第15話 妖の時間

 逢魔が時。それは昼と夜の境目であり、あるいは人間と怪物の時間を分ける区切りでもある。

 ビルの間から覗く夕暮れ色の空を見ながら、僕は店の扉の看板をClose側が見えるようにひっくり返して、店の中へと戻った。


 カーテンが引かれ、外と隔絶されたそこは、木の香り高い素朴な喫茶店。

 だが、今からの時間は、人間たちのためのものではない。


 変化の術で人間に化けた僕は、店内の清掃をささっと終わらせ、そして。

 チリン、という鈴の音を耳にしてそちらの方へと振り向いた。


「いらっしゃいませ」


 今日初めての客は、なんというか、白い毛玉、みたいな存在だった。いや、ふわふわと浮いている巨大な白い球体だから、毛玉というよりは綿毛という言葉が近いかもしれない。


 扉をわずかに開いて中に入って来たその客は、ふわりふわりと慣れた動きで店内を移動し、そしてカウンターテーブルの上に乗った。


「ご注文はお決まりでしょうか?」


 ちりん、と呼び鈴が鳴らされた音がしたので向かったわけだが、残念ながら僕は言葉を話さない別種の妖の言語を理解することはできない。

 その白い球体は、ふわふわと一瞬浮かび、それから再びテーブルに着地して、左右にころころと転がり始めた。ああ、これは催促の合図か、不機嫌の身振りだろう。

 僕は詫びをいれて、慌ててミネルバさんを呼びに店の裏側へと向かった。


 アニマル喫茶テルセウスは、動物のふりをした妖たちが人間に癒しを与える喫茶店である。そして、妖が店員をしているのだから、当然妖もまたこの喫茶店に来客する。

 けれど、ミラのように人化できる一部の妖を除き、大半の妖は人目につくのを避けなければならない。


 今からの時間は、そんな妖たちが一服するための時間なのだ。

 最も、完全予約制であり、しかもその予約が入ることも稀なのだそうだが。





 今日の来客は、「渡り綿毛」という妖らしい。その名の通り、空へと飛んだタンポポか何かの綿毛が、けれど地に落ちることなく飛び続けた結果、妖気を浴びて妖となったのだとか。彼らは空を飛び、各地の情報を聞き、それを伝える情報屋として妖たちの社会になじんでいるのだとか。


 そんな渡り綿毛とミネルバの会話を聞きながら、僕は今後のことを考えていた。

 喫茶テルセウスでバイトを始めてから早半月長いようで短いこの濃い日々を、果たしていつまで続けるべきか。最初に向かう先ははっきりしている。だが、もしハクトとして生まれ育ち、そして死んだあの街に、あの家に、お母さんがいなかったとしたら。僕の旅はそこで手詰まりなのだ。

