第14話 妖のお客さん

 アニマル喫茶テルセウス。

 そこは妖たちによって運営される喫茶店であり、動物の姿で客に癒しを与える店であり――


「きゃああああ⁉」


 甲高い悲鳴が、その店内に木霊する。

 それに驚き毛が逆立ったけれど、僕ももう慣れたもので、再び床に座りなおした。

 視線の先にいるのは、恐怖に顔をひきつらせた女子生徒。その視線の先にいるのは、言われるまでもなく大蛇――すなわちエメリーだった。


 僕だって、最初は少しだけビックリした。生まれてこの方あんなサイズの蛇は見たことがなかったから。けれど最初に会った時、僕はマスターの正体やら喋るミミズクやらで頭がいっぱいでそれどこではなく、そして人間に化けることのできる「森の賢王」という妖であると知ってからは、僕にとってエメリーはただのバイト仲間になった。

 そんな大蛇のエメリーさんが、アニマル喫茶テルセウスにはいるのだ。

 小動物との戯れという癒しを求めてふらりと足を踏み入れた新客がエメリーに驚いて悲鳴を上げるのは、もはや喫茶店の風物詩だった。

 現に今この喫茶店で紅茶を楽しんでいたご婦人たちは、彼女の悲鳴を聞いてあらまあ懐かしいわね、とほんわかと笑っていた。彼女の悲鳴は、会話のネタの一つとして消費されるだけだった――が、当然悲鳴を上げた女性はそれどころではなかった。


 恐怖に体が震え、足がもつれ、地面にしりもちをつく。そんな彼女を、エメリーはその金色の瞳でじっと見下ろし、しゅるる、と口から舌を出し入れして見せる。


 ああ、エメリーが楽しんでいる。彼女はいわゆるSなのだ。自分の姿を見て人間が恐怖に顔をゆがませ、震えて縮こまるのが楽しくて仕方ないらしい。だから、そんな姿を見せてしまってはますますエメリーが追加攻撃を繰り出してしまうのだ。


 僕は慣れた動きで体を起こし、震える彼女の癒しになるべく一歩を踏み出す。新入りの僕に押し付けられた役割の一つに、エメリーに怯える者の介抱があるのだ。


 そうして僕が自分の体で怯える女性の視界からエメリーの姿を排除しようとした、その時。


 バァンと勢いよくお店の扉が開いて、そこから金髪をひるがえした美女が飛び込んできた。


「エ、メ、リー!」


 スタッカートでエメリーの名前を呼んだ彼女は、そのまま勢いよくエメリーに飛びついた。ビクン、とエメリーの体が硬直している。

 僕は珍しいものを見たことで、つい足を止めてしまった。あのドSなエメリーが、震えていた。そう、エメリーは自分に飛びついた彼女に、恐怖していたのだ。

 尻尾を体の方へ引き寄せ、まるでお団子みたいに丸まった彼女は、一切首を動かさず、視線だけで僕に助けを求める。

 こんな時だけ都合のいい彼女に、僕はこう視線で答えてあげた。


 無理です、と。


 まあ実際、この場で人間に化けるわけにもいかない僕としては、エメリーに抱き着く彼女を引っぺがすことはできないのだ。せいぜい鳴くことで彼女の注意をボクの方へと向けるくらい。けれど、森の中で培ってきた感覚が、僕に叫んでいた。

 アレは、捕食者側の人間だと。アレに話しかけてはいけない、アレの邪魔をしては行けない。


 僕はそんな直感に従って、エメリーと彼女に抱き着くグラマラスな美女をぽかんと見つめている女性の介抱に移るのだった。


「ミラ、久しぶり」


 水を運んできたウェイトレス姿のシトラスに、ミラと呼ばれたその金髪美女は、やぁ、と片手をあげてシトラスに挨拶を返した。

 今日は土曜日。書き入れ時であるこの時間には、大抵シトラスが人化してウェイトレスの仕事をしている。今日は珍しくお客が少ない方だけれど、普段はひどい時には二十人近くのお客がいたりする。

 その中の半分ほどがエメリーを見るために来ているというのだから、元人間である僕をしても人というのは良く分からない。きっと、彼女たちは物珍しさと怖いもの見たさでここへ足を運んでいるのだ。

