、言いあぐねている様子だった。
それは俺もそうだ。
巌さん――千桜のお父さんの話を聞いている限り、どうやら俺が知っている現実と齟齬があるように感じる。
小野ヶ峰千桜。
彼女は学校のヒロイン――とてもではないが俺のような一般学生が近づくことができない高嶺の花となりつつある。
それでもクラスメイト全員に愛想を振りまいているため、確かに一言二言は話すことはあるが――取り立てて彼女と仲良かった記憶はない。
それに、『由宇くん』と呼ばれた記憶もまた、ない。
「えっと……まずは、ごめんなさいっ!」
「なんか謝られるようなこと、されたっけ……?」
「ずっと、ウソ、ついてたから……」
ウソ。
嘘。
口から出る虚ろ。
思い当たる節はある。
「俺と小野ヶ峰さんが仲がいい、ってやつ」
「私と由宇くんが付き合ってるっていうウソ!」
ほぼ同時に発声して――それから。
俺は唖然とした。
「まさかお父さん、外堀から埋めるタイプだとは思わなくて……」
「なにそれ……?」
しっかり巌さんは外堀から埋めるタイプだとは思うが、そこには触れずに。
それ以上に触れなきゃいけないところを突いていく。
「俺と……才女が、付き合ってる?」
「才女って……由宇く――西村君までそんなこと言うの……? わたし、ぜんぜんそんな立派なものじゃないよ……?」
手を伸ばして腰元で組んだ才女こと小野ヶ峰さんはふいと顔をそらすように部屋の角に目を向ける。
普段から小野ヶ峰さんのことを見ているとはいえ……ドがつくほど真正面から見ることはほとんどない。
せいぜい目の端っこに収めるくらいだ。
そのせいで、たまに女子から妙な勘繰りを受けているような気もするが――男子全員がそういう感じだから取り立てて目立ってはいない。
「あ、もちろん学校で言ってるとかじゃないから! お父さんだけ!」
「そういう」
「うん……お父さん、知っての通り心配症でね……。うち、お母さんがいないから……大切に想ってくれるのはありがたいんだけど、ちょっと頭が痛くなるようなことをたまにするから……」
はぁ、とため息を吐いてから、「あっ」と俺が目の前にいることに気が付いてごめん……と謝罪の空気に戻していった。
小野ヶ峰を三か月ほど見てきて思ったのは、彼女はそういう空気を醸成する力が非常に強い。
かわいい女の子が許されがちになる、みたいなものの延長線上にあるそれだ。
小野ヶ峰が一言何かを話すだけで場の空気がガラッと変わる、みたいなことはざらにある。
「気にしてないから大丈夫。むしろこっちこそ――学校の様子を勝手にお父さんに報告しててごめん」
「最近お父さんからの追及がなくなったなと思ったら……そういうことだったんだ」
はは、と小野ヶ峰は笑う。
つられて俺も笑、えはしない。
勝手に自分の話を父親にしていた――そんな張本人が笑っていいわけがない。
「いいよ。これでおあいこってことで――この話はおしまい」
どうして俺と付き合ってるってことにしたの――と。
肝心なことを聞こうとしたところで、小野ヶ峰はぱちんと手を打って会話を打ち切った。
「――で、『見守り係』とかいう変な係だけど……何もしなくていいからね」
「いや、そういうわけにもいかないんだけどさ……」
正直な話――今の俺は小野ヶ峰とほぼ初対面だ。
小野ヶ峰がどう思っているかもわからない。
少なくとも嫌われてはいなさそうだ、と思いたいけれど、それすらも小野ヶ峰のポーズかもしれない。
「頼まれた以上はまぁ……少なくとも学校でなんか困ったことがあったら呼んでくれればひとっとびするけど。学食でパン買ってきて、くらいならいつでも」
「わたし、そんなことする人に見える……?」
苦笑いを浮かべる小野ヶ峰。
また困らせてしまったか……と思ったが、そういうわけではないらしい。
「ってそういえば、さっきも由宇――西村君は私のこと『才女』とか呼んでたけど、もしかして――私のこと、クラスの男子はみんなそう呼んでるの?」
「ん――だいたいそんな感じかな。『才女』『小野ヶ峰さん』『完璧才女様』――だいたいこの三つに分かれる」
「西村君の友達のあの人は? 変な人」
変な人。
たぶん柚木崎のことだろう。
「あいつは『完璧才女様』派だな。ダメだぞああいう変な人と関わっちゃ……」
「西村君も遠藤さんと同じようなことを言う……」
そりゃまぁ、そうだろうとしか言えないが……。
一般人的な感性で言うと、アイツは関わっちゃダメな大人になる可能性が非常に高い。
そういう奴の芽は早めに摘んでおけとは言わないが、少なくとも積極的にお関わりにならないほうがいいのは間違いないだろう。
「ダメですよ! みんなと仲良くしなきゃ!」
「いつか足元掬われて死なないか……?」
こうして実際に話してみると――確かに、小野ヶ峰千桜は庇護欲をそそられる生き物だ。遠藤をはじめとする女子三人が小野ヶ峰を囲っているのはなるほど納得がいく。
「じゃなくて! それって……西村君も私のこと『才女』って呼んでるってこと?」
「いや、俺は……」
そういや、俺は何て呼んでたっけ。
「小野ヶ峰さん、才女、千桜さん――場所によって使い分けてるかな。例えば、巌さんの前では千桜さんだし、クラスでは小野ヶ峰さん、ああ、柚木崎の前じゃ才女様の時もあるな」
「ねぇ……せっかくだから、なんですけど!」
ずい、と小野ヶ峰は前のめりに俺に迫ってくる。
なんだよ、ドキドキしちゃうだろ。
思春期の男にそういうことしちゃダメなんだぞ……!
