第35話 うまくいかない、恋というもの
「シトラスって、マスターと仲がいいよね」
「ん。シュウはいい。渋い」
「そうね。渋いわね」
すでに枯れているように思えるマスターと果たして恋愛など整理するかは不思議だし、第一、シトラスとマスターとでは親子どころか孫と祖父にしか見えないと思う。そこはかとなく犯罪臭がするけれど、人間ではない私たちにとってはどうでもいいこと。
まあ、そんな凹凸コンビを見るのは面白そうだとは思う。
「で、アタックは順調なの?」
「ううん。躱され続けてる」
「やっぱり枯れてるんじゃないかしら……そもそも、シトラスは彼とどうなりたいのよ?」
「……縁側で一緒に日向ぼっこする関係」
似合いすぎて思わず吹き出しそうになった。
冗談を言っている様子はなかったから何とか耐えたが、だからこそきょとんと首をひねっているユキメが少しうらやましかった。
あんたも笑いをこらえて苦しい思いをすればいいのに。この恋愛成功者め。
「日向ぼっこって気持ちいいよね。私も旅をしている間、よくハクトとお団子になったわ」
「お団子」
「こう、隣に並んで丸くなるの。太陽の光で毛が温まって気持ちがいいの。それに、彼のホカホカな毛に鼻先をうずめるのも好きよ。彼のにおいでいっぱいなの」
「……そう。それは何よりね」
毛をもたない私としてはそのあたりはよくわからない。ただまあ、日光浴の気持ちよさはわかる。血のめぐりがよくなるような、あの感じは好きだし、枝上で光を浴びながらひと眠りするのは心地がいい。
もうずいぶんとそんなことはしていないけれど。
この都会は蛇の姿になるのは窮屈すぎるし、私が蛇姿で外で日光浴などしていたら大騒ぎになりかねない。
客寄せパンダになるのはまだしも、騒ぎで人目を集める趣味はない。
「……マスター以外はどうなのよ」
再びユキメのハクト自慢が始まりそうだったから、シトラスへと話を振って回避を試みる。
幸い、ユキメもその話題は気になるようで、眼をきらめかせて身を乗り出す。
「んー、みんな、それなりに格好良かった、かも?」
「もしかして、過去の男のこと?」
「ん。猫の雄。子どももたくさん」
「子ども……」
せいぜい中学生にしか見えない姿で子どもを誇るのは目にも耳にも毒だった。
そして何より、頬を真っ赤に染めてつぶやくユキメのほうがよほど精神的に子どもだった。
「あら、そういう予定があるの?」
「あのね。今朝、ハクトに話したの。子どもがほしいって。そしたら、ハクトが抱きしめてくれて――ああでも、なんだか少し残念そうな顔をしていたかも?」
顔を見合わせ、シトラスと言葉を交わす。
「独占欲ね」
「そう。ハクトは、ユキメを独り占めしたいはず」
「私はこんなにもハクトのことが好きなのに?」
理解できないと首をかしげるユキメはやっぱり子どもで、けれどそんな姿だからこそ、美人なのに嫉妬する気が起きない。
別に、ハクトっていう優良物件を捕まえて、波乱もなく愛を紡いでいるのが憎いなんてこともない、はず。
ああ、まあ波乱はあったと言ってもいいのだろうか。私はあまり興味がなかったからかかわっていないけれど。
もし嫉妬でまた禍津神になってしまったら、今度こそ駄目だろう。それはユキメが悲しむから嫌だ。
……私は、ひょっとすると思った以上にユキメのことを、ついでにこの場所のことを、気に入っているのかもしれない。
だから、ヤタに裏切られても、この場所を捨てるということだけは考えなかったのだろうか。
「子どもが生まれたら母親はそっちにかかりきりになる」
「……そうね。きっと嫉妬で狂うでしょうね」
「もう、あんなことは嫌よ。一人締め出されて、ハクトに会うこともできない……そんなのは嫌なの」
知っている。
あの日の無力感をかみしめ、今も時間があるときにはこっそり妖術を鍛えていることも。でも、そんなことをしているくらいだったハクトとの絆を深めるべきだと思うのだけれど。
まあ、神の妻として生きていこうというのだから、ある程度の力は必要なのかもしれない。
こんなにもユキメに愛されていることを、ハクトは知っているのだろうか。
「でも、残念そうだったのは、私を独り占めしたいからじゃないと思う。だってあの時、ハクトはヤキモチについて教えてくれたばかりだったもの」
「……教えている側がヤキモチに気づいていないのは面白い」
ユキメの言葉に現実へと引き戻される。
淡々と話すシトラスの声音からは、本当に面白いと思っているかわからない。
とにかく状況がわからないとこれ以上の考察はできない。そう告げれば、ユキメはうんうんとうなりながら今朝のことを思い出していく。私が身だしなみの確認のために洗面所に戻るまでの一部始終は、ただ聞いているだけで砂糖を吐きそうになるほど甘ったるいものだった。
そして、ハクトの残念そうな顔をしていた理由も。
「……キス」
「キス?」
「接吻よ。彼はそれをしようとして、けれど抱き着かれて困ったのでしょうね」
キスがわからないと首をかしげるユキメに、唇同士を合わせるのだと教えてあげるけれど理解ができないらしい。
確かに、まったく触れてこなかった文化について、これが愛情表現ですと言われても呑み込めないものかと思う。
「まあ実際に経験するのが一番――」
――なのよ、と、続く言葉はけれど口を塞がれて声に出すことは叶わなかった。
見開く瞳に、大きくユキメの顔が映っていた。
衝撃に凍り付く私を置き去りに、ユキメは唇を話し、すぐさま今度はシトラスと口づけを交わす。
「……何を、しているのよ」
「だって、私は二人のことが大好きだから」
親愛の証なんでしょ?と小首をかしげて告げるユキメに、心臓を貫かれた気持ちになった。
ああ、なるほど、これは惚れる。男だったら、間違いなくほれ込む。
少しだけハクトに同情した。これでは嫉妬もするし独占したくなるかもしれない。
私は女だから、ハクトからユキメを奪ったりはしないけれど。
唇に手を当ててじっと見ていたシトラスがちらと私を見る。
嫌な予感を感じた。
「接吻ならお断りよ」
「間接キス……ポッ」
わざとらしく頬を赤く染める擬態語を声に出すシトラスは、すぐに猫へと転じてバスケットに入れられた毛布の海へと飛び込む。
ユキメもまた、おやすみなさいの声を残してベッドへと引き上げる。
少し早くなった鼓動を感じながら、私は茫然と床に取り残された。
結局、どうしてこんな話を始めたのだったか、思い出せなくなっていた。
翌日。
寝ぼけ眼をこするハクトの姿を見つけて、何となくいたずら心が芽生えた。
「ユキメの初めての接吻は私がもらったわ」
「な、ぇ、あ……」
空気を求める鯉のように口をパクパクとさせるハクトを置き去りにして、私は少し軽くなった足取りで廊下を進み、ダイニングに入って。
数秒後、ハクトの悲鳴が店中に響き渡った。
「女の子同士はノーカンのはず。ノーカン、ノーカン……」
食事の席でぶつぶつとつぶやくハクトを見て少しだけ罪悪感を抱いたけれど、すぐにユキメの胸に頭を抱かれて頬を緩ませる姿を見れば、罪悪感を抱いたことを後悔した。
爆ぜればいい――ミネルバと目を見合わせて、私たちは強く頷いた。
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