第6話

月が見ていた (6)


午前10時、都内某警察署。

スチールの、冷たく無機質なデスクを挟んで、有松刑事と腰を掛ける。

「なんか、変な感じですね…」

私がボソリと呟くと、有松刑事は

「決まり事なんで、恐縮っす。」

と頭を小さく下げる。

「じゃ、始めるっすよ。」


最初は、ごく当然に身元やら勤務先やら、そんな基本的なところから始まった。

ドラマや本では知っているけれど、実際に受けてみると、何も疚しいことは無いにも関わらず、やたらと緊張するものだ。掌に薄らと汗が滲んでくる。

そして、話はいよいよ事件についてのこととなった。


「どこから話せばいいですか?」

「事件直前の行動からで…。」


私は間違いなく正確に伝えるため、記憶を慎重に辿った。


残業を終えて会社を出て、行きつけのショットバーへ行き、午前0時頃に店を出て。

途中で露店の女性占い師に会ったものの立ち寄らず、事件現場の公園に差し掛かったところを、植え込みから出てきた男に襲われ、植え込みへと引き摺り込まれた上、首元にナイフを突きつけられて羽交い締めにされて、死ぬんじゃないかという恐怖を感じたこと。

隙を見て、バッグで相手の顔を殴りつけてやったこと。

そのバッグを奪われたこと。

それから…

豊が現れて、それが豊との最後になったこと…


「豊…。」

思いがけず、嗚咽が漏れてくる。


なんで、お店にいなかったの?

なんで、あの時、あそこにいたの?

なんで、追いかけたりしたの?

そうしたら、こんなことにはならなかった!


憎い。

犯人が憎い。

豊は、私には大事な支えだった。

豊がいなければ、私はもっと早くに転落人生を送っていたに違いない。


「私は絶対に、犯人を許さない。」


「沢園さん?!」

思わず漏らした心の呟きに、有松刑事は声を大きくして私を呼んだ。

「…あ。そういう気持ちだと言う意味です。他意はありませんよ。」

取ってつけたような私の言葉を訝しそうな表情で聞き、

「ホントに頼みますよー?」

と、有松刑事は左手を額に当てながら言った。


事情聴取は小一時間で終わった。

たかだか一時間程度だったにも関わらず、全身の力が抜けるほど疲弊した感覚がする。


突然、携帯電話の音がする。

先程、有松刑事から返されたものだ。

母親からの着信だった。

きっと、事件のニュースを見て、慌てて掛けてきたに違いない。

暫く悩んだが、出ることにした。


通話は1分で終了した。

いや、終了させた。

日頃から、口を開けば

「帰ってこい」

ばかりの過保護な人だ。

今回はかなり強引な話だったけれど、

「その気になったら」

といつも通りに話を打ち切った。


とりあえず…

家に帰るしかない。

たとえ、元通りの生活ではないにしても。

私の帰る場所は、そこなのだから。

私は意を決して、顔を上げ、重い足を引き摺るように歩き、拾ったタクシーに乗り込んだ。


ルームミラーには、慌ただしく白のセダンに乗り込む、有松刑事の姿が映っていた。

(本当に張り込みするのか…)

軽い目眩を感じながら、シートに深く腰を掛け直して目を閉じた。


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