 まあ、そのおかげでここのバイトの給料はかなりいい上に、そういった人たちは僕に突撃することもないため楽でありがたい。


「いやぁ、ほんと暑いったらないよな!全く、この湿気がないだけでもだいぶ生活しやすいんだけれどなあ」


 ぱたぱたと胸元の衣服で仰ぐ彼女の艶やかな姿を見て、僕は慌てて視線をそらした。脳裏に映ったユキメが、凄みのある笑みを浮かべてこちらを見ていた。

 べ、べつに、ミラの大きなふくらみに目がいったわけじゃないんだよ。そう、あまりにもエメリーやシトラスと仲がよさそうだから不思議に思っていただけで。


 そんな弁明を心の中でしていたら、そのミラの視線が僕の方へ向いた気がした。

 捕食者が、僕を見ていた。

 逃げなければ、と思った。

 けれど今は、エメリーに怯える女性を介抱中だ。

 僕はギギギ、と擬音がつきそうな動きで、彼女の方へと振り向いた。


「新入りか?」


「キュウゥ」(はい)


 実になさけない、恐怖の混じった声が出てしまった。僕自身も震えていることが分かるほどだ。きらりと、視界の奥に映るエメリーの目が光った気がした。きっとこの後、僕がミラに怯えていたことをからかうのだ。僕にはわかる。

 ミラは僕の顔をつぶさに観察して何を思ったのか、いい面構えだ、と僕の頭をポンポンとやって、再びエメリーの鱗を撫で始めた。

 エメリーはまた、体を硬直させて、黙ってそれを受け入れていた。

 今日の僕には、恐怖で凍り付くエメリーという反撃材料がある。戦いの準備はできていた。


 僕は今日、きっとエメリーとの舌戦で勝利をあげるだろう。





「それじゃあ、改めて。初めましてだ、新入り!」


「おうおう、俺に挨拶もなしに新入りと話すとは、やってくれるじゃねぇか」


 バックヤード。そこはバイトという名目の妖たちの住処でありプライベート。そこに自然と参加していたミラが、よっ、と僕に対して手を挙げてそう告げた。


 そして僕は、彼女の前でいきなり人化したシトラスとエメリーを見てぎょっと目を見開き、そしてミネルバが何事もなく話し始めたところで大体のところを察した。


「相変わらず君は喧嘩腰だな!そんなんだからいつまでたっても人化できないんだぞ?もっとこう、おおらかに行くべきだ!ほら、人類は友!さあ繰り返せ!」


「……いや、ちょっとそのテンションはついていけねぇな。というか、俺はそんな喧嘩腰じゃねぇ」


「嫌だわぁ、これだから自覚のない男は、ねぇ」


 そこで僕に視線を送るあたりに、エメリーの性格の悪さがにじみ出ているというものだ。


「ふむ、これはなかなか……美少年というほどではないが、薄幸の少年というか、こう、構い斃したくなる雰囲気をしているね」


「斃さないでください……」


 ぎらりとその目に闘気を宿して僕のことを見つめるミラは、やはり捕食者だった。言葉にも、僕を狩ってやろうという気がにじみ出ているようだった。


「ふむ、妖狐か。あたしは『白虎』のミラだ。よろしくな、後輩!」


「ええと、妖狐のハクトです。それで、白虎、ですか」


「ん、ミラは真っ白な虎。サイズ変化可……可愛い」


 可愛い、と言いながらもシトラスの表情に変化はない。僕はシトラスが顔色を変えたところすら、今まで見たことがなかった。無口でクール。その服装も相まって、僕はやっぱりシトラスは猫又じゃなくて日本人形の妖なんじゃないかと思うんだよね。


「おいおい、ミラさんよぉ。こいつは俺の後輩だ。出て行ったあんたの後輩じゃねぇんだよ」


「あん?後輩の後輩はあたしの後輩だろ」


「違う。私の後輩」


「違うんだなぁ。これは私のおもちゃだ」


「俺のパシリだ」


 三者三様に自分の後輩だと告げるバイト仲間たちに、僕は冷ややかな視線を送るばかりだった。特にエメリーとミネルバ、二人の言うことは絶対に可笑しい。それと、シトラスの言葉に少し恐怖を感じるのは、僕がおかしいからだろうか。


「ほーん、この短期間でずいぶん可愛がられてるんだな!ま、エメリーはあたしのだからな!エメリーに手を出さないなら文句はないさ」


 にい、と鋭い犬歯を見せた強者の微笑みに、僕はただ何度もうなずくばかりだった。


「だから、私はミラのものじゃないのよ!」


 エメリーの悲痛な叫び声は、うん、聞こえなかった。

 だからまあ、その捕食者と一緒に仲良くしていればいいんだよ。ミラにたじたじになっているエメリーを見るのは面白いし、これを機に少し普段の行いを反省すればいいんだ。

 僕は手をわきわきさせてエメリーに近づくミラに、以前見たエメリーの姿を重ねながら、共用スペースから退出するのだった。

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