 つまりは、情報が必要だった。

 そして、その情報を知る伝手が、目の前にいた。


 僕は考える。

 来店した渡り綿毛は、喫茶店でのひと時を楽しむために来ているのだ。そんなところで仕事を話題に出して水を差すのは果たしていかがなものか。

 僕は悩み、そして近くでふたりの――とはいえ聞こえるのはミネルバの言葉だけだが――会話を聞き続けた。


 やがて、ミネルバは僕に砂糖水を出させ、それから一時間ほど会話を交わして今日の営業は終わった。


「……なぁ、なんでお前は俺を呼びに来たんだ?妖狐は何にでも化けられて、その化けた相手の言葉を話せるだろ?だったらその力で注文を聞きゃあ良かったんじゃねぇのか?」


 やれやれといった様子のミネルバに、僕は首を傾げ、それからああと納得して手を打った。


「僕は人間以外には化けられないよ?」


「は?だってお前、妖狐だろ?人間以外に化けられない妖狐とか、笑いものだぜ?」


 ふん、とミネルバが鼻を鳴らす。実際に音がしたわけではなく、いちいち言葉に出すあたりが腹立たしい。


「そうなの?僕が聞いた話だと、妖狐ってのは妖術を使える狐だって話だった気がするけど」


「だから、変化の術が人化どまりだってのは、妖術が満足に使えてねぇってことだろ?」


「ああ、僕は他にも妖術が使えるんだよ。まあ、通常以上の力を発揮する、っていう程度の術だけどね。それが使えるんだから妖狐と名乗っておけ、って言われているよ」


「ふーん、肉体強化あたりか。狐の中では珍しいな。そのあたりは元人間の妖が使うイメージが強いんだがな」


「……元人間の妖なんているの?どんなの?」


「どんなって……ミイラにゾンビ、この国だと人間の魂が宿った鎧だとか、落ち武者だとか、皮剥ぎ、カオナシ……」


「思ったより多いね?」


「まあ人間は長く生きる上に色々考える生き物だからな。特に積年の恨みの感情なんかは妖気を引き寄せやすいから、しょっちゅうその手のが生まれるんだよ。お前も、包丁持った美女とかを見たら逃げろよ?あいつら、人間の男を見ると襲い掛かって来るからな?」


「何それ、怖いね」


「ああ、怖いんだよ。なんでも恋人に裏切られて全てが上手くいかなくなった果てに恋人に復讐に向かう途中で痴話げんかに巻き込まれて車道に突き飛ばされて死んだ女の幽霊だそうだ」


「……なんて?」


「まあ、嫉妬とか憎悪で凝り固まった妖ってことだ。その手の周囲に害をもたらす奴らは、妖怪って呼ばれて排除されるけどな」


「ふーん、妖怪ねぇ……」


 そういえば、前にミネルバが僕の「妖怪」という言葉を「妖」に変えるように言っていたな。確か最初に会った時だっけ。


「お前も妖怪として退治されたくなけりゃあ、短慮な行動はするなよ?」


「言われるまでもないよ。というか、する理由がないよ」


 知恵の獣は、見透かすように僕のことを見つめ、はん、と笑って飛び去って行った。





 アニマル喫茶テルセウスに訪れる妖は少ない、という表現をした覚えがあるが、それが間違いだったことを、僕は今痛感していた。


 僕の視界の先でどんちゃん騒ぎをしている集団は、その手に握ったジョッキになみなみと注がれた金色の液体を呷っている。

 ここは喫茶店だったはずだが、今の店内を見る限りただの酒場だ。

 まあ、彼らが飲んでいるのは蜂蜜なのだが。

 一度だけ僕も食べたことがあるが、あの甘いのをあろうことかビールジョッキに注いで原液そのまま飲むなんて、正直化け物だと思った。


 そんな今日の来客は、藁人形である。


 あえて二度言おう。藁人形なのだ!


 藁人形と言えば丑の刻参り。確か誰にも見られないように呪いの藁人形を木の幹に釘で打ち付けることで、その占いが叶うとか、何とか。

 そんな、明らかに呪いの人形です、といった外見の、釘やらお札やらを身に着けた大きな藁人形たちが、ジョッキをぶつけて騒いでいる。


「……マスター、彼らは?」


 今日は夜間の時間に店に出ていたマスターに尋ねれば、彼は当然のように「藁人形ですよ」と告げた。渋いロマンスグレーのマスターは、今日もきまっていた。


「藁人形……」


 思い出すのは、つい先日ミネルバから聞いた、積年の恨みは妖気を引き寄せる、という話だ。恨み辛みのこもった藁人形など、実に妖気を引っ張りやすいだろう。

 それを証明するように、室内には三十体ほどの藁人形がたむろしていた。

 一体どこから、どのようにしてこの店まで来たのだろうか。これだけの集団が人に見つからずに来るなど難しいだろうに。


「藁一本になって風に運ばれてきたのでしょうね」


「藁一本になって?」


「ええ、彼らのほとんどは人化できませんが、けれど体を構成する藁の数を増やしたり減らしたりできますから。ですから、己の体を藁一本にして、ここまで漂ってきたのだと思いますよ。別々で飛べば、眼にしてもゴミが飛んでいる程度の認識でしょうね」


「え、じゃああの釘とかお札とかは……」


「さて、ファッションとしてわざわざ店の前に取り寄せでもしていたのか、あるいは彼ら自身も呪われているために人形の姿に戻ると出現するのか……どちらでしょうね?」


 マスターの笑顔がどうしてか怖く見えて、僕は逃げるようにオーダーを叫ぶ藁人形へと走り寄った。


 ちなみに、既にビールジョッキで蜂蜜を飲んで騒いでいるあたりから察したかもしれないが、彼らはかなり人間のおじさんくさい、けれどとても話の分かるいい妖たちだった。

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