第10話
わたしが呆然としていると、凪は笑った。可愛らしい表情に見とれてしまう。
「十年前とは全然違うから驚いてるでしょ?」
「驚いているっていうか……」
なんと言えばいいのか。当時の弟の姿を思い返して、その変貌ぶりに言葉を失う。
「わたし、ニューハーフというか、トランスジェンダー的な? そういうのなんだ」
「的な、ってなんだよ。そうだろ」
サヨリが突っ込みを入れる。数十年来の友人のような、自然なやりとりだった。
雨が降っているということで、喫茶店に入った。サヨリと凪の密会を初めて目撃した場所だ。テーブル席に腰掛けて事情を訊く。
当時、両親はそれぞれトラブルを抱え、地元に居場所をなくしていたそうだ。最初は子供二人を残して消える予定だった。しかし、まだ幼い次男を可哀想に思い、凪だけは連れて行ったという。
「いや、わたしも幼いんですけど……」
「真っ当な突っ込みだね」
凪は苦笑した。
新天地でも両親は問題を起こしたらしい。結局、また二人は蒸発した。今度は息子のことを置きざりにして。
「人は変わらない」
凪が諦観の色を強めて言った。
「悲しいけど、そういうもんだよ。両親を見てわかった。高校三年の冬、家に帰ったら、手紙だけ残して消えてたんだ」
悲しそうに言う。遠い目をしていた。
「両親は最悪だね」
でも、とわたしは言った。微笑んで続ける。
「凪は変わった。そうでしょ?」
「え……」
きょとんとされる。それから凪は、ああ、と頷いた。
「確かにね。一本取られたな」
二人して笑う。
「そんな軽く話すことか? めちゃくちゃシリアスな話題だったろ」
サヨリが呆れた顔で言う。
わたしは口角を持ち上げた。忘れたの、と首を傾げてから言う。
「重いことほど、軽く言う。そういう主義だって話したじゃん」
「あ、お姉ちゃん、それいいね。メモしていい?」
「いいよ」
「ほんと、なんなんだよこの姉弟」
サヨリは嬉しそうに笑った。
なぜサヨリと凪は二人で会っていたのか。その疑問にも答えてくれた。
凪は姉であるわたしの動向が気になっていたらしい。わたしの家の住所を突き止め、会いに来てくれた。その時、わたしは出かけていたので、サヨリが対応したのだ。
事情を訊き、サヨリは様々なことを危惧した。主に、わたしの精神面だ。
「璃子はこう見えてメンタルが弱い。マンボウ並みだ。すぐ壊れて奇行に走る」
「心外だなぁ。そんなことないって……」
「受験のストレスで深夜の学校に忍び込んで、一晩中プールで泳いだことあったろ」
「それ、推しのユーチューバーが引退宣言した時の話でしょ。受験のストレスで変になった時は山に登ったよ」
「ああ、そういえばそうだったな。遭難しかけたやつか」
「お姉ちゃん、どういう人生送ってんの……?」
凪が苦笑する。そんな表情も、美人女優のような品格があった。
サヨリは、突然わたしを弟と会わせたら、わたしがどうにかなってしまうのではないか、と本気で心配していたらしい。だから今日の今日まで、わたしと会わせなかったのだ。
以降、二人で出かけていたのは、アイドルの趣味が合い、オタクトークがしたかったからだという。
紛らわしいな、と文句を言いたくなった。
でも、それ以上に、涙が出そうなほど嬉しかった。
二人に笑い掛ける。
「これからは、たまに三人で会おうか」
この関係を大切にしていきたい。心の底からそう思えた。
▼
サヨリと手を繋いで帰路につく。
部屋に戻ったら、久しぶりに恋人らしい時間を過ごしたい。そう思った。
玄関に到着して息をつく。その時、ハンカチを預かっている件を言い忘れたな、と気づいた。
「ま、いつでも返せるからね」
呟きながら廊下を進む。
リビングに入ると真っ暗だった。スイッチを押してくれ、とサヨリに言われる。
言われた通り、壁のスイッチを押した。
「えっ……」
垂れ幕が目に飛び込んで来た。ハッピーバースデー、とある。
呆然としていると、サヨリに肩を叩かれた。
「どうだ? 驚いたろ?」
いたずらに成功した子供のような顔をしている。目が輝いていた。
「え、なにこれ?」
「自分の誕生日、忘れたのか」
そういえば、今日は八月二十四日か。すっかり忘れていた。しかし、サヨリに教えた記憶はない。
「凪に教えてもらったんだ」
「そ、そっか」
「先に璃子が入らないよう、佐々木くんに留守を頼んでおいたんだ。適当な理由をつけて追い返してくれ、って。その必要がなくなったから、さっきトイレで電話して、退散してもらった」
佐々木くんとは、わたしとサヨリの共通の友達だった。気さくなゲイの男性で、ダイエットの件では相談に乗ってもらった。
まずいな、と思う。誕生日のサプライズなんて二度とされないと思っていたから、どう反応すればいいかわからなかった。喜べばいいのか、黙って受け入れればいいのか、勝手なことをしてくれるな、と難色を示せばいいのか。さまざまな考えが頭を巡る。
サヨリはご機嫌な様子でキッチンに足を運んだ。箱を持ってきて、テーブルの上に置く。
「ケーキの代わりだ」
蓋を開ける。
「嘘……」
思わず呟く。
以前、溶けてしまったアイスと同じ商品が入っていた。それだけではない。見たことのない種類のものもあった。全部で四つある。
「まだ在庫、あったんだ……」
「親戚に無理を言って新しく作ってもらったんだよ。この間の停電で溶けた時、めちゃくちゃショックを受けてただろ? 今回はセットだから違う味もあるぜ」
「……そっか……そうだよね……」
どんなものもいずれ、わたしの前から消えて無くなってしまう。そう思っていた。
でも、それはわたしの思い込みだったらしい。
形を変え、わたしの前に再び現れることだってあるのだ。
いずれ、永遠の別れは訪れるかもしれない。だが、あるかもしれない別れを嘆くより、今を、全力で楽しみ慈しんだ方が、わたしのスタイルには合っている。そう確信した。
「サヨリ」
恋人の肩を掴む。手からぬくもりが伝わってきた。
サヨリは照れくさそうに視線を逸らした。それから、「久しぶりだな、こういうの」と微笑み、わたしを見つめる。視線が絡み合い、心臓が高鳴る。
どちらからともなく、わたし達は口づけをした。
※※※
ここまでお読みいただきありがとうございました!
本編は終了しましたが、おまけエピソードを二話用意しました。どちらもイチャイチャする話です。よろしければそちらもどうぞ。
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