第10話 特訓ダイジェスト3 かくれ鬼

 始まったかくれ鬼。その最初の鬼である八代から遠ざかるように、僕は全力で森の中を走っていた。すでに変化の術はやめ、僕は狐姿で森を疾走する。

 訓練でたびたび足を運んでいるこの森はすでに僕の中で第二の故郷のような場所であり、僕は素早く森を駆けた。


 さわさわと木々が揺れる音を聞きながら、僕はその中に混じっているだろう音と匂いを感じ取る。葉擦れの音、虫や動物の鳴き声、水のせせらぎ、木々の匂い、土のにおい、動物の匂い――そこに、純白の彼女のものも、朱雀のものも感じられなかった。

 遠くにいるのか、あるいは全力であらゆる存在感を隠しているのか、僕はすべての感覚をごまかして森を悠々と歩いているだろう朱雀の姿を脳裏に思い描いた。


 足を止める。

 振り返った背後には誰もおらず、ただ揺れる枝と、空を舞う蝶の姿があるだけだった。

 チチチ、と鳥が鳴き、僕のすぐそばの木の枝にとまり、それから僕の姿を見て取って慌てて空へと飛び立った。


 僕はその鮮やかな鳥を目で追う。

 豊かな自然の一部になったようなこの瞬間が、僕はたまらなく好きだった――


 ふわりと、先ほど目にした白い蝶が僕の鼻に舞い降り、そして。


 にやにやと意地の悪い笑みを浮かべた八代へと、その蝶は姿を変えた。


「なぁ⁉」


「おいおい、妖術はなんでもありだぞ?変化の術なんて真っ先に使われる代表格だろうが」


 ぽん、と僕の肩に手を置いた八代は、「そういうわけで次の鬼はお前な」と告げるなり、再び蝶の姿に戻って森の奥へと飛んで行った。


「えー……」


 早くも鬼になってしまった僕は、森の中で茫然と立ち尽くした。

 この勝負、人間以外の姿に変わることのできない僕にとって、圧倒的に不利だった。






 僕は必死に森の中を走った。

 僕が捕まえられる相手は、真っ白な彼女と朱雀のふたり。朱雀を捕まえられるイメージなんて全くできなかったから、僕はターゲットをただ一人に絞って森の中を探し回った。

 山一つ、といっても妖狐である僕にとってはさほど広いスペースではない。肉体強化をしてしまえば僕はまるで跳ねるように森を疾走できたし、わずか十分ほどで山の端から反対まで、頂上を経由して移動することすら可能だった。

 最も、その力があってなお誰も僕には見つけられなかったのだが。


 僕はおそらくは逃走範囲である山の端にたどり着いてしまい、再び森へと引き換えし――


「……?」


 ふと、僕の視界に折れた木の枝が映った。折れた枝の高さは、四足歩行で進んでいる僕が当たるような低い場所ではなく。まだ新しいその裂け目は、誰かがここを通った証拠だった。


 誰かがここを通ったとして、それはいつのことか。足元へと視線を向ければ、わずかに踏みつぶされた和草がゆっくりと体を起こそうとしていた。

 その誰かがここを立ち去ってから、あまり時間は経っていいそうになくて。だとすれば、その誰かは僕の接近に気づいて移動したということだった。


 どうやって、僕の接近に気づいたのか?

 朱雀であれば、遠くを感知するような術を使える可能性はあった。けれどこれが八代や彼女であったとしたら。

 何らかの方法で、僕の位置を把握しているということで。


 僕は一つだけ、可能性を思い浮かべることができた。

 それは、妖気を感知することで、僕の接近を悟ったのではないか、ということだった。


 肉体強化のために、僕はたくさんの妖気を体に宿していた。朱雀に比べれば雀の涙程度であれど、確かにその妖気は自然界においてはまずありえない濃度をしていて。

 それを感知すれば誰がどこにいるのかわかるのではないかと、僕はそう思って。


 そして僕は彼女や朱雀を探すために肉体強化を発動せずに森を歩き、妖気の集まりを探し――けれど、誰も見つからなかった。

 考えてみれば、妖気を感知して逃げる相手が、妖気を隠していない可能性はまずなかった。ひょっとしたら彼女が妖気を隠ぺいしていないのでは、という僕の願いは、残念ながらかなわなかった。


 だが、まだ幻惑の術に慣れていない彼女は、術で巧みにかくれていても、僕に違和感を与えてくれた。

 その一角はどこをどう見ても周囲の森と何ら変わらないようで、けれど森としての存在感が、木々の密度が、風の吹き方が、どこかおかしかった。

 僕は獲物を狩るときのように気配を殺しながら、少しずつ、少しずつその違和感の先へと歩を進め、そして、視界に移った白い存在へととびかかった。


「キャン!」(捕まえた!)