逸る鼓動を抑えて、俺は近づかれた分一歩後ずさる。
そういう配慮ができるタイプの紳士なんだ、俺は。
「わたし――今まで、男の子のお友達が……いなかったんですけど」
「へえ、海外でも?」
「まぁ……ほかの女の子が私とずっと一緒にいてくれたから……じゃなくて! わたしと……お友達になってくれませんか?」
上目遣いで、小野ヶ峰は俺にまた一歩にじり寄った。
俺もまた一歩後ずさる。
狩猟でもされてんじゃないかと疑いたくなる詰め方だ。
断る理由もなく、俺は投了する。
「いいけど……」
「いいの!? やりました!!」
るんるん、と♪のマークでも背景に出てきそうなくらいに軽くジャンプを決めて小野ヶ峰は小躍りする。
喜んでくれるならそのくらい全然受け入れるけども。
「友達くらい誰でもなってくれるだろ。小野ヶ峰くらいの可愛さがあれば」
「でも……男の人と話すのは、いまだに緊張しちゃって。それに……一番に友達になりたい人に言えて、よかったです」
なんだろう……この心の奥にこみ上げる温かさは。
同時に心臓の近くにあるパトランプが点滅しているのを感じる。
高校一年生――十六歳にもなってこの純朴さは“危険”ですらあると――。
「じゃ、これ――私の友達コードです」
「はいよ」
非常に行儀の悪いことだが、つい小野ヶ峰のスマホを見てしまった。
――スマホの画面を一回タップするだけで画面が明るくなり、QRコードが現れた。
一方の俺は――ラインを開いて、それから友達のリストを開いて……こんな階層めったに使わないからどうやって行くのかすら忘れちまってたよ。
ってか、小野ヶ峰――最初からQRコード準備してたな。
交換して二秒。
『千桜』というアカウントからスタンプが送られてくる。
可愛いうさぎのスタンプだった。
俺も可愛いスタンプを探したが、あいにく柚木崎に送るためのオタク用スタンプしか持ち合わせていなかった。
諦めて俺はテンプレートで用意されているスタンプをダウンロードして送る。
今月はまだ始まったばかり、ギガ制限にも引っかからない。
「これで友達五人目です!」
小野ヶ峰はスマートフォンをぬいぐるみのように抱きしめながらつぶやいた。
スマートフォンは飾りっ気のないアンドロイド。
ただ、小野ヶ峰が持っているというだけで絵になるのは不思議な現象だ。
「五人? 俺より少ないじゃん」
「当たり前ですよ。だって、私こっちに帰ってきたばかりですから」
帰国子女とはいえ、日本に戻ってきてから三か月が経っている。
丹下高校は学校にスマートフォンの持ち込みを禁止していない。
小野ヶ峰は誰かと話さない、というわけではないが……。
「いえ、お父様が……信頼している人以外はそれ(QRコード)を見せてはいけないと仰るので……」
親バカ、ここに極まれりだった。
小野ヶ峰はほら、と俺にスマートフォンを渡してきた。
確かにそこには五人だけしかいなかった。
巌さん、吉田さん、伊藤さん、遠藤さん、そして俺。
全員が俺の知っているコミュニティの中に存在している。
「他の人から言われたときはどうしてるの?」
「ああ、それは吉田さんが受け取ってくれてるみたいです。どうやらこのコードは非常に貴重なものらしくて」
ああ、悪い虫をブロックしてくれてるんだろうなと容易に想像がつく。
いい友達だよ、本当に。
「だから、男子の皆さんも私に話しかけることをどんどん敬遠してしまっているみたいで……あ、グループの方にはたくさんいるんですけどね」
「グループの方?」
「はい。一年C組のグループです。本当はここから西村君を追加しようかと思ったんですが……誰が誰だかわかんなくて」
それ、誘われてないんだけど……。
ただ、そんなことを言うと小野ヶ峰が追加してくれようとしてしまう。
小野ヶ峰のアカウントから俺がクラスのグループラインに追加なんかした日にはありえないぐらいの火柱が立つだろう。
今こうして同じ屋根の下で話していることだって大問題になりかねない。
……ってか大問題だよ。
「あ、画面黒くなっちゃった。返すよ」
しばらく操作していなかったからか、スマートフォンの画面が暗くなってしまった。
人のスマホを勝手に操作するほど俺は野暮じゃない。
「押したら明るくなりますよ?」
俺の言葉の意図が通じてないのか――小野ヶ峰は大まじめな表情でそんなことを言う。
いや……意図が通じてない、わけなくない?
「そんなことも知らないんですか? 由宇くんったら……あ、西村君でしたね」
そう言って小野ヶ峰は俺の指を軽くつまんで画面をとんと押す。
――開いた。
「最近のスマートフォンは画面をタッチするだけで開くんですよ。機械音痴なわたしでも開けられます」
「指紋認証とかは……?」
「ああ、ありましたけど……なんか反応しなくてやめちゃいました。ほら、わたしピアノやってたので。覚えてますか? 幼稚園のころからやってたんですけど……」
そういえば、から始まる昔話が始まったが――俺は唖然とした。
スマホにロックをかけることすら知らない彼女のセキリュティ意識に震える。
この瞬間に気付いた――巌さんが決して親バカで“見守り係”ということを言い出したわけではないことに。
今までは『奇跡的に』『何もなく』『偶然』彼女――小野ヶ峰千桜は高校生活を送ることが出来ていただけだった。
のほほんとしている彼女にはこと“常識”というものが欠落している。
確かに……これは、誰が見ても不安になるだろ。
こうして俺は――正式に、小野ヶ峰千桜の“見守り係”に就任した。
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