第2話

月が見ていた (2)


細く差し込む薄明りを瞼に受け、ゆっくりと目を開ける。

浮かび上がる真っ白なカーテンで仕切られた、真っ暗な四角い空間。


…どうやらここは、病院らしい。


明かりの差し込むカーテンの方へ目を向けた瞬間、そこに薄っすらとした人影を見て、私は小さく悲鳴を上げる。


「だ、誰?!」

「あ…気が付いたっすか?」


聞き覚えのあるような男の声。

「脅かしてすみません。でも、俺、昨日の刑事っすよ。

 今、看護師さん、呼びますから。」

男は再度、私に警察手帳を見せながら、ナースコールを押した。


『どうされました?』

「沢園さん、気がついたっす。」

『そうですか、今、行きます。』


廊下をパタパタと走る足音が近づき、医師と看護師が現れた。


医師はカルテを見ながら、私に質問を始めた。

『自分のお名前、わかりますか?』

「沢園かほり」

『お誕生日は?』

「1989年12月24日」

『それじゃぁ、この指、何本立っていますか?』

色白な、細くきれいな指が"3"を示している。

「3本」

『認知に問題なし…気分はどうですか?』

「問題ありません。」

『では、朝には退院できますが、それで宜しいですか?』

「はい。お願いします。」

『わかりました。では、そのように手配をしておきます。朝まではゆっくり休んで下さい。』

「ありがとうございます。」

医師と看護師は病室を出て行った。


「刑事さん、ずっとついていたんですか?」

「うっす、一之宮さんとの約束っすから。」

「…豊…亡くなったんですよね。」

「………はい。申し訳ないっす…。」

刑事は深々と頭を下げた。

「刑事さんのせいじゃないですよ。」

私は起き上がり、刑事に声をかける。

「コーヒーでも飲みませんか?休憩室くらいはあるでしょう?」

「ありますけど…歩けますか?」

「大丈夫ですよ、そのくらいは。一服したいし。」

「あ、それ、激しく同意します。」


大丈夫だと言ったにもかかわらず、刑事は手を差し出した。

邪険にするのも気まずいので、その手をお借りしてベッドから降り、休憩室へと歩き出した。


休憩室は入院病棟と外来病棟の境目辺りにあった。

私は持っていたミニバッグから小銭入れを出し、缶コーヒーを買う。

「刑事さん、どれがいいですか?」

「いや、自分で買うっすから…」

有松刑事はあたふたと、スーツのスラックスのポケットを漁る。

その構図が子どもの様で、ちょっとばかり面白かった。

「いや、私が買います。気持ちばかり過ぎるお礼に。」

「……恐縮です。じゃ、同じもので。」

「はい。」

私はもう一本コーヒーを買い、刑事に渡す。


「どうぞ…有松恵吾刑事殿。」

「俺の名前、覚えたんっすか?」

目を真ん丸にして、びっくりした表情を浮かべる。

「そりゃ、2回も手帳を見れば覚えますよ。」

「ダサい名前でしょう…」

「そうですか?恵まれた人間であれ、っていう親の願いが籠っていて良いじゃないですか。

 私なんて、"印象がいい名前"って、親の感覚でつけたらしいですよ?」

「……ぷっ!それはなかなかすごい理由ですね。」

有松刑事は小さく噴き出し、わき腹を抱えて、笑いを堪えている。

「……やっと、笑いましたね。」

「…あ、すみません……。」

今度は急にしゅんとする。

「いえ、ここは笑ってくれた方が救われます。起きた現実が重すぎるので…。」


有松刑事と私は窓際の喫煙コーナーに移動し、ほぼ同時に煙草に火をつける。

「やっぱり、コーヒーには煙草ですよね。」

「激しく同意っす。」

「有松さん、おいくつですか?」

「沢園さんと同い年っす…。」

「話し方が若いから、年下かと思った!しかも、体育会系。」

「年齢の予想は外れですが、体育会系は当たりです。」

いきなり話し方がぎこちなくなって、何となく可笑しくなってくる。

「フツーに話して下さい、気になりませんから。」

「……恐縮っす。」


どのみち、退院しても、警察や現場で事情聴取があるのだろう。

嫌でも現実に引き戻され、私は暫く、不安と恐怖の中で生きるのだろう。


意図的なのか、有松さんは他愛のない話題を私に振っては笑わせてくれた。

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