第18話

 雨に打たれながら両手の拳銃を握り込む。

 竜一郎らと戦闘になってからそれなりに時間が経っている。さくら達は逃げられただろうか。屋敷外の様子から察するに恐らくさくら達は敵に追われているだろう。だが、彼女らなら何とかなるはずだ。それを信じよう。


「くそっ! 面倒くせえな!」


 そう叫びながら悠が飛び交う銃弾を避ける。

 この男が僕に引きつけられてよかった。彼はとんでもないスピードを生み出せる超異人だ。彼がさくら達を追っていたらあっという間に捕まっていたかも知れない。

 僕は悠を見つつ、竜一郎の場所にも注意を払う。

 竜一郎も面倒だ。現状、あのスピード男が主力となって戦っているようだが、僕の隙を突いて弾丸を飛ばしてくる。仮にそれで致命傷を負えばあっという間に拮抗したこの状況が傾く。それは何とかして防がなければいけない。

 あくまで経験則に基づくものだが、恐らく竜一郎の異能は距離が関係している。彼の異能は近距離で初めて発動するはずだ。だから現在、竜一郎は物陰から拳銃を撃っているだけのはず。

 ここで考えるべきは、やはり死神の存在か。

 あいつはいつ現れ、いつ襲ってくるか分からない。さくら達を追っているかも知れない。そうなると……相当不味いな。


「おいおい、後ろがガラ空きだぜ!!」


 不意を突かれて悠に後ろから蹴りを入れられる。

 多少吹っ飛びつつも、何とか体勢を立て直して応戦する。

 ……正直、そろそろキツい。敵に隙を突かれては、今みたいな攻撃を入れられる。敵にも傷を負わせてはいるものの、蓄積したダメージは恐らくこちらが上回る。

 僕ももう今年で四十三だ。敵より動いてないにしろ、敵との体力差は歴然。このままじゃじり貧なのは明確だ。

 

「う~ん、逃げちゃうか」


 独り言を呟き、僕は敵に背中を向ける。


「ちょちょっ、あきらが逃げるよ!! 悠、早く仕留めないと!!」

「うっせーな、竜一郎! 分かってるって!」


 僕は走りながら後ろを向き、二人の様子を観察する。

 あの悠って男、間違いなくこちらに来るな。

 すかさず両手に持った拳銃の片方を悠に向けて発砲する。


「くそっ!! またかよ!!」


 悠は持ち前のスピードで銃弾をかわす。

 僕はそれを予測して悠に再び発砲する。その銃弾は悠の脇腹に到達した。


「ぐがっ!?」


 悠は僅かによろけ、傷を抑える。

 彼の異能は非常に強力だ。育て上げれば僕なんか簡単に上回るだろう。もしかしたら、典義さんに匹敵するかも知れない。

 だが……現状はまだまだだ。恐らく、彼は異能をまだ使いこなせていない。使えているのは異能本来の能力の三割程度か。いや、もっと低いかも知れない。

 彼はまだ直線的な移動にしか異能を使えていない。つまり、一度動き出す動作をすれば、僕のような経験を多く積んだものには彼の着地地点が分かるということだ。

 僕は屋敷内に入りつつ、裏口に向かう。

 さくら達は正門から出た。同じ場所から逃げるのは愚策だろう。

 悠への最後の一発が効いたのか、僕を追いつつも攻撃をされることはなかった。

 裏門を出て道路をひた走る。

 正直、中年の体にはそろそろ限界だ。足がやけに重く感じてきた。

 そのまま僕は急いで路地裏に逃げ込んだ。


「……はあ……きっつ……」


 全身が痛む。

 多分、というか間違いなく骨をやってるだろうな。

 耳を澄ますと悠の怒号が聞こえてくる。

 どうやらとりあえず逃げ切れたようだ。だが、ここにいたらいずれ見つかる。すぐにここを離れないと。

 壁に手を突きつつ、僕は路地裏を進んでいく。

 なんでこんな雨の中襲撃するかなあ。体が冷えてしょうがない。明日は間違いなく風邪だな。これじゃあ明日会社に行けないよ。

 真っ暗な路地裏を歩いていると、足下の僅かな段差に躓きそうになる。

 危なっ! さっきの戦いで暗さに目が慣れてきたけど、それでも足下は見えにくい。注意しないと。

 さくらに凜ちゃん、それに颯真君。皆生きてて欲しい。仲間が死んだら結構心に来るからなあ。ああ、こんな時に昔を思い出してしまう。

 昔、それこそ白の誠実ホワイト・ホーネストにまだ所属していなかった頃。僕は仲間の人生を狂わせてしまった。

 無謀にも強大な組織に挑んで、時にはまともな生活の出来ない傷を負わせ、時には精神を狂わせ、時には死なせてしまった。それなのに僕は大した傷も負わず、のうのうと生き残ってしまった。たまたま典義のりよしさんに助けられただけなのに。

