第13話

月が見ていた (13)



「私ね、警察が嫌いだったんです。幼い頃に父が冤罪で逮捕されて、無実がわかって帰っては来たけれど、それまでの優しかった父ではなくて。事あるごとに母に暴力を奮うようになりました。母は、娘である私に暴力が及ぶのを恐れて、私を連れて家を出ました。要は離婚で、その後、母は女で一つで、私を大学まで出してくれました。私が就職した年に、まるで全てをやり終えたかのように、母は呆気なく亡くなってしまいました。

あの時、警察がもっときちんと調べてくれていたら、父は冤罪にはならなかったし、私の家族がこんなことにならずに済んだはずなんです。だから、警察は嫌いだったし、信じることもなかったんです。」

「それは…取り返しがつかないけれど、本当に申し訳なかったです。」

俺は彼女に深々と頭を下げた。


「でもね。有松さんを見ていて、少し、警察を信じても良いかなと思いました。」

彼女はコーヒーを啜ると、

「何でかは分からないんですけどね。有松さんは信頼しても良い気がします。多分、豊のダイイングメッセージでここまで動いてくれて…信頼するに値する人だと思えるんです。だから、私は、今から大事なことを話します。」

と一気に繋げた。

「大事なこと?」

「そう。この事件に関する、大事なこと。」

彼女は薄っすら口元に笑みを浮かべて、こちらを見る。

「何か、気づいたことでも?」

俺はカップをソーサーに戻し、彼女の目を見た。

「確証はないけれど、ちょっとね。」

彼女は遠い目をして、コーヒーを飲んでいる。


「私の生活リズムも、勤務先も、豊のことも知っている存在に注目して。多分、次は最後になると思うから。」

「知っていることは全て話して下さい。」

俺がそう言うと、彼女は首を振った。

「私ね、大学で心理学を専攻していたの。だから、これだけはわかってる。

犯人は必ず、もう一度現れるし、一番確実な方法を取ろうとするから。

だから、有松さんは、その時に、確実に逮捕して。

私の早とちりかも知れない思い過ごしで、冤罪を起こすのは絶対にダメなの。

私の読みが外れなければ、彼はそろそろ現れると思う。」

「いや、ダメだって!!!」

俺は説得を試みようとしたが、彼女は既に段取っていたらしく、

「もう直ぐ来るから、あなたは隠れて。時間がないの。」

と、ウォークインクローゼットに俺を押し込み、テーブルの上や俺の靴、荷物を片し始めた。


『だから、俺を引き止めたのか…』

そんなことなら、大内を帰すのではなかった。

…今更だな。俺一人でなんとかしなければならない。

携帯が鳴らないように、マナーモードにして…。


ここに現れるということは、彼女とは面識があるのだろう。

いつの間に連絡を取ったんだ?

まぁ、そこは後で確認しよう。


彼女の身に危険が及んだ時にどう動くか、俺は頭の中で何パターンかシミュレーションしておいた。


時計を確認すると、ちょうど19時になるところだった。

インターホンの音が鳴る。

緊張感が走る。

彼女が対応しながらこちらを見て、首を横に振り、通話を切った。


「新聞の勧誘だったわ。」

クローゼットの中の俺に、小声で教える。

「紛らわしいな。」

俺は小さく笑って、体勢を整え直した。

彼女も小さく笑って、リビングへと戻って行った。

そこから10分くらいして、再びインターホンが鳴った。

彼女は淡々とインターホンの主に対応し、通話を切った。

こちらを振り返り、首を縦に振ると、キッチンへと入り、コーヒーの準備を始めた。

リビングのテーブルに彼女がコーヒーを並べ終えた頃、今度は部屋のインターホンが鳴った。

…いよいよ、ご登場だ。


玄関で二言三言のやりとりがあったようだが、いかんせん、ウォーキングクローゼットの中では今ひとつ聞き取れない。

スキマから辛うじて見えた姿は、黒ずくめの男と思われる。

パーカーのフードを目深に被り、カーゴパンツらしきものを履いていた。

服装から、若いのだろうか?中肉中背、とりわけ個性的な特徴はない。

男が下座のソファーに腰を下ろす。ちょうど、俺に背を向ける形だ。

俺は、何とか二人の会話を聞き取れる場所を目で探す。


キッチンだ。

俺は、物音を立てないように、匍匐前進で、そろりそろりとキッチンへ。

キッチンの奥に、背の低いステップがあった。

俺はそこに腰を掛け、息を顰めていた。


どうも、二人は他愛ない話から始めたらしい。

男の声も、ところどころ聞こえてくる。

彼女が笑い、男も笑っているのがわかる。

…笑い合えるほど親しいのか?

俺は、彼女の周りの人間関係を頭の中で広げてみたが、俺の知り得ない会社の人間関係以外で、そんな存在は思い当たらなかった。


それにしても。

彼女は大学で心理学を専攻していたらしいが、殺人犯かも知れない人間を目の前に、普通に話し、尚且つ笑えるのは、一体どんな心理状態なんだろう?


「そう。そろそろ本題なんですけど。」

彼女は声のトーンを少し落とし、そう告げた。

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