「クゥーン」(あら)


 雪のように白い彼女をとらえ、僕はしてやったり顔で笑った。

 そして、鬼は彼女に変わり、僕は一目散に森へと逃げ込み――


「はっはっは!」


 盛大な笑い声と共に、僕は鬼に追われることとなった。

 どういう方法を使ったのか、彼女は朱雀をタッチしたらしく、鬼はおそらくはこの中で最強の朱雀へと変わって。

 そして彼女は高笑いをしながらこれ見よがしに存在感を放ちつつ僕の後を悠然とした足取りで追いかけてきていた。


 僕はとにかく必死で逃げた。もはやなりふり構わず肉体強化を発動して、全力で走っているはずで。

 それなのに、ただ人間の足で歩いているはずの彼女と、少しも距離が開かなかった。


 僕は自分の頭がおかしくなっているのを感じながら、ひたすらに森の中を走り回った。


「キャン⁉」(どうなってるんだよ⁉)


「はっはっはっは!せいぜい必死に逃げてみるがいい!わしはそのすべてをたやすく乗り越えてやろう!」


 突如、朱雀の存在感が僕の前方へと移動し、そこに、朱雀の姿があった。

 一瞬で移動したらしい朱雀から逃れるべく、僕は進路を横に変える。

 前足で地面を強く踏みしめ、体をひねって脚を横方向につき、そのまま滑るように九十度で方向転換する。

 やや速度は落ちてしまったが、けれど最高といっていい形で僕は進路を変えた、はずで。


「くははははは!」


 それでも、朱雀を振り切れない。

 彼女はやっぱり悠然とした足取りで僕を追っていて、そして僕は気が付けば山の端まで追い詰められていた。


 前門の朱雀、後門の罰ゲーム。

 僕が選べるのは、何とかして朱雀のタッチを回避して山へと戻る選択肢だけだった。


 にやりと朱雀が笑い、そして、その両腕が巨大な翼へと変化する。

 僕の進路すべてを封じてみせた朱雀は笑いながらゆっくりと僕へと近づいてきて。


 僕は顔に絶望の表情を浮かべながら、けれど全力で妖気を集め、それを両足にため、そして、深く重心を沈め――


「キャン!」(はあ!)


 空高く、勢いよく飛びあがった。

 かつてない跳躍力によって、僕は楽しそうにこちらを見る朱雀を見下ろしながら彼女を飛び越え、そして。


「やればできるじゃないか」


 着地と同時に、ぽんと僕の肩に朱雀の手が置かれた。


「……え?あれ?」


 茫然と振り返った先、そこには僕が飛び越えたはずの朱雀の姿があって。けれどそれは、僕の目の前で霞のように消えていった。


「幻惑……」


「正確には幻術だぞ。ほかにも、感覚誤認の術とか思考誘導術とかいろいろと使ってみたわけだが、いやぁ、面白いほどに引っかかったな!」


 楽しそうに笑う朱雀は、まあせいぜいがんばれと言い残して、一瞬にしてその姿をくらませた。


 僕はたった一人その場に取り残されて。

 無力感やらなにやらで、膝から地面に崩れ落ちてしまいそうだった。


 けれど、僕とてこのままやられるわけにはいかなくて。

 先ほどの感覚を思い出しながら身体強化の術を使い、限界まで嗅覚を強化して八代を探し出し、モグラになって地中へと逃げようとする八代を捕まえた。


 それから、今度は真っ白な彼女に捕まり、八代を捕まえ、朱雀に捕まり――そうしているうちに世界は闇に閉ざされ。


「飽きたぁぁぁぁぁぁ!」


 そんな朱雀の叫びとともに、かくれ鬼は敗者なしで勝負を終えた。


 結局、勝負はつかずに罰ゲームはなし――ということはなく。

 八代を追っている最中に勢い余って森を出てしまった朱雀が、最も捕まった回数の少なかった八代が考えた罰を受けることになった。


 ちなみに、鬼はこんな感じで移り変わっていたらしい。

 八代(スタート)、僕、彼女、八代、朱雀、僕、八代、彼女、朱雀、僕、彼女、朱雀、八代、僕、彼女。

 八代と朱雀が多少(?)手を抜いてくれていたおかげでそれなりにいい勝負になって、そして。


「うぐ、えぐ……こんなの絶対食べ物じゃない~~~」


 そんな鳴き声とともに、朱雀は絶望に顔を青ざめさせながら、手に握る串焼きを眺めていた。その串に突き刺さっているのは、こんがりと焼けたカエルの姿焼きだった。

 それをにやにやと見つめる八代師匠は、「うまいぞ」と実にいい笑顔を浮かべながら自分の分の串焼きにかぶりついた。

 わざわざこの罰ゲームために、師匠は森の中で蛙を捕まえ、そしてわざとあおって山の端まで朱雀に追われ、そのうえで巧みに朱雀を場外にしたのだという。

 嫌いな蛙の肉に震える朱雀には、神の威厳などありはしなかった。意地の悪さで一歩上回った師匠の一人勝ちで、そんな師匠にも神の威厳なんてあったものじゃなかったけれど。


 しばらく震えながら串焼きを見つめていた朱雀は、何を思ったのかおもむろに立ち上がり、家の外へと出て、そして。

 巨大な赤い鳥の姿へと変わり、宙へ放り投げていた蛙肉を、朱雀は串ごと人のみにした。


「ど、どうだ!確かに食べただろう⁉」


「あー、まあ、そうだな。前に消し炭にした上で食べたって宣言されたときはそりゃあないと思ったが、まあ、今回は大目に見てやるさ」


「なんだと⁉この性悪が!ちゃんと食べただろうが!……うう、なあ、八代の奴、ひどいと思わないか?」


 朱雀は涙目で彼女へとしなだれかかり、僕は朱雀と彼女の間に割って入り、朱雀の目に活力――嗜虐の光――が戻り、それを肴に師匠が酒を開け、朱雀が目ざとく飛びついて――


 そうして夜は更けていった。

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