第8話

月が見ていた (8)


何か別の方法。

そもそも、この張り込み自体、俺の勘がそうさせているだけで、確たる根拠を示すことは出来ない。

つまり、他の要員を割くことは出来ないだろう。上を説得するのに無理がある。

そうなると、ほぼ24時間を1人で張り込むには、どんな方法が考えられる?


…そうか、管理人室だ。

幸い、ここの管理人室は24時間体制で設けられている。

管理会社に事情を話し、数日間、居させてもらうことはできないだろうか?

しかし、数日間ではなく、厳密な日数を提示しなければ。


車に戻り、彼女からの差し入れをありがたく頂きながら、俺はふとした疑問にぶち当たった。


『そもそも、あれは本当に、単純なひったくりだったのか』と。


唐突な発想のようだが、その線を見落としていたことに気づく。


ひったくりが目的なら、ナイフを突きつけたとしても、植え込みに引き摺り込む必要はないように思われる。

植え込みから飛び出して、相手が驚いたところで、手荷物を奪えば良いだけのはずだ。


それに。

現場は、その時間には人通りがかなり少なく、ひったくりをするには、獲物が少なすぎて適していない。

どのみち、邪魔をする相手をナイフで襲うつもりだったなら、もっと人通りのある繁華街に近い所の方がひったくりもしやすかろう。効率的では無い、というか……釈然としない点が多い。


何かがおかしい。

何かが不自然だ。


コーヒーを啜りながら、暫く宙を眺める。



この違和感は何だ?

胸がザワザワする。


…そうか!

犯人は、偶然ではなく、最初から沢園かほりを狙っていたんだ!

犯人は、沢園かほりが、大体いつもあの時間に、あの場所を通ることを知っていて、何らかの目的で待ち伏せしていたんだ。


羽交い締めして植え込みに引き摺り込めるあたり、犯人は恐らく男だろう。沢園かほりは、そんなに小柄な体格ではないから、女にはやや困難だ。


とりあえず、この辺に関しては上に連絡しておこう。何らか方針が変わるかもしれない。

俺は携帯を胸ポケットから取り出し、デカ長へ連絡した。


「要するに、お前は、犯人が最初から沢園かほりを狙った犯行で、ひったくりが目的では無い可能性が高いと言うのか?」

デカ長は俺の話の要点を纏めて確認した。

「はい。その方がしっくり来るとは思えないっすか?デカ長。」

俺は少々自信ありげに答えた。

「確かに、そう言えなくはない。」

デカ長は、その言葉の後、何かを考えているかのような若干の間を置いて、

「よし。お前の張り込みに、一人つける。…大内、行けるか?」

と付け加え、それに続き、

「はい!」

という、ハリのある返事が聞こえてきた。

「あと何か必要なことはないか?」

デカ長からの問いに、沢園かほりの住むマンションの管理人室の件を手配願った。


それから30分としない内に、大内が現れた。

「お疲れ様です!」

若くて威勢の良い声…大石はまだ20代で、経験こそまだまだだが、好感が持て、腕も立つ青年だ。

「お疲れ!急で悪いな。」

俺がそう言うと、

「いや、とんでもないです。ちょうどひとヤマ片付いて、空いてたんですよ。寧ろ助かりました。先輩、宜しくお願いします!」

大内は右手を差し出してきた。

「こちらこそ、よろしくな!」

右手を差し出し、握手する。

普段なら、こんなことは無いのだが、完全に大内のペースに飲まれてしまった。


「管理人室の件はどうなった?」

俺が尋ねると、

「許可は取れました。とりあえず、7日間の予定ではありますが…。」

と、小さなノートを広げて答えた。

「なら、7日以内に解決するまでだ。」


そう。

どんな事件でもそうだが、早期解決は大切だ。情報を広く集めようにも、人々の意識や関心はあっという間に離れていってしまう。

それに、仮に、俺の勘が当たっていれば、犯人は必ず、沢園かほりに接触してくる。今度こそは確実に、目的を完遂するために…。


ひとまず、管理人室に向かい、挨拶をする。管理人の責任者は谷川という男性で、歳の頃は40代半ば、中肉中背の取り立てて個性の強いタイプではなかった。


「それにしても、沢園さんが命を狙われるとはねぇ。」

コーヒーを2ついれながら、谷川がポツリと言った。


「…え?今、なんて?」

俺は聞き逃すことの出来ないひと言に食らいついた。

「何がですか?」

谷川はコーヒーを勧めながら、不思議そうな表情をしている。

「ナイフを突きつけたなら、犯人には殺意があったと思うのが当然じゃないですか?」

谷川は自分のカップのコーヒーを啜りながら、モニターを眺めて言った。


何かが引っかかるような気はしたが、『素人でも考えることは同じか…。』

と、さっきの違和感もどこへやら、コーヒーを飲んで頭をスッキリさせる。


隣の大内はと言えば、かなりの猫舌だったようで、コーヒーを無心にフーフーしていた。


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