第37話 ダンス指導

 水曜日。定休日でバイトが休みの今日、僕は一人電車によってスズの住む町へと足を運んでいた。ちなみに、ユキメはシトラスたちと買い物に行くらしい。


 スズたちが暮らす街まで電車で三十分ほど。決して遠くはないけれど、少なくとも五歳児が定期的に通うには少し距離があった。

 だからサツキがスズと一緒に行くことになって、二人がテルセウスに来る回数は少なくなってしまう。


 ただ、それは決して悪いことではないのだと思う。

 今のスズもサツキも、僕との縁はほとんど切れているといっていい。新しい人生を、僕に煩わせることない人生を送ってくれればいい。

 それが、二人に育ててもらった僕の思いなのだ。

 だから、妖でもないただの人である二人は、人間として人の世界で生きていくべきだと思うのだ。妖になった僕とは、違う世界で生きていくべきだと思うのだ。


 そう告げれば、スズに泣かれて、サツキにも涙目になられてしまった。あの日以来、その思いはずっと胸に秘めたままになっている。


 ただ、間違ったことを言っているつもりはない。

 確かにスズもサツキも、僕のお母さんだった。けれど二人とも、今の僕のお母さんではない。だから、無理にお母さんとしてあろうとしなくていいのだ。二人には、幸せになってほしいから。

 僕はユキメっていう可愛くて格好いい奥さんがいて、もうこんなにも幸せなんだから。


「いらっしゃい、ハクト」

「こんにちは。……サツキ、今日はありがとう」

「別に、スズの頼みだもの」


 ぼそりと告げたサツキの手を引いて現れたスズは、黄色いワンピースにツバの大きな麦わら帽子。まるでどこかのご令嬢みたいにきれいなスズは、きっとモテると思う。ひいき目ではない。

 何より、その母性を感じさせるふるまいと、大人びた空気に、ひかれるものがある。


「それじゃあ行きましょうか!」


 スズは僕とサツキの手を取って、意気揚々と歩きだす。背の低い彼女が歩きやすいように腰をかがめれば、隣で同じように体勢を低くするサツキと目が合う。

 互いに、自然と困った笑みを浮かべる。


 サツキはもちろん、僕だって、相手とどう接すればいいのか、いまだに試行錯誤中なのだ。


 仲直り――今日のもう一つの目的を思い出しながら、僕は空いているこぶしをきゅっと握って居合を入れた。


 夏の公園はすごく暑くて、けれどそんな暑さを気にも留めすにスズは炎天下へと飛び出していく。

 サツキは木陰のベンチに腰を下ろして静観の構え。


「ほら、ハクト!」


 小さな手をぶんぶんと振って呼ぶスズのもとへと走る。子どもだから元気なのか、スズだから元気なのか。

 それとも、僕と一緒だからこんなにも興奮しているのだろうか。だとすれば、少しうれしい。


「それじゃあ教えますよ」


 何やら目元をクイと上げるような動作。それが眼鏡をかけなおすふりだと気づいて、すっかりスズも人間社会に染まっているんだと面白く感じた。

 おほん、と咳払いして、スズは胸を張って指導に入る。


「狐にとっての求愛のダンス。そもそもハクトは踊ったことがあるのかしら?」

「……ないよ。ユキメとは踊ったことがないんだ。実は見たこともない」


 だからこそ今日は経験者のスズに頼りに来たのだ。


「素直でよろしい。それじゃあまずはどんな踊りなのか教えましょうか。まずは、二匹で交互に鳴き交わすのよ」

「……こちらから呼んでも相手が鳴いてくれなければどうすればいいの?」

「その場合は脈なしとして諦めるしかないわ。それか、嫌われる覚悟で気を引くためにそばをぐるぐると回ることね……でも」


 でも?

 何やらすっと感情を消したスズが、指をぴしりと僕の顔に突き付けて言う。


「あんまりうっとうしいと、かぷっとやっちゃうわ」

「かぷっと」

「そう、ガブリと」

「ガブリ……痛そうだね」


 ぐわー、と口を開き、ついでに顔の両横で威嚇するみたいに爪を見せるスズは可愛いのに、言っていることは少しも可愛くない。


「ま、まあ。僕とユキメの場合は大丈夫だね。……ユキメは、踊りのことを知っていると思う?」


 キスの前科がある以上聞かねばならないことだったが、その辺りは問題ないだろうとスズハうなずく。


「女の子にはしっかりと踊りについて教えるものよ。あなたのお姉ちゃんや妹たちも、早くに踊りをせがむものだから指導していたのよ。本当なら、貴方たちにも巣立つ前に教える予定だったのだけれどね……」


 それじゃあ、生き別れた兄弟たちは、ひょっとしたら異性相手に全戦全敗を記憶していたんじゃないだろうか。そう考えると僕はよくやったと思う。まあ、僕の場合は同じ妖狐だっていう同族意識があったからまた少し特別なのだけれど。

 まあなんにしても、今はもう生きていないだろう兄弟たちが無事に子孫を残すことができたと祈るばかりだ。

 あ、少なくともお姉ちゃんは無事に夫を捕まえることに成功している。だって、そうしてつながれた命の先に、ユキメがいるのだから。


あれ、そうなるとユキメは僕の孫姪……ドツボにはまりそうだからこれ以上考えるのはやめよう。僕はロリコンじゃない。大人なユキメを好きになったのだ。


「……さて、鳴き交わしの次には、旧ターンを含んだ追いかけっこをするの。ここで相手の子をじらすのよ。楽しませることが大事なの。だからたまにはつかまってあげなきゃだめよ?」

「なるほど。一緒にいたら楽しいと思ってもらうようにするんだね」


 それは大事だ。恋愛には必ず倦怠期があるというし、そういう時に一緒にいて楽しいだとか気楽だと思ってもらえるというのは、相手と一緒に居続けるうえで欠かせないのだろう。

 僕たちだって、今はラブラブだけれど、今度どうなるかわからない。ユキメはきれいで可愛くて格好良くて、実際に依然九尾という妖狐の神に惚れられていたから。

 僕のもとにユキメが居てくれるように、僕は彼女を楽しませないといけない。


「最後に、お互いに向かい合って、二足歩行で立ち上がって踊るの」

「なるほど、立って、手を組んで踊るんだね」

「ええ。これが狐の求愛の踊りなのよ」

「……求愛」


 そう、僕は求愛をするんだ。そうしていい雰囲気になって、キスをする。


「僕は、ユキメが惚れ直すようなダンスを踊って見せる!」

「そう。それでいいわ。じゃあさっそく練習ね」


 そう言って、スズはとてとて歩いていき、大体三メートルくらい距離をとる。ツーンとそっぽを向いているのは、気が乗らないユキメを演じているのだろう。

 一度目を閉じて気持ちを引き締める。僕はユキメに求愛する。恋のダンスを踊る。

 スズの説明を思い出し、咀嚼し、どうすればユキメが楽しめるかを考える。


 カッと目を見開けば厳しい陽光が目に刺さる。眩む視界の先、ぼやけたその白い影がユキメに見える。


「……よし!」


 そうして、僕は息を吸ってキャゥーンと鳴いた。

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