第10話

月が見ていた (10)


「どうして?!どうして私がこんな目に遭わなきゃいけないの?!」


遂に、彼女がその怒りをぶちまけた。


「誰にも迷惑をかけず、コツコツと努力して、真面目にやってきただけじゃない!

言いたいことがあるなら、出てきて、堂々と面と向かって言ったらどうなのよ!

人を脅したり、殺して逃げたり…卑怯者!!!」

叫びながら、ソファのクッションを投げ散らかし、テーブルの上の茶器を叩き落としたり…それでも満足しないのか、今度はキッチンの食器棚に向かう。


「沢園さん!」

俺は彼女の腕を掴んで止めようとすると、彼女は

「離して!あなたにはわからない!」

と腕を振り払おうとする。

俺は一瞬、手を離し、彼女の両肩を掴んだ。


「確かに、俺は沢園さんのことはわからないかも知れない。どうやっても、同じ立場にはなれないから。だけど、気持ちを理解しようとはしてる。何が何でも守ろうとはしてる。

それじゃダメなのか?足りないことがあるなら言ってくれ。俺にできることはするから。」


俺は、思っていることを一気に吐き出した。


彼女は一瞬、ポカーンとしていたが、

「有松さんって、フツーに喋れるのね。」

とクスクス笑った。


…いや、聞いて欲しいのは、そこじゃなく。

俺は無意識に頭をガシガシ掻いて顔を背け、

「それじゃ、俺は管理人室に戻るっす。」

と部屋を後にした。


管理人室に着くと、谷川が部屋を出るところだった。

「交代っすか?」

俺が声を掛けると、こちらに顔を向け、

「いや、休憩ですね。朝8時から詰めているので、今から昼休みです。昼飯食って、一時間位で戻りますよ。」

と右手を挙げた。

「行ってらっしゃい。」

俺は入れ違いに部屋へ入った。


そこから三時間。

谷川が言葉通り一時間程度で戻った後、俺は管理人室の目立たない場所で折り畳み椅子に座り、大内の戻りを待っていた。


すると、胸ポケットの携帯が鳴った。

電話の主は、大内だった。


結果は三点。

犯人は素手で荷物などを扱っていて、指紋は採取できたが、やはり前はなかったこと。

一之宮豊の殺害現場付近に落ちていたナイフと、指紋が一致したこと。

殺害現場近くのコンビニの防犯カメラに、走り去る犯人らしき男の姿が映っていたこと。


俺は彼女に映像を確認してもらう為、もう一度、署への同行を願いに行った。

思い出すものがあるから嫌がるだろう、と思ったが、意に反して、彼女は意気揚々として現れた。


止めてあった車に彼女を乗せ、シートベルト装着を確認して発進する。

俺はルームミラー越しの彼女に向かって、

「なんでそんなに力が入ってるんすか?嫌なものを見るはずなのに。」

と直球をぶつけてみる。

「少なくとも、好き好んで見たい訳じゃないわ。ただ、何かを思い出すかも知れないじゃない?ううん、思い出さなきゃいけないの。じゃないと…。」

「じゃないと?」

その続きを促すと、彼女はポツリと言った。

「手掛かりが掴めないわ。そうしたら、豊が浮かばれないことになるかも知れない。」

「俺が言うのもなんっすけど、日本の警察は優秀っすよ。任せて下さい。」

彼女は、

「そうね。」

と言うと、俯いていた顔をふと上げて、

「確かに、さっきのあなたは、ちょっと格好良かったわ。」

と続けた。


「いやいや、あれはどうかしてました!忘れて下さい!!」

「忘れていいの?」

「いやいやいや、忘れちゃダメです!!!」

「あら、どっちが本当なの?」


俺は慌てふためいて、慣れた道にも関わらず、曲がる交差点を間違えそうになった。

「運転手さん、道が違います。」

「あー、もう!少し黙ってて下さい!!」


まるで、漫才のような状態になってしまった。

そして。

不謹慎かも知れないが、無邪気に笑い転げる彼女を見て、心のどこかでホッとする自分を感じた。


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