第7話
月が見ていた (7)
「私は絶対に、犯人を許さない。」
あの時の彼女の目は、何とも不気味な感じがした。
彼女が「ヤバい」ということを本能的に感じ取ってはいたが、それを裏打ちするには十分なものを持っていた。
絶対に、彼女を犯人と対峙させてはならない。
仮に、犯人が彼女に接触を試みるとしたら、それは大きなリスクをとった口封じだろう。
そんな男相手に、彼女に勝算があるだろうか?
ひったくりの件から考えても、明らかに不利だろう。
復讐どころのお話じゃない。
いやいや、そこじゃないだろ!
信号待ちで頭をブンブン振り、自分の思考には整理が必要だと深呼吸した。
まず、「彼女を守る」には、二つの視点が必要だ。
一つ目は、紛れもなく、彼女の安全を確保することだ。
一之宮豊との約束でもあり、警察の大きな根幹たる使命である。
そして、もう一つは。
彼女を犯罪者にしないことだ。
そうなり得る可能性は極めて低いとは思われるものの、0ではない。
その可能性を未然に打ち消す為に、俺には何ができるだろう?
信号が変わり、彼女を乗せたタクシーが動き出す。
左折車線へ入り、あとは一本道を直ぐだ。
マンションが近づくと、予想通り、報道関係者と思われる車両と人だかりが見えた。
彼女はエントランスぎりぎりまで乗り入れ、逃げるように建物の中へと消えていった。
俺は念の為、報道関係者の状況を写真に収めた。
とりあえず、報道陣にはお引き取り願おうか。
これでは、ここに事件関係者がいることを犯人に確信させてしまう。
俺は車を降り、警察手帳を見せて、彼らに対し、ごく丁重に撤収をお願いした。
多少の不満の声は上がったが、彼らは早々に引き払ってくれた。
車に戻り、彼女の部屋が確認しやすい場所へと車を移動する。
すると、彼女の部屋のカーテンが早速開き、ベランダに彼女の姿が現れた。
何とも呑気にストレッチを始めたあたり、多少は落ち着いて来たのかも知れない。
それから一時間くらいが経過し、そろそろ昼飯をどうするかという時間に。
車から降り、一服しながら窓を見上げると、洗濯物を取り込んでいる彼女。
男物の衣類もあるようなので、また撃沈するのかも知れない。
そんなことを考えていると、彼女が手を振っている。
(知り合いか?)
火をつけたばかりの煙草を消し、周囲を見渡すが、人っこ1人どころか猫すらいない。
まさか、と思いながら、恐る恐る人差し指で、自分の顔を指差してみると、彼女は徐に首を縦に振った。
(張り込みをぶち壊すマルタイってどうよ…。)
俺は改めて、彼女の『無自覚の恐ろしさ』を感じた。
彼女には、少し自重してもらわねばなるまい。
『彼女に一言釘を刺さねば…』と車に戻り、ロックをかける。
管理人室に向かい、中にいる男性に警察手帳を見せ、事情を話していると、中から人の出て来る気配がした。
「あー、沢園さん。お客さんですよ。」
と管理人が声を掛ける。
(え?沢園?!)
ギョッとして振り返ると、間違いではなく彼女がニコニコと立っていた。
「沢園さん、ダメじゃないっすか。俺に手を振っちゃ…。」
「だって、いるのが分かってたから。」
悪びれもせずに答える彼女。
「いやいや、そういうことじゃなく。
もしも犯人がそばにいて、俺の張り込みに気づいたら、どうなります?」
「警戒して来なくなるかも?」
「そうです。それは同時に、一つのチャンスを潰すことにもなりますよね?」
彼女は一瞬上を向いて、
「あ、そうか。」
と手を打った。
「だから、ダメなんっすよ…。」
俺は理解して貰えた安堵感を感じたが、それは次の瞬間には打ち砕かれた。
「これ、お昼ご飯にどうぞ。簡単なものだけど。
これからは合図なしで持ってきますね。」
彼女は、俺の手に紙袋を掴ませると、俺の言葉も待たずに小走りで去って行った。
俺は、紙袋を眺めながら考えていた。
(これは彼女の天真爛漫さなのか?それとも、陽動作戦なのか…。)
いずれにせよ、何か他の方法を考えた方が良さそうだ。
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