第9話 特訓ダイジェスト2 朱雀の妖術トレーニング
「それで……何だったの?」
ふわああと盛大なあくびをする朱雀。その衣服は大いに乱れ、わずかに赤みがかった方までの黒髪はぼさぼさで、その息には酒気が帯びていた。
そんな彼女はしぱしぱと目を瞬かせて、僕の顔を見て首を傾げ。
「ああ、そうだった!」
ポンと、その片手を打って、それからおもむろに森の中を歩き始めた。
「……?何をしておる。さっさとついてこんか」
歩き始めた朱雀は続く足跡がないことに気づいて、僕と彼女の方を振り向き、やや棘のある声音でつぶやいた。
たったそれだけで、僕と彼女は他に選択肢を思い浮かべることさえできず、ただ唯々諾々と朱雀の言葉に従って山道を歩き始めた。
格が、違った。
それは、纏う威厳ある雰囲気であり、生きた年数としての貫禄であり、存在としての圧倒的な力。
文字通り全てが見上げることもできない高みにいる神は、そうして僕と彼女を連れて森の中の開けた場所へと足を運んだ。
朱雀が道中で懐かしそうに語るには、この場所はかつて朱雀と矢代師匠がやんちゃをしていた頃に破壊した場所なのだという。
破壊、というだけあってそこには木どころか草の一本も生えない荒野が広がっていた。
まるでミステリーサークルのようだと、僕は木々を抜けた先で肌を晒した円形の大地を見て思った。
「さて、八代の奴からは妖術を見てやってくれと言われているわけだが……そもそもどんな適性を持っているんだったか?」
小首をかしげた朱雀が宙を見上げて一瞬考え、それからすぐに本人に聞けばいいと気づいて僕たちのほうを見た。
「ええと、僕が肉体強化で――」
「私が幻惑ね」
「ほーん、肉体強化に幻惑なぁ。ずいぶんと性質が違う妖術だ。こりゃあ八代の奴が匙を投げるのも仕方がないか」
変化の術以外を使えない八代にとって、僕たちに術を教えるのは困難を極めただろう。僕の肉体強化は自身に作用するという点で変化の術と同じであるためまだ教えやすかっただろうが、彼女の幻惑の術に至っては、彼にはどのように発現されるものかさっぱりだったのだろう。
だからこその助っ人が朱雀であったのだと、僕はようやく理解した。
まあ、理解したからと言って朱雀の昨日の愚行がなかったことになるわけではないのだけれど。
「それじゃあさっそくやるか。お前ら、妖気の感知はできているんだよな?」
妖術の力の源であるエネルギー、妖気。それを感知するために大変な訓練を重ねてきた僕たちは、少し誇らしげにうなずいた。――最も、大変な訓練をしたのは僕だけで、彼女はわずか数時間の訓練によって妖術を感知できるようになったわけで、誇らしげだったかどうかは定かじゃないのだけれど。
まあ、それはともかく。
朱雀は僕たちの返事を受けて満足そうにうなずき、それから確認の意味も込めて、己の体に莫大な妖気を集め始めた。
それは、恐るべき力の圧だった。瀑布のごとく広がる妖気のプレッシャーが僕たちを襲い、僕は冷や汗が止まらなかった。彼女もまた、体を恐怖に硬直させて、じっと朱雀のことを見ていた。
やがて、彼女はにやりと笑い、同時にその輪郭がゆがんだ。
世界が、赤に染まった。
視界いっぱいに広がる赤。それは、見上げるほどに巨大化した朱雀の体だった。
真っ赤な羽毛をまとった巨鳥。燃え上がるような体がふわふわと宙を漂う様は、巨大な炎が揺れるようで。その黄金の瞳でじっとこちらを見つめている朱雀は、まさしく神という存在だった。
『聞こえておるか?これがわしが得意とする妖術の一つ、念話だな』
朱雀は口を開いていない。それなのに僕たちの脳に直接朱雀の声が響いた。
びくん、と彼女が僕の隣で肩をはねさせる。どうにも朱雀に苦手意識が生じているらしく、ぴんと立てた尻尾の毛を逆立てて唸り声をあげている姿が幻視できた。