 ーー僕は大罪人だ。

 だから、僕は生きなければならない。生きて、これからの日本のために若者を守らないといけない。それこそ、さくらや海斗君、凜ちゃん、颯真君のような若者を。

 僕は絶対に生き残る。

 そう思って歩いていた時、雨音以外の音が聞こえてきた。

 これは……子供? 子供の泣き声か?

 その音に誘われるかのように僕は歩みを進めた。

 いた。小さな女の子だ。こんな大雨の中ずぶ濡れになってしゃがみ込んでいる。こんな時間に何を?


「やあ、嬢ちゃん。こんなところで何をしているんだい?」


 少女がびくりと肩を震わせる。僕の方を見ると、怯えたように体を縮こませた。


「大丈夫。僕は悪い人じゃないよ」

「あ……え……」


 完全に怯えきっている。このままじゃ会話も出来ないだろうな。

 何歳くらいだろう。小学生あたりか。ちょうど僕の娘と同じくらいに見える。

 僕は痛む体に鞭を打って少女の前でしゃがみ込む。


「ほら、見ててね」


 そう言って両手で自分の顔を隠す。


「いないいない、ばあっ!」


 渾身の変顔を少女に見せた。

 どうだ! 泣きそうになる娘を幾度も笑顔に変えた伝家の宝刀。これでいけるはず!