それから、彼女は様々な妖術を僕たちの前で披露して見せた。
口から火を噴く妖術、周囲の大気を操る妖術、体を火に変える高等な変化の術、人の姿で翼だけ意図的に生やした部分的な人化、読心術、土を操る術、幻を見せる術、大地に生命を吹き込む術。
繰り出される無数の妖術を見るたびに、僕の心には畏敬の念が積みあがっていった。
朱雀は、神だった。
神たる彼女のその力は、ただの一妖狐に過ぎない僕たちには遠く離れた存在で。
けれどいつか朱雀と肩を並べられたら――そんなことを思った。
呵々と笑った彼女は、再び人間の姿に戻り、その時には八代に似た、いじりたがりの老人然とした雰囲気をまとっていた。
「……それじゃあ実際にやってみな。今見せたイメージがあれば、そんなに時間はかからずに術を行使できるようになるだろうさ」
そんなことを告げる朱雀の声は、けれどすぐにしりすぼみになり。
吸い寄せられる視線の際には、不思議そうに手の平の中に雪を持っている彼女の姿があった。
「ふむ。流石にこのわしが手ずから術を見せて教えただけあって恐るべき成長だな。冷気があり、体の熱で溶ける……まさしく雪を再現したわけか。ふむ、いいぞ、実によくできておる」
少し硬い笑顔を浮かべた彼女は、その手の中の雪を僕に突きだしてくる。僕は目を白黒させて、それから彼女に倣って両手を前に突き出した。
「はい、あげる」
ひんやりとした雪が、彼女の手から僕の手へと移される。
いつだったか、雪を見て目を輝かせていた僕のことを見て楽しそうに輝いていたその目が、まっすぐ僕を向いていた。
僕はひどく恥ずかしくなって、けれど彼女からもらった雪を捨てることもできず、じっとそのまま立ち尽くした。
ゆっくりと雪は解け、水になって僕の手のひらから零れ落ちていく。それは手のひらの下の地面を濡らし、けれど次の瞬間。
ふっ、と彼女が息を吐くとともに、冷えた僕の手は暖かさを取り戻し、手を濡らす水滴も地面に降った雪解け水も、すべてきれいに消え去っていた。
まるで狐につままれたような顔で、僕は茫然と手のひらの中を見続けていて。
クスクスと笑う彼女の顔を見て、僕は恥ずかしさで耳まで真っ赤にして、彼女から顔を背けた。
その時視界に移ったにやにやと笑みを浮かべた朱雀は、八代師匠と本当にそっくりだった。
早くも幻惑の術を巧みに使いこなし始めた彼女と違って、僕の成長は亀の歩みのごときものだった。
肉体強化の術における強化倍率と持続時間がわずかに長くなり、術の発動までの時間に改善が見られた程度。
肉体強化の術にあまり応用力がないというのもあるが、彼女の幻惑とは違って僕の術はひどく地味で、成長も遅かった。
「むぅ……分らんな。このわしが教えてなお成長せんとは」
「いや、お前はただ術の未訪を見せただけだろうに。それでよく教えたなどと言えるな?……まあ成長はしているさ、わずかではあってもな」
「ふぅむ、わしは自然と術を行使できたからなぁ。どこで詰まっているのかがさっぱりわからん」
「俺も肉体強化なんて使えないからなぁ。妖術で肉体を活性化する、っていうイメージでいいのか?それとも、妖術で力そのものを作り出すような感じか?」
「いや、そもそも本当に肉体強化の適性があるのか?なんというか、瀑布のごとき流れを無理に肉体強化という水路に流し込んでいるような、そんな不自然さがあるぞ?」
やいのやいのと、僕のそばで額を突き合わせてからかい交じりに意見を交わしあう朱雀と八代師匠。僕はその声に集中力をそがれながら、妖気へと意識を向ける。
イメージ、といってもいまだに僕の中では肉体強化がどういった感じで発動するのか、感覚的にしかつかめていなかった。
師匠の言うイメージでやっても発動せず、僕はただ体を力ませることで無理に肉体を強化するような、そんな形で妖術を発動していた。
「……ふむ、そもそもこやつに訓練という形が適していない可能性はないのか?」
「あー、野山を駆け回って実地で覚える野生児ってことか。そういえば、教わっていないのに不十分とはいえ肉体強化をしていたな」
「む?変化の術より先にか?それはわしと同じ天才肌か。だとすると、頭を訓練で頭をいっぱいにしていてはうまくいかんかもしれんな」
ふむ、と朱雀と八代はこちらを見て、そして朱雀はぽつりとつぶやく。
「……遊ぶか?」
「遊ぶ……肉体強化と、できれば幻惑も……ということはかくれんぼか?」
「お前のその渋い声でかくれんぼという単語が聞こえるのは、なんというか、すごい面白いな?」
「やかましいわ。俺だって別に若い男の姿になれるんだよ。お前がふるまいに若さがなくて違和感がひどいっていうから老人の姿をとってるんだろうが」
「はいはい。ようお似合いで―。……で、かくれ鬼あたりでどうだ?」
「いいんじゃないか」
よし、とうなずいた二人は立ち上がり、そして大声で訓練中の僕たちを呼び寄せて、宣言した。
「今からかくれ鬼を行う!」
胸を張って宣下する朱雀と、ぱちぱちと拍手する八代。僕は二人のテンションについていけず、彼女と顔を見合わせる。
「……あの、かくれ鬼というのは何でしょうか?」
人間の遊びを知らない彼女の疑問に、待ってました、とばかりに朱雀が話し始める。
かくれ鬼は、文字通りかくれんぼと鬼ごっこを合わせた遊びだ。何、「カクレンボ」と「オニゴッコ」とは何か、だと?かくれんぼとは「鬼」という探し役を決め、そのものから姿を隠した参加者を鬼が探し出す遊びだな。鬼ごっことは、ほかの者を捕まえる――いや、手で触れることでよかったか?ともかく形だけ捕まえて、捕まった者が鬼となり、鬼の役が移り変わっていく遊びでな。鬼が何かわからない?鬼は鬼だ。そういう役割だと――何?どうしたら終わるのか、だと?そんなもの終わりは――ふむ、いや、そうだな。せっかくだから罰ゲームでも儲けようか。む、罰ゲームとは何か、と聞きたそうな眼だな?罰ゲームとは、負けた者が嫌なことを命令されて行うもの……という説明でわかるか?ふむ、では、三十分ほかの者を捕まえて鬼を交代できなかった者が罰を受けるということで……む、罰の内容が浮かばん。おい、八代、罰はどうする?何、それよりも鬼は自分を鬼にした者を捕まえられないルールを加えろだと?む、確かにそうせねばかくれ鬼を行う趣旨に反するか?ああ、妖術も使用可と言っておかねばならぬか。では――
彼女の怒涛の質問にさらされた朱雀が、やや辟易しながら内容をまとめ、発表する。
かくれ鬼ルール
1、捕まった者が鬼を交代する際、ひとつ前に鬼だった者を捕まえることはできない
2、鬼が三十分間誰も捕まえられなかった場合敗北とし、罰を受ける
3、罰は、鬼になった回数が最も少ないものが決める
4、相手および森に被害を及ぼすものを除き、あらゆる妖術の使用を許可する
5、逃げていい範囲は山一つの中すべてであり、山から出てしまった場合はそのものは敗者とともに罰ゲームを受けることとする
気が付けば増えていた3の項目に嫌な予感がするが、それよりも重要なのは、誰に捕まって鬼となるかだ。正直、この四人の中で僕たちが八代師匠と朱雀を捕まえるのは困難を極めるだろう。つまり、僕は師匠か朱雀に捕まり、そして彼女を捕まえられる状況でなければ敗北は必至だということだ。
「一分しっかり数えておけよ!」
じゃんけんの結果、最初の鬼は八代になった。
一番に飛び出した朱雀の後を追って、僕も森の木々の間へと身を躍らせた。
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