 少女は僕の顔を見てクスクスと笑い始めた。


「ほーら、いないいない……ばあっ!」


 二回目で少女はキャッキャと笑った。

 よかった、笑顔になってくれて。

 僕は少女に手を出す。

 少女は僕の手を取り、僕達は立ち上がった。


「大丈夫かい? このままだと風邪を引いちゃうよ? お父さんやお母さんは?」

「……私、ママを待ってるの」

「え? ママを? ここでかい?」


 僕の言葉に少女はこくりと頷く。


「どのくらい待ってるの?」

「分からない……ずっとここにいた」

「……そっか」


 胸くそ悪い。

 多分、この子は捨てられた。この大雨の中、あまり人の通らないような場所で。

 普通の少女なら寝ているような時間に雨に打たれ続けるなんて、可哀想以外の言葉が思い浮かばない。


「ここは寒いからさ、おじちゃんと暖かい場所に行こっか」

「うん!」


 少女は乳歯の抜けた歯を見せながら笑顔になる。

 ああ、何だか凄く娘に似ている。顔が似ているというわけではない。だけど、笑顔の雰囲気がどこか似ている。

 こんな少女を捨てるなんて、どんな理由があろうと僕には到底出来ない。

 僕は少女を連れて再び路地裏を歩き出す。


「お嬢ちゃん、お名前は?」

「私? ……えみっ!」

「えみちゃん? いい名前だね。僕は章だよ、よろしくね」

「章……じゃあアッキーだ! よろしく!」


 えみの言葉に思わずにやけてしまう。


「えみちゃんの趣味は何かな?」

「えっとね、お絵描き!!」

「そっか、お絵描きか。僕も君くらいの頃はよく絵を描いてたなあ。今度さ、おじちゃんの顔を描いてくれない?」

「いいよ!! いっぱいおじちゃんの絵描く!!」

「ははっ、そんなこと言われたらおじちゃん嬉しくなっちゃうよ」


 そんな他愛もない会話を交わしながら歩く。

 やっぱり子供といるのが一番楽しい。子供は凄く無邪気で、何にも染まっていない。

 ……もしかしたら、悪く染まってしまった僕にとって、子供は心のオアシスなのかもしれない。

 ああ、やっぱり生きたいな。無邪気な娘が大人になるまで、ずっと見守り続けたい。こんな幸せ、本来なら僕なんかが一身に受けていいものではないだろう。

 でも……一度それを味わったら、手放したくなくなってしまった。

 こんな争い事に参加しておきながら、とても我が儘だ。

 妻には全てを伝えている。僕が超異人であることも、戦っていることも。凄く辛そうだったけど、それでも僕を肯定してくれた。

 ……家に帰らないとな。この子を家に連れて行ったらどうだろう。僕の娘と気が合いそうだ。きっと仲良く出来る。

 すると、突然えみが立ち止まる。


「……えみちゃん?」

「電車さんごっこしよ!! アッキーが先頭で、私が後ろ!!」

「おっ、いいねえそれ。じゃあ行くよ!」


 僕はえみの手を話、笑みの前に立って歩き始める。

 ああ、楽しいな。えみちゃんも元気になってくれてよかった。

 その時、パヒュンと鋭い音が鳴る。


「……え?」


 背中から心臓にかけて、何かが刺さるような感覚に襲われる。

 そのままあまりの痛みに僕は膝から崩れ落ちた。


「……えみ……ちゃん?」


 重々しく首を曲げてえみへと視線を向ける?


「……あれ? えみちゃんじゃ……ない?」


 えみがいたはずの場所に人影があった。

 何も分からない。依然として少女のように見えるし、成人男性のようにも見える。老婆、少年、成人女性、中年男性、青年。どんな風にも見えるし、どんな風にも見えない。しかし、その手には確かに拳銃を持っていた。

 何が……起こってる? 確かに僕は……えみちゃんを連れて……ああ、そっか。


「君が……死神だったか……」


 死神は答えない。何も言わない。ただそこにいるだけだった。

 やられた。全く分からなかった。

 ……まあ、確かにそうか。こんな遅い時間に子供が一人でいるなんて、今思えばおかしな話だ。えみちゃんの笑顔が娘と似ていたのも、死神の仕業だったのかも知れない。よかった……少女が捨てられたのではなくて……。


「なっ、銃野郎が倒れてやがる!!」


 この声は……さっきまで戦っていた青年か。


「これ、泰三たいぞうがやったんだね。さすが」


 竜一郎の声だ。……二人共、僕を追ってきたのか。どっちにしろ死んでたな、これ。


「ちょっ、ぐっ、泰三さん……俺の獲物だったのに……」

「すまんな、悠。確実に殺せるタイミングだったからやった」


 これが死神の声か。男性なのか女性なのかよく分からない。ダブって聞こえる。

 よかった、死神がさくら達の方へ行ってなくて。これでずっと、彼女らの生存率が上がる。


「俺が仕留めたかったのにっ! ……まあでも、泰三さんなら仕方ないか……」

「このままてぃあら達の方に行きたいけど……彼女らが行った方向も分かんないし、追うのは厳しいかな」

「竜一郎! 俺の異能を使えば追いかけられるぜ!」

「いや、もう体に限界が来てるでしょ。絶対途中で動けなくなる」

「ぐっ……まあそうだな。悔しいが、銃野郎が強かった。正直、ここまで長引くとは思わなかったぜ」

「そうだね。僕も思ってなかったよ」


 そっか……もう少し粘っていれば……敵を倒せたのかも……。

 今となっては……どうしようもないが……。

 その時、バシャリと、水たまりに何かが落ちる音がした。


「ぐわあっ!?!?」


 青年の叫び声だ。何があったんだ? でももう、首を動かす気力も無い。


「くそっ、やられた!! 透明だ!!」


 その時、突然誰かに抱きかかえられ、そのままどこかへと連れて行かれた。

 そのまましばらく揺さぶられ、屋根のある場所で地面に下ろされる。


「章さん……完全に逃げ切りました。追っては来ないでしょう」

「……海斗君か」

「はい、海斗です」


 海斗はそこで躊躇うように無言になり、再び口を開く。


「章さん……恐らく、もう僕では章さんを救うことは出来ないです。それほどの傷をあなたは負ってしまった……」

「そっか……それは……残念だ」


 もう喋るのもキツい。全身の感覚がほとんど無い。このまま眠ってしまいたい衝動に駆られる。

 震える声で海斗は言う。


「言い残すことは……ありますか」

「そうだね……さくら達には、僕が死んでも……そのまま突き進んで欲しいかな……組織の信念を……曲げずにね」

「……はい」


 海斗の声は小さく、雨音でほとんどがかき消された。


「あと……僕の家族にはごめんねって……伝言をお願い」

「……はい!!」


 鼻をすする音が聞こえる。

 もうほとんど何も見えない。目を開いているのか閉じているのかさえも分からない。


「海斗君……皆のことは頼んだよ」

「っ!! はい!!!!」 


 今までで一番いい返事だ……彼なら安心して皆を任せられる。

 次第に意識が遠のいていく。

 これが……死か。僕には当然の報いだ。でも……もし叶うなら……もう一度……。

 ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………娘に会いたいな。

 この日、藤本章は死亡